NY Barの簡単なアウトライン

あくまで自分用ですが,いくつかの科目で簡単なアウトラインのようなものを作っていますので,ご利用ください。

間違えがあった場合は指摘してくださいますと幸いです。

なお,日々更新してますのでご注意ください。

 

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決着ゥゥーーーーーーーッ!!

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司法試験も終わりdormant状態でしたが,現在は就活などなど行っております。

司法試験が終わって気が晴れるやと思っていましたが,色々とやることがあり思ったほど解放感はありません。それでも多少は余裕が出て,最近はジョジョを読んでます。ズキュウウウン

そういうわけで,簡単に私を特定できてしまうこのブログも一時的に閉鎖しようかとも思ったのですが,恐らくNY Barの関係か,アクセスも一定程度あり,質問も頂いているので,できるだけ残そうと考えております。

NY Barについて私は不合格だったので大層なことは言えませんが,不合格者の記述には価値があると考えていますので,以下の記事を御覧ください。

 

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それから私が自分の勉強用にまとめた簡単なアウトラインのようなものは,日本語で米法を解説した記事が少ないためかある程度御覧頂いているようです。あくまで私用に作ったもので不備だらけだと思いますが,お役に立ちましたら幸いです。

質問等ございました随時受け付けておりますので,お気軽にコメントくださいませ。

 

ぺんぎん

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(小説)

アメリカにいたとき、昔のファイルを漁ってたら、大学2年生のときに書いた小説が出てきた。

小説を書くとか厨二病の極みの黒歴史と言ったところだが、当時は色々と文献を参考にしながら至極マジメに書いていた。5万字を超えたところで筆が止まっており、未完。

フィクションで、舞台は旅行で行ったポーランドクラクフ(とケルンの予定だった)。そこに日本人学生(シュウ)が留学しているという設定で書いた。前の前の留学の前だから、留学生活は完全に想像で書いている。

で、その中でアウシュビッツを訪れるシーンがある。アウシュビッツを知ってもらうのに中々いいと思うので、僕が撮った写真とともにせっかくなので引用する。

長いので、アウシュビッツに興味があるとか、ぺんぎんの小説がどれほど駄作か、などの興味があれば読んでくださると嬉しいです。

 

*このシーンは、僕が実際に2011年2月にアウシュビッツ・ビルケナウを訪れた体験を元にしています。

**また、収容所、ナチス及びヒトラーについての記述は、史実を参考にしています。

***ただ、あくまでフィクションであり、主人公は僕とは別人格の存在です。僕の考えと彼の考えは同一ではありません。

****実際には一人で行きましたが、小説では二人の男性(パオロ、ジーノ)と行ったとしています。この二人は実在の人物をモデルにしており(それぞれ、ワルシャワで知り合ったイタリア人、タイのチェンマイで知り合ったチリ人の弁護士)、二人なら何て言うかなぁというのを想像して書いています。

 

 

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[登場人物]

シュウ…日本人の大学生。21歳。172センチ、痩せ型。東京の私立中高出身で金持ち。英語はうまい。のんびりしがてらクラクフに留学している。頭はいいが,主体性は無い。妙な倫理観が強く,考え過ぎで,融通が利かない。自尊心が強く,そのため他人を見下しがち。余裕がなく,常に誰かと戦っている感じ。

ジーノ…チリ人弁護士。30歳。185センチ、ガッシリした体格。遊びがてらワーホリでクラクフに来てる。気さくで陽気で女好きだが,妙に説得力がある。

パオロ…イタリア人。26歳。177センチ、細身だが意外と体格は良い。クラクフに留学しており,シュウのルームメイト。いい加減でいつもニヤニヤしており,目は虚ろで何を考えているかわからない。たまに核心をついたことを言う。

 

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 その日になった。僕はいつもより早く目が覚めた。これから世界最大の負の遺産を見るのかと思うと憂鬱であったが、同時にどこか誇らしい自分がいるのを隠せなかった。こういう所に行くというのは、それだけの問題意識があり、ある程度の知識が無ければ有り得ないことである。つまりアウシュビッツ訪問は僕がそれを有することの証明たり得るのだ。

 僕は最近の日本のマスコミに見られる商品の煽情的なブームづくりの表現を嫌悪していた。皆その商品が好きというよりは、「それを好きでいる自分」が好きであろうことに間違いは無いと思っていた。考えてみれば酒というのもそうで、文字通り酔っている自分に酔うことで自分を救うことになるのだろう。そうした自分がいることに気付かないふりをするのも酒の力を借りるのならば容易だ。こうした自己陶酔による救済は別に今僕が思わなくてもある意味世の中の真理であろうし、皆それを知りながらも、敢えて口に出しては言わないだけだろう。それはタブーであり、沈黙は一つの不文律だった。

 なぜなら皆、「自分だけは」そんな陳腐な陶酔に浸っているのではないと思っている。「自分だけは」、そんな安易なことはしないと思っている。なんて下らないことだろう、と僕は思った。そうやって自分は他人とは違う存在であると考えるその思考自体が、皮肉にも自分が他人と似通った凡庸な人間であることの証明なのだ。しかしこう考えて自分の特権性と優位性を感じている僕もまた、他人から見れば浅はかに見えるのだろう。自分に自信が無い人間ほど自己の優位を主張したがるものだという。これは堂々巡りで延々と続くことであり、優位を感じた時点で逆説的にその優位は霧消する。であるならば、結局他人と違う特異な人間というのは存在するのだろうか、そして例えそれが存在するならば、一体その差異は何に存するのだろうか。

 パオロと食堂に行くと、ジーノは既に席に座ってコーヒーを飲んでいた。三人で連れだって外へ出た。

 

***

 

 僕たちはコペルニクスが通ったことでも名高い、ヨーロッパ有数の大学の一つである重厚なロマネスク建築のクラクフ大学の脇を通り、開放感のある旧市場広場を抜け、フロリアンスカ通りを暫く進み右に逸れた。丁度ジーノがアルバイトをしているというポーランド料理屋の脇だった。しばらくすると十時を告げるラッパが鳴り響いた。

 「このツアーってのはどういう仕組みなんですか」

 「主に海外から来た旅行者向けの英語ツアーでね、ホテルやユースホステルから手配することが出来る。ピックアップ付きでね、バスがそれぞれの参加客の宿を回って来るのさ。恐らく俺たちが最後の客だろうな」

 と話しているとバスが来た。添乗員は快活で眼鏡をかけたふっくらとした若い女性だった。恐らくポーランド人だろう。流暢だが聴き取りやすいはっきりした英語で僕らのチケットを確認し、それが終わると僕達はバスに乗り込んだ。乗客は白人の老夫婦が多かった。若い人はあまり来ないだろうし、別に楽しくツアーに興じるというわけでもない。

 「オーケー、みんな揃ったわね。さて、これから私たちはアウシュビッツ強制収容所とビルケナウ強制収容所に向かいます。アウシュビッツまでは一時間くらい。そこでグループに分かれて見学をしたあと、今度はまたバスに乗りビルケナウに向かいます。そっちまでは大体十五分くらいね。クラクフに戻ってくるのは夕方頃。今と同じようにそれぞれの宿を回るから、解散は順次ね」

 

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 バスの車内は、これから世界最大の負の遺産へと向かう空気に深くどんよりと覆われていたが、かと言って皆が皆神妙な顔つきをしているというわけではなかった。笑顔も見られたし、どういうわけかピクニック気分に思える参加者もいた。僕は何にでも形から入るほうだから終始無言で硬い表情を崩さずにいた。パオロはイタリア人を見つけたようで、―その内容は僕にはてんでわからなかったが―会話に興じていた。

 「だいぶ暗い顔をしているな。大丈夫か」隣のジーノが僕の顔色を窺って心配そうに尋ねた。

 「別に調子が悪いわけじゃないですよ。ただこれから向かうところのことを考えると、こうして黙っているのが相当かなと。みんな呑気なもんですね。普通に笑ったりなんかして」

 「まぁ別にいいんじゃないか。誰かに迷惑をかけているわけでもないし、それぞれの思いを胸に抱いて向かっているわけだろう。それは自由さ」

 「でも場の空気ってものがあるじゃないですか」

 ジーノはさも愉快そうに言った。「はは、日本人はそういうのも尊重するって聞いていたけど、本当だな。でも今から皆が暗い顔を並べて葬式にでも行くような雰囲気が必要なわけじゃないだろう?そんな、笑ったらだめだなんて、それこそ集団統制の恐ろしい発想じゃないか。その恐ろしさをこれから見に行くんだろ」

 僕は言い返せずに口をつぐんだ。ジーノの言うことには一々説得力があった。それは彼の肩書が自然に人格や発言を肯定していることもあろうが、何より彼の、自分は絶対に正しいと信じている表情がそうさせたのだと思う。しかし不思議だったのは、それでいて彼の様子に僕を徒に非難する悪意を全く感じないことだった。

 

***

 

 僕は仕方なく窓の外へと目を向けた。クラクフという街はひどく美しかったが、こうして一つの街を少し離れると、広がるのはうら寂しい景色だけだった。僕は車に乗らないが、例えばたまの日曜に家族で郊外に買い物に出た時のような、そんな日本でもありふれた何の感慨もない景色だった。

 クラクフの街並みは僕のヨーロッパに対する憧れに十分以上に応えてくれ、思い描いていた通りのものであったが、それは同時に日本の卑小さ、特に芸術面での日本の遅れを痛感させるもので、僕をひどく落ち込ませるものでもあった。こちらには日常のその中に芸術が溢れており、そしてそれらは皆一様に華やかで、調和がとれていて、この雰囲気に囲まれて生活しているのだから彼らが芸術に強いのも当たり前だという気がしていたからだ。

 しかし,だからと言って負の面が皆無であるわけは到底なく、そうした美の陰にひっそりと、しかし確実に大規模に広がる負の面は却って只ならぬ哀愁と孤独を感じさせ、逆説的に僕を安心させた。いくら日本から遠く離れた世界であるとはいえ、各々の独特の建築様式といったことを除けば、それは完璧にパラレルなものではなく、あくまで延長に過ぎないものに思えた。そう考えると、翻って日本とヨーロッパがここまで似るのも不思議だなと思った。生活のシステムというか、街づくりというか、そういったもの十把一絡げが似通っていた。それがグローバリズムによって得られた意図された世界基準というものなのか、あるいは人間が自然にたどり着く必然なのか、僕にはわからなかった。

 窓から見える「オシフィエンチム」の看板がアウシュビッツに近付いていることを静かに示した。僕自身も知らなかったくせに、この本来の地名より、ドイツ語名であるアウシュビッツという方が有名で一般に使われることを歯がゆく思った。

 荒涼とした農村の広がるオシフィエンチムの景色は僕を酷く憂鬱にさせた。有名なゲートが見えるのかと目をこらしたが、どうやらまだ視界には入らないようだった。

 

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 車は駐車場に到着し、僕達はガイドに促されて車を出、レンガ造りの建物に入った。どうやらここが受付のようだ。僕達の他にもツアーはあるようで、辺りは人々でごった返していた。日本人らしき女性の姿も見えたが、話しかける気分にはなれなかった。修学旅行だろう、白人の子供の集団もいた。ポーランド人か、あるいはドイツ人かもしれない。ガイドブックによれば、ドイツの工学専攻の大学生の多くがボランティアでここに足を訪れるということだし、自国の罪を知るために小中学生が修学旅行でここを訪れるというのもありそうな話だった。ポーランド人とすれば僕達日本人が原爆ドームを訪れるのと似た趣旨であり、僕がポーランドに対して持つ親近感は、やはりこういう歴史的背景にも大きな影響を受けているのだろうなと思った。

 

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 時刻は十一時を少し回ったところで、十二時まで暫しの休憩ということだった。土産物屋があったがとても買い物をする気分にならず、僕は収容所の日本語パンフレットだけを買い、冷え切った体を温めるためにジーノ、パオロと三人でジューレックを飲んだ。このポーランド風スープがいつにもまして体に染みたのは、単に寒さのせいだけではなかった。

 

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***

 

 「さぁ、みんな集まったわね。これから皆さんにはアウシュビッツを見学してもらうわけですが、ここから先は十五人程度のグループに分かれてここ専門のガイドに付いて行ってもらいます。サービスセンターで端末とヘッドフォンを受け取って、それを身につけてください。チャンネルを合わせるとガイドの声がマイクを通して聴ける仕組みになっています。終わったらまたここに集まって、バスに乗ってビルケナウに向かいます」とガイドは笑顔で言い放った。

 アウシュビッツのガイドは体格がよく、目付きがしっかりとした白人男性であった。ここのガイドになる為には難関の試験を突破しなければならないらしく、近隣諸国の人も多いという。日本人のガイドも一人だけいるようだったが、二人も一緒だし、英語の勉強も兼ねてということで見送った。

 

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 センターを出てすぐ目に入ったのは、例の”ARBEIT MACHT FREI”のゲートだった。思ったよりずっと小さかった。これはドイツ語でWork Gives Freedom、「労働は自由にする」という意味であり、当時のドイツの一般的な労働標語で、日本語訳は中世ドイツの諺である「都市の空気は自由にする」をもじったものだろう。

 しかし、もちろん、実際には働けばそれに応じて自由になるということはなく、形式的に被収容者を鼓舞する物に過ぎなかった。待ち受けるのは死しか無かった。その真相を知った今ではいかにも虚しく感じられるその言葉だが、これを信じて労働に励んだ人々がいただろうことを思うと安易に虚しいなどということは出来なかった。

 それとも被収容者もこの門が詭弁に過ぎないことはわかっていたのだろうか。ARBEITのBが上下逆に、つまり上の方が膨らんでいるのは、これを作らされた被収容者のせめてもの抵抗の証とする説があるそうだ。

 

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 ガイドが険しい表情で僕達に語りかけた「ここアウシュビッツは、はじめポーランド人の政治犯を収容することを目的に作られましたが、次第に当初の目的を離れて、ユダヤ人、反ナチ、ロマ等を収容するようになりました。そのためあまり規模は大きくなく、被収容者の増加に従い作られたのが、第二アウシュビッツとも呼ばれるビルケナウです。そちらは完全にユダヤ人収容を目的に作られ、規模も凄まじく、作りも粗末です」

 

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 確かにアウシュビッツは思ったよりもこじんまりとした印象だった。高圧電流が流れていたという有刺鉄線で長方形に縁取られた敷地の中にレンガ造りの建物が整然と並ぶ。パンフレットによれば、その建物の半分ほどが博物館として公開されているようである。

 「うわ、これは……」

 まず初めに建物に入り、目を瞠ったのは被収容者から奪った大量の毛髪、カバン、メガネ、靴などの展示だった。それらがガラスケースの中に大量に積まれていた。

 

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 「これらは分別され、使える物は再利用されました。アクセサリーや金歯など、金に換えられるものは本部に送られて売り捌かれ、戦争の資金として利用されたわけです。」 

 「これは……ひどいな。一体どれだけの数なのか」パオロが信じられないといった様子で口を開いた。

 「でもさ、何だかこれだけ大量にあるのに、恐ろしいんだけど、寒気がするんだけど、何だか遠い世界のことに思えて実感が湧かないな。なんでだろう」僕も大量の靴から目を逸らさずに答えた。するとジーノが言った。

 「それは逆に大量に有りすぎるからだろうな。これだけたくさん、固まってあるとさ、『死』というものが一つの巨大な記号としてしか見られなくなるだろ。感情や背景が、全て度外視されてしまう。大量殺戮の怖さはここなんだ。十と百じゃ大きな違いだけど、十万と十一万じゃ、もうどれだけの違いがあるかわからないだろう?ただ『莫大だ』ということくらいしかわからない。普通の生活をしている人間にとっては途方もない数だからな。段々感覚が麻痺していく。本当はえらい違いがあるのに」

「確かにそうだな。でもこの死の奥一つ一つにはそれぞれの苦しみがあったんだよな」パオロが悲しげに言った。

「そうなんだよ。それを忘れちゃいけないんだ。俺はさ、前に言ったけど、アムステルダムアンネ・フランクの家に行ったんだ。アンネの存在は、日記が本として出版されて、そういう施設があって世界的に知られているだろ、でもその陰には、迫害されて収容所に送られ、そして殺された名もなきユダヤ人たちが大勢いたんだよ。アンネはそのうちの一人に過ぎないんだ。ここにある大量の靴の奥にも、その靴を履いて俺達みたいに普通に生きていた人がいて、その一人ひとりにアンネのような一人の人間としての生活や家族や友人があったんだ。そのことだけは忘れちゃいけないんだよ」

 僕とパオロは口をつぐんだ。ジーノは続けた。

「諸説あるけど、ナチスに殺されたユダヤ人の数は六百万にも上ると言われる。でもな、それは『六百万人が殺された事件があった』んじゃないんだ。『一人の人間が死んだ事件が六百万回あった』、そう考えないといけない。一人ひとりの人間の死に思いを馳せてみな、そうすればナチスのやったことがいかに恐ろしいかわかるよ」

 ジーノの言うことはもっともだった。しかし、人間の性として、自分とは無関係な他人の大量な死よりも、一人の身近な人間の死の方がよっぽど悲しく、辛いものだろう。そういうのを想像力の欠如というのかもしれないが、想像力というのも、結局はそういう遠い世界の話をいかに自分のことに引き寄せるかということで、結局他人のことは他人のことなのだろうか、と落胆する思いだった。パオロの言った感心と感動ということにも繋がるが、他人の死は理屈抜きで僕の心を打つものではなかった。それはあくまで冷静な、理性的な感情による間接的な悲しみに過ぎなかった。それはどこか嘘っぽく、粉飾され欺瞞に満ちたものだった。人格という高尚の衣を纏った虚栄でしかなかった。

 

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 次に訪れた部屋には、ヨーロッパの地図のパネルがあり、どこの国からどれだけの人数がここに送られてきていたのかを示していた。もっとも多かったのはやはりポーランド人であるが、東欧はもちろん、フランスなどの西欧、イタリアなどの南欧、ノルウェーなどの北欧と、ヨーロッパ全土に及ぶものだった。

 そのパネルの向かいには痩せ細った被収容者の写真があり、それはより直接的に僕の胸を打つものだった。彼らは収容の理由、国籍等で区別され、それを示すバッジが胸に付けられた。それによって待遇も変わるが、一番酷い扱いを受けたのはダビデの星をつけたユダヤ人だった。

 

***

 

 その建物を後にして、次は隣の棟に移る。ここは実際に人々が収容された房がいくつかあった。どこも何もない粗末で冷たい部屋だった。

 「暖房器具はあったんですか」僕は堪らずガイドに訊いてみた。ガイドは無言で首を横に振った。極寒の中こんなところに居ては体が持つ筈はなかった。

 そして最も恐ろしかったのは立ち牢というところだった。ごく狭いスペースに何人もの人が詰め込まれ、食事も与えられず、座って寝ることも出来ず、ただひたすら長時間立たされた。しかも、信じがたいことに、これは何か問題を起こした被収容者への懲罰のためではなく、単に見せしめとして彼らの体力を奪うために使われたということだった。労働力である彼らの体力をみすみす奪うようなことをなぜするのか。結局ナチスにとって彼らは使い捨ての道具でしかなかったのだ。

 外に出て五号館と六号館の間にあるのが、数多くの銃殺が行われた死の壁だった。

 

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 「これが今の牢がある棟のすぐ隣にあるのは、ここの銃声を響かせて恐怖心を高めるためだったと言われています。見て下さい、棟の下に穴が空いているでしょう。あれは音を中に入れるためのものだと言われています」ガイドは淡々と語った。

 「ひどいことするな」パオロが言った。

 「ほんとだよな。でもさ、毎日こんなところでそういう暗い過去を話すなんて、ガイドの心中もお察しするよな」僕は誰ともなく、話を変えるように呟いた。

 「まぁな。でもどの仕事もそういうものだろ。俺にもよくわかんないけどな」パオロが言った。

 

 有刺鉄線を出て少し離れた所にあるのが、いよいよガス室と焼却炉だった。

 

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 この場所の恐ろしさがそうさせたのかわからないが、寒気がして、頭がぼうっとして、どれくらいそこにいたかわからないほど一瞬のうちだった。

 思ったよりも狭く、息苦しく薄暗い部屋は、何の起伏も凹凸も無く、のっぺりとした長方形の箱で、それゆえに、ただ天井にぶら下がった偽のシャワーが不気味な存在感を放っていた。シャワーを浴びると言われた人々はここに裸で閉じ込められ、チクロンBという化学薬品によって殺され、そして隣の焼却炉で焼かれた。

 

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 「こんな恐ろしいことが、今から七十年前に、同じ人間によって行われたんですよね……」焼却炉を出た僕は茫然として言った。

 「そうだな。それも、一部の人間の狂気によって一過的に行われたんじゃない。ドイツという大国が計画的に、大規模に、戦争の間何年も続けたことなんだ。これは間違いだとかその程度で済まされることじゃないよ。一つの民族を迫害することを掲げた政党が圧倒的な国民の支持を得て、それを盾にこんな施設を作って公然と殺戮をしていたなんて、人間というものは恐ろしいよ」

 声が無かった。ドイツという国に恐怖を覚えた。人間はつくづく浅ましい生き物だと思った。自分の身を挺してまで他人を守ろうとする聖人君子のような者がいる一方で、何の罪の無い人々を無残にも殺す者がいる。これだけ振れ幅の大きい生物は無論人間だけだろう。しかし、翻って、そうした無償の愛と大量殺戮の裏に流れる共通項は無いだろうかと考える時、果たしてそれは一種の盲目な純粋さではないだろうかと思った。

 他人の為に何かをしようという奉仕精神は、しかし本当の意味で利他的な行為なのだろうか?往々にしてそれは自分の英雄的行為に酔う自己満足的な行為に過ぎないのではないだろうか。もし本当に完全なる利他的行為があるとすれば、それはあらゆる利害を無視した盲目的な行為であるとさえ言えるだろう。大量殺戮を理性的政策的に出来る人間がいるとは思えないし、思いたくもい。一部の狂気が巨大化し、後に引けなくなった盲目なのだろうと僕は思った。

 

***

 

 ツアー参加者の輪に入った。アウシュビッツツアーも終焉である。涙目の白人の老婦が僕達全員の疑問を代わってガイドに問いかけた。

 「でも……そもそもですけど、どうしてヒトラーユダヤ人を差別したんですかね」

 「それはですね、色々な俗説があってはっきりとしているわけではありませんが……。反ユダヤ主義への転向は十代後半から二十代前半にかけて五年間のウィーン時代に行われたようです。ヒトラーはある意味純粋で正義感の強い青年のようでしたから、マルキシズム、そして少数派であるユダヤ人にも当然関心がいった。でも初めから否定したんではなかった。むしろ彼らの過去や冷たい風当たりに同情する側だったんですよ。しかし当時のウィーンは、市長を筆頭に全体として反ユダヤ的傾向が強かったんです」

 「でもそれだけでこれほど酷いことをするとはとても……」老婦が応じる。他の参加者も固唾を呑んで言葉を待った。

 「いえ、もちろんそれだけではありません。ユダヤ人はアインシュタインマルクスフロイトをはじめ、優秀な人物が多い。20世紀初頭のドイツのノーベル賞受賞者の内、ユダヤ人は実にその二十五%を占めていたんです。人口はたったの一%に過ぎないにも拘わらず。ユダヤ人の中にはもちろん街を脅かす浮浪者のような者もいましたが、大部分は大都市に住み、高い生活環境の中、金融業や商取引等で名を馳せました。そうした彼らの活躍一切が純粋なヒトラー少年には好ましく思えなかったのかもしれません」彼はさらに続けた。

 「ヒトラーはご存知のようにオーストリア出身です。それだけに人種や民族に対する関心は元々あったんでしょう。ドイツの中での自分のコンプレックスがねじ曲がった形で現れてしまったのかもしれない。少数であるユダヤ人が大国ドイツの中で活躍する様に怒り、……というよりは不安に近いかもしれませんが、何かしら感じたのは間違いないのでしょう」

 僕にはこれが他人事に思えなかった。僕自身は純粋な日本人で、無神論者で、無宗教であり、普段からそういう民族だとか差別だとか考えたことも無かったし、差別意識も取り立てて無かった。無いつもりだった。それはひとえに日本が島国であり、基本的には単一民族から成り立つ国家であるからであった。北や南に行けば例外があるからそうもいかないだろうが、東京で生まれ、そして育った僕にはどうも遠い話にしか思えなかった。しかし実際に大戦中も半島に対する差別意識はあり、そして今もそれは残っている。一番に近い国であり、近年では積極的な交流が図られているが、一度関係が構築されると、かつて上に立っていたというプライドが割って入り、それが対等であることに只ならぬ恐怖を感じ、否定しようとする。かつては鎖国を敷き、他国からの人口流入が少なかった日本は、大戦を経たこの時代になって、そうした問題を抱えることになった。

 そしてそれは僕自身も同じで、例えばスポーツの試合で日本が負けそうになると、なんで日本があんな国に負けるんだと必死になり、そうしてその後で、そんなことを考えている自分に気付き、嫌になるものだった。それは単純な愛国心から来る応援ではなく、相手国に対する敵意と、親が子供を叱るとき、予期せぬ正当な反撃を食らった時に起こるような、日本があらゆる意味で上に立たなくてはいけないという焦りに他ならなかった。世論の風潮もそうで、その敵意は内にも及び、帰化した選手の活躍で勝利を得た時など、それを中傷する声すらあった。

 一方で、そうした敵意は、日本を大戦で負かし一時期占領していたアメリカにも向いた。最近では、小さい頃は何も考えずに楽しんでいたハリウッドの映画を観ている時ですら、あぁ日本は昔この国に負けたんだと思うと、どこか純粋に楽しんではいけないような気すらした。クラクフに来てアメリカ人教師と話す機会もあったが、その人物がどういった人かということを越えて、この人は大戦で負けた僕ら日本人を馬鹿にしているんじゃないだろうかという卑屈な思いが脳裏にあった。歴史を学び、先人の偉業や失敗を知り、それを今後に役立てることは何の異論も無く重要なことであり、アウシュビッツ訪問もその一つであるが、こうなると、最早歴史なんかそもそも知らない方がいいのではないかとさえ思ってしまうほどであった。僕が半島やアメリカについてこうしたねじ曲がった思いを抱くのは、かつての差別や占領の事実を知っているからで、そんなことを知らなければ何も考えず対等に接せられるのにな、と思うからだ。それがする側であろうとされる側であろうと、「差別や支配があった」という事実は事実で、であるならばそれには何らかの理由があるかもしれないし、何の根拠も無かったことであれ、間違いなく実際に経験している人が今もまだこの世界にいるのだと思うと、やはり意識せずにはいられなかった。実際、もし僕がユダヤ人と会う機会があったら、過去の歴史に触れていいのか、一切気にしない方がいいのか、同情したらかえって相手に悪いか、そんな余計なことを思うだろう。

 勿論、事実としてあった以上それを知る義務が僕達にはあるし、それを風化させていいはずもないということは理屈ではわかっていた。しかし、それは例えばイタリア人は皆陽気だろう、というようなステレオタイプと合わせて、皮肉にも異文化交流の際の弊害になった。

 アウシュビッツは一つの象徴に過ぎず、世界史上には数えきれない差別があったが、にも拘わらず差別意識が無くならない人類はなんて愚かなんだろうと思ったが、そういう僕も、日本に帰って日常の生活に戻れば、ここで見たことなんか忘れて、平気でそういうことを考えるのだろうかと想像すると悲しかった。結局人間は自分の身が一番かわいくて、それを守る為に意識的に敵を作るものなのかもしれない。

 ふと、小学校のときの担任の言葉が頭をよぎった。僕のクラスの生徒が小さな問題を起こし―それが何かは忘れたが―それが音楽教師の耳に入り、そのせいで音楽の練習が暫く中止に追い込まれた時だった。僕の学校では、全校生徒がクラスごとに吹奏楽をする風習だったのだ。僕のクラスの生徒は、一斉にその一人を糾弾した。いじめとまでは行かないまでも、それに近いものがあった。それは練習が出来ないことへの憤りというよりは、そうやって悪口を言うことで優越感に浸りたいというつまらない感情によるものだったと思う。一人の失敗がクラス全体のものになる集団責任は子供ながらに酷だと感じたものだが、彼とは別段仲良くも無かったし、彼を救うことで自分もその対象になることを恐れた僕は、皆と一緒になって陰口を叩いたりした。そうしてそれを見かねた担任がホームルームで言った言葉が、強烈な印象に残っていたのだった。「人っていうのが一番団結する時はどういう時だかわかるか。それはな、みんなが共通の敵を作った時なんだよ」

 それからどうなったかはよく覚えていない。しかし、その言葉はそれを言った担任の表情もあいまって、強い説得力を持って当時の僕の心を動かした。なるほどそういうものかと思った。そしてこうして大学生になって差別のことを考えると、本当にその通りなんだなと改めてその悲しい真理の存在を思い知った。結局、集団を支え求心力を得るための真理というのは、愛情だとか友情だとかそういう美しいものではなく、周りに対する共通の敵意なのかもしれない。大戦で劣勢を強いられたドイツが団結心を取り戻す手段が、ユダヤ人という少数者を共通の敵とすることだったのだろう。

 僕はそんなことを思いながらセンターに戻り、男性ガイドと別れ、音声機器を返却し、センターを出て、バスに戻った。ジーノやパオロと言葉を交わす気分にはなれず、窓の外に広がる荒涼とした大地を眺めた。

 

***

 

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 程なくビルケナウに到着し皆で揃ってバスを降り、門をくぐった。すると眼前には、今や先程のゲートと並んでアウシュビッツ=ビルケナウの象徴だろう鉄道引き込み線が伸びていた。先程と違い専門のガイドが付くことはなく、女性ガイドがそのまま僕達を誘導し説明した。

 

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 「列車がここに入ってくるとSSの医師ヨーゼフ・メンゲレが人々を労働に耐えうるか耐えられないかを選別しました。耐え得ると判断された者は収容所で労働、耐えられないと判断された者―主に子供や老人、女性ですが―はそのままガス室へと送られました。この選別によってどちらかが助かるというわけではなく、死ぬのが早くなるか少し後になるかの違いに過ぎません。厳しい労働の後殺される方が残酷かもしれないですね」

 ジーノが口を開いた「俺は映画で選別の様子を見たけど、そりゃ酷いもんだったよ。人々はみんな裸で、それをメンゲレが分けるんだけど、考えてる様子なんてありゃしないね。そりゃ膨大な数だからさ、一目見るなり一瞬でどちらかに分けるんだ。あんな適当に人間の生死が決まるなんて信じがたい。右か左か指差す姿はまるでクラシック指揮者かと思うほどの速さで、彼は死の天使と言われた。人体実験を牽引したのも彼だよ」

 「狂ってるな。そうとしか思えない」パオロが呟いた。

 「いや、でもどうやらそうでもないらしい。ナチスの掲げる人種主義の信奉者であったのは確かみたいだけど、やはり仕事の上でそうしてユダヤ人を殺すのが本当に正しいかどうかは悩んでたみたいだ」

 「……何だか、そうやって人間的な部分を聞かされると少し同情しちゃうけど、そんな同情の余地なんてこれっぽっちもないんだよな。世の中ってさ、そういう異常犯罪者みたいなやつらを、ある種の英雄とする向きがあるだろ?僕はそういうの見てると心底嫌になるんだよな。被害者のこと少しでも考えたら、そんなこと考えられないとおもうんだよな。いずれにしても、精神異常じゃなくてこんなことをするなんて、何だか夢みたいだよ」パオロが遠くを見るようにして言った。

 判官贔屓という言葉が頭を過った。普段真面目な顔をして社会の中で大人しく過ごしている人ほど本当は批判の対象となる反体制的なものに憧れ、しかし実際にそれを自分で行う度胸は無く、結果的にそうした犯罪者を英雄扱いすることになるのだった。加えてその犯罪者に少しでも同情すべき要素、例えば金銭的事情とか家庭環境だとか、そういうものがあれば、精神的に病んだ末の痛ましい犯行、日本人が好きそうなそれは一つのドラマになるのだった。僕はここまで分析している気分でいるが、勿論僕もその内の一人、いや、とりわけてその趣向がある者と言ってよかった。僕は白衣の男が優雅に腕を振る様子を頭に浮かべて憧れる自分がいることに気付いていたが、必死に否定しようと頭を振った。

 鉄道引き込み線を左に見て、僕達は立ち並ぶバラックの一つに入った。煉瓦造りのアウシュビッツと違い、こちらは極めて粗末な造りで、隙間という隙間から冷たい風が容赦なく吹き抜けて行った。中心には簡易式便所が備え付けられ、常に悪臭が漂い、被収容者に与えられたのは藁敷き程度で、加えて食事はパンと具の無いスープだけだったとガイドが説明した。「そうした極めて劣悪な環境の中で、死亡者は後を絶ちませんでした」  

 

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 バラックを出て、脇に赤いバラが並ぶ引き込み線に沿って歩き、それが途切れる場所の脇には、ガス室であったという無残な建物の残骸があった。敗戦の色を感じ取ったドイツは、戦後の裁判でこの収容所の悪行が明るみに出ることを恐れ、撤退の前に破壊していったとのことだった。

 そして、遠くに見える僕達が入ってきた門に向き合うように整然と並ぶのが、各国語で記された慰霊碑であった。そこにはこう書いてある。

 「ヨーロッパの様々な国の、およそ百五十万の男性、女性、子供、そして主にユダヤ人がナチスによって殺されたこの場所を、永遠に、絶望の叫びと人類への戒めの場とする。 

 アウシュビッツ=ビルケナウ 1940-1945」

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 (2011年夏 ぺんぎん)

 

騎士団長殺し。プラハの思い出。資源の入り組んだ仕分け。

 

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先日村上春樹の新作長編『騎士団長殺し』が発売された。

一応僕は村上春樹のファンである。勉強が忙しいので買うか迷ったが,買わないとかえって気になって困るということで結局発売日に買ってしまった。大学の生協に行くと,一応卒業生だからということもあると思うが,盛大な取り扱いを受けていた。

毎晩ちびちび読んでいるのでまだ第1部の半ばくらいである。以下若干ネタバレ感想。

 

【以下ネタバレ】

 

 

 

 

 

タイトルの『騎士団長殺し』は雨田具彦が残した不思議な絵画のタイトルだった。そして,「騎士団長」は大方の予想通り,モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』の騎士団長だった。彼は娘のアンナがドン・ジョバンニに襲われそうになるところを助けようとするも,殺される。しかし,最終シーンで,石像となってドン・ジョバンニを地獄に引きずり込む。

実は僕はこのオペラを観たことがある。あるといっても正式なオペラではなくマリオネット劇(人形劇)だ。チェコプラハを訪れた時,国立劇場で鑑賞した。その時の感想を抜粋する。

 <人形劇(マリオネット)

チェコ伝統芸能、人形劇。ハプスブルク家の支配を受けていた18~19世紀当時は都市部でのドイツ語の使用が強制されており、唯一チェコ語の使用が認められた人形劇を通して人々はチェコ語を守ったそうな。そういう意味でチェコ人にとっては特別な意味合いがある。

 僕は国立マリオネット劇場でかの有名な『ドン・ジョヴァンニ』を観劇。モーツァルトの楽曲をバックに、女ったらしのドン・ジョヴァンニが色々とやらかして、最終的に罰が当って墓に引きずり込まれてしまう、というお話。いやはや僕も気を付けないと。

一応日本語でのパンフレットもあって話の筋は概ねわかるのだが、話の構成も笑いの取り方も非常に古典的であって、娯楽としては正直あまり楽しめなかった。人形捌きは流石の一言で面白いが、長い間見てると飽きる。まぁ伝統芸能というのはおしなべてそういうものなのかもしれない。かと言って芸術性はどうかと言えば、人間が演じているなら細かな仕草や表情が楽しめるが、人形じゃそれもできないからかどうも底が浅く感じられた。曲ももちろん録音なわけだし。皮肉にも血の通った人間の良さというのを思い知らされた格好になった。

 と,残念ながら僕の芸術鑑賞能力が低くてそこまでは楽しめなかったようである。

ドン・ジョバンニが最初に公演されたのもプラハなようで,『騎士団長殺し』でも免色氏がプラハで観劇した旨発言している。そんなわけで,読んでいて感慨深いものがあった。

小説というのは「これは自分のために書かれたものだ」と思わせた時点で勝ちだと思うが,少なくとも僕はそう思わされているので,僕にとっては勝ちな小説である。

 

それにしても,開始して速攻セックスの話が出てきたり,奥さんが突然出ていってしまったり,北海道に旅行に行ったり,ユズという名前の女性が出てきたり,「色彩を持たない」免色という名前の人物が出てきたり,例えで高級娼婦が出てきたり,身近な人が若くして亡くなったり,主人公は相変わらずたくさんの時間があって,女にモテて,と,過去の彼の作品が色々とフラッシュバックする。

ネタ切れなのか,あえてそうしている(重層感を出すためあるいはファンサービス)のかわからないが,読んでいてニヤニヤしてしまう。

相変わらず名言もバンバン生まれている。ひとつは,あまり創造性は無いが高度のプロフェッショナル性を持つ肖像画描きの自分を皮肉っての「絵画界における高級娼婦」ダンス・ダンス・ダンスでもそうだが,彼にとって高級娼婦というのは一つの重要なメタファーらしい。そしてこのプロフェッショナルだけどつまらない仕事を淡々とこなすというのは例の「文化的雪かき」を思い出させるワードである。

それから僕が気に入ったのは「資源の入り組んだ仕分け」である。これは笑うしかない。相変わらずしょうもないクッサイ会話に溢れていて楽しい。

 

雨田具彦が第二次大戦中にウィーンに留学していて,そこでなぜか洋画から日本画に転じているというところが肝のようなのと,このオペラの歴史とかから,どうやら第二次大戦がメインテーマになっていくのかなと予想している。彼は前にはねじまき鳥で満州を扱っている。

僕がヨーロッパを回ったときは,「第二次大戦を理解する」というのを一つのテーマとして,縁のあるところを色々行った。

 

ワルシャワ…ドイツ軍によって破壊されたものの,復興を遂げた旧市街。ワルシャワ蜂起博物館

 

アウシュビッツ・ビルケナウ…言わずもがな

 

ドレスデン…壊滅的被害を受けたものの復興。ドイツのヒロシマと呼ばれる

 

ベルリン…壁や博物館,チェックポイントチャーリー

 

ポツダムポツダム宮殿近くのツェツィーリエンホーフ宮殿でポツダム会談が開かれた

 

アムステルダムアンネ・フランクの家

 

特にアウシュビッツは衝撃的で,それから関連の本を色々と読んだりした。ヒトラーはウィーン生まれなので,その意味でも雨田具彦のウィーン生活の内容がこれから解き明かされていくのだと思う。

そんなわけで,日々の楽しみとしてちびちび読んでいこうと思います。また感想を書きたいと思います。

国際結婚

僕は付き合うだけなら(英語か日本語で最低限のコミュニケーションが取れる限り)どこの人でも別に気にしない。しかし、結婚となるとやはり話が違うと思うのである

まず、やはり相手の国のこともきちんと理解して好きにならなければならないと思うのだが、気にしすぎでしょうか?あくまで結婚が二人の問題であるならそれこそ国籍は関係ないのかもしれない。国籍なんてその人の個性の一つにすぎない。しかし、相手の親戚や友人と関わることも多いだろうし、その時は相手の文化に合わせなきゃいけない。できれば言語も話せたほうがいいだろう。それから、その国へ渡航する機会も多くなるだろうし、もしかしたら住むことになるかもしれない。「国籍」というより、育った国の文化の存在はやはり大きい。

 

彼女に「あなたは自分が私より優れていると思っているでしょう?」と言われてしまって少し考えてしまった。そういうつもりは無かったのだけど、相手がそう感じているなら少なからずそういう素振りがあったのだろう。確かに考えてみると、①僕のほうが5つも年上、②一応よりよい学校に通ってた(ことによる相手からの期待に答えたいとのプレッシャー)、③「賢い人が好き」と言われたから知識をアピールしがちだった、④相手から強いアプローチを受けて付き合った、⑤元々すぐ人を見下しがちな悪癖がある、ということもあると思う。違う人に同じようなことを言われたことがあるのでこれは僕自身の内在的な問題だろう。

しかしそれに加えて、今回は⑥日本人であることへのねじ曲がった自負?があったように思う

正直に言って僕は日本がアジアで一番優れている国だと思っている。「優れている(superior)」というのは言葉のチョイスが良くないな。客観的に見ても少なくとも一番「発展している」「洗練されている」と思っている。そして、中国に対しては正直あまりいいイメージがなかった。日本人の多くが抱いているであろう「パクりなどのいい加減な文化」「マナーの悪さ」が主なところである。下に見ている向きがあったのは否定できない

しかしこれは先入観が多分に入っており、彼女と付き合ってから改めてきちんと中国文化に触れると印象はガラリと変わった。いい加減なところもあるが悪意はなく愛すべき性格だし、マナーが悪いのも、日本のように変なマナーを押し付けたりしないのびのびした寛容さ、他人は他人で自分は自分というサッパリした個人責任の文化がある。中国の文化や彼女の友達たちと触れていると自分が自然体でいられる感覚があった。そして、中国の人は身内には情が厚い国民性があるようで、一度仲良くなるとものすごく良くしてくれた。そんな彼らは建前を良しとするアメリカで張り詰めていた心の緊張をほどくような優しさと率直さで溢れていた

そんな思いで行った上海はものすごく楽しかった。思ったよりずっと洗練されていたし、屋台は自分の家のような安心感があった。人はみんなフランクで親切で、日本のような他人行儀さがなかった(日本では大阪に近い感じがした)。上海に住むのも悪くないなと思った。むしろ住みたいとすら思った

僕は尖閣を始めとした政治的問題についてはそこまで強い関心があるわけでなく、別にそこで中国と張り合おうとは思わない。経済成長には少し危機感も感じるが、できるだけ平和にやりたいと思っており、日中の摩擦や反日運動を見てると心が痛む。そして、たぶん僕がそうだったように、みんなきちんと理解したりコミュニケーションしたりせず、お隣への単純な反感とアジアにおけるプライドのために、メディアが伝える印象を利用して無責任に語っている面が大きいと思う。どこぞの団体のように「一緒に飲めば全部分かり合える」とは言わないが、話し合えば分かり合える部分は多いだろう。

一方で、彼女の強い政治的主張や愛国心をはばからない面に辟易することも時折あった。仲はかなり良かったつもりだが、若干険悪なムードになることもなくはなかった。仲が良かったからこそそうしたことも話せたわけだが、一定の緊張感は存在していた。

一度Uberに乗った時、アメリカ人の運転手に、どこから来たかと尋ねられた。僕は日本で彼女は中国だと言った。そうすると、運転手に「なんだって?でもお前らの国は仲悪いんだろ?付き合ってるのか?ユダヤ人とドイツ人が付き合ってたらどう思う?」と言われて驚いたことがある。そんな風に思われていたとは考えもしなかった。僕自身は別にそんな険悪だとは思っていなかったし、多分に偏見というのはどこにでもあるものである。

 

僕はこのUberの件はへーとしか思わなかったし、不快に思ったわけでもない。僕が言いたいのは、中国やある特定の国の人と結婚するのに否定的ということではなく、あくまで、その国のことをよく知らないで結婚するのは躊躇する、ということである。そういうことを考えるにつけても、結婚となると相手の国籍はやはり重要になってくるのでは、と思う。

といっても別にものすごく好きな国があるわけでもないし、国籍で相手を選ぶつもりもないが(それは最悪だし相手に対してとんでもなく失礼だと思う)、これからもしまた外国の人と付き合うことがあるとしたら、将来的にその人の国を好きになれるか、というのを考えてしまうかもしれない

アメリカはどうだろう。僕は別にアメリカがとりわけ好きというわけでもないが、一応1年半住んだし、英語だし、他の国よりはやりやすいかもしれない。しかし、僕は政治的にアメリカに敵意があるわけではないけど、相手の周りにそういう人がいるかもしれないし、相手との間でも全く無関係というわけにはならないと思う

そうすると、国際結婚でみんながハッピーということには中々ならないのだろうか。……いや、「みんながハッピー」とか言ってる時点で甘い気もする。そんなことは日本人同士の結婚でさえ簡単に適うわけでもない。そもそも、二人が本当に愛し合っていればそういう障害も乗り越えていける(むしろその障害が愛を深くする)だろうから、所詮は言い訳にすぎないのだろう。すぐ言い訳してしまうところも僕の悪癖の一つである

 

ただ、いかんせん僕と彼女はお互いのことを知らなさすぎたとしかいうほかない。彼女は日本のアニメや映画が好きでよく観ているけど、日本には2回来ただけだ。僕に至っては中国の映画なんて少林サッカーくらいしか観たことがないし、上海に1日行っただけである。ほとんど何も知らないに等しい。お互いの文化は尊重しようとはしてたが、お互い妙にナショナリスティックで自己主張が強いところがあった。日本で油そばに連れてったとき、せっかく少しは日本語を勉強してるのだからと"Why don't you say gochisosama when you leave?"と言ったらあとで"Why you force me to use Japanese?"と言われてしまった具合である。そんなつもりはなかったんだけど……

加えて、知り合ってわりとすぐ遠距離である。英語もお互いネイティブレベルとは言えない。やはりどちらかが相手の国に留学経験とかがあるのがいいのかなぁと思う。男女が分かり合えること自体困難なのに文化が違うとその難易度はより高まるのかもしれない。以上ダラダラと述べました。

 

映画『人喰い族』感想—単なるB級グロ映画かと思いきや,教訓に満ちたまともな映画だった。

 

TSUTAYAなどに行って「たまにはホラーでも見るか―。B級のスリラーもいいな」と思って棚を見てると必ず目に入るこの作品。タイトルのインパクトとジャケットの強烈な絵面に興味は湧くのだが,それがグロすぎて観る勇気は出ない。

※なお、有名な『食人族』とは全くの別作品です。

 

この度,気が向いたのでついに借りて観ることにした。

観始めると,演技の切れ目が悪く,音楽もワンパターンで「やっぱりこんなもんかな」と思った。一方で,あまりグロいシーンは出てこない。期待はずれだなぁと思った

その後さらに事態は思わぬ展開を迎え,更に期待はずれになり,「とんだクソ映画だわ」と思うのだが,どっこい,そこから更に急展開を迎え,目が離せなくなってしまう。

 

[ネタバレあらすじ]

人喰族

あらすじについてはこのリンクで確認してもらうとして,あらすじを補足の後ネタバレ感想を述べます。

 

 

※以下ネタバレ※

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[ネタバレあらすじ補足]

つまり,死体を作ったのはマイクで「なんだ人喰い族なんていねぇじゃん」ととんだクソ映画かよと思うのですが,その後原住民の若者が登場し、彼らが人を喰うシーンが出てきて,やはり人喰い族はいたことを知らされるわけです。

最終的にジョセフは病死,ルディ,マイク,パットは人喰い族に殺されます。グロリアは人喰い族の1人を助けたことで,その人喰い族に救い出してもらい,命からがら逃げ出し,ニューヨークに生還します。

最終シーンで,グロリアは「カニバリズムは存在しない」という趣旨の論文でニューヨーク大学から博士号を授与されます。

 

 

 

[以下ネタバレ感想]

この映画のテーマは,主人公のグロリアが言っているように,「白人主義・文明至上主義への反省と批判」です。

劇中では,マイクが原住民の平穏な生活に利己的な目的で入り込み,荒らし,さらには原住民を理不尽に殺してしまうシーンが出てきます。しかし,原住民を下に見ているのはマイクだけではありません。虫を食べる原住民を見て主人公の3人が気持ち悪がったり,マングースを身代わりに使うことに一応は納得しながらも,ヘビがマングースを襲う姿を見て(無責任にも)マングースに同情したりするシーンがあります。トラが小動物を襲うシーンもあります。

さらに,原住民や動物だけでなく,コロンビアの現地の人への侮蔑もあります。シャワーが無いと聞いてありえないといい,こんなところに来るんじゃなかったと言ってる冒頭のシーン,更にはニューヨークから来た警察が現地の警察に横柄に振る舞う最後の方のシーンががそれです。

 

すなわち,文明人たる白人(アメリカ人)の頭のなかでは

文明人・白人(アメリカ人)>南米の白人(ラティーノ)>原住民(未開人)>肉食動物>草食動物

という図式ができあがっていることになります。すなわち,ルディのセリフにも出てきましたが,彼らは強い者が弱い者を食らうという「弱肉強食」はやむを得ない自然の摂理であるとして,一応は納得しているのです。

しかし,「カニバリズム」には強い嫌悪を示しています。そんなバカバカしい話はあるわけないと思っています。ここで,なぜ「カニバリズム」だけこの弱肉強食の連鎖から外れるのかという疑問が出てきます。同じ人間の中ですら序列があるのだから,人間が人間を食べる,ということがあってもオカシクないはずです。

そもそもカニバリズムは明らかにおかしいものと本当に言えるのでしょうか?他者の命を食べるという意味では,我々だって,動物の肉を食べているわけです。肉食動物は,草食動物を食べています。それを見ても,もはや当然のこと,必要悪,自然の摂理として不条理だとは思わない。では,なぜ強い人間が弱い人間を食べる,となるとそんなのはおかしいとなるのでしょうか。

確かに,「同じ種族だから」とか「相手が可哀想から」といった意見はもっともだと思います。単に同族嫌悪というか「同じ(似ている)ものは気持ち悪い」というのはあるでしょう。しかし,動物の中には共食いを行う種族もいます。相手が可哀想だから,というのは他の動物にも当てはまるはずであり,人間だけなぜ特別扱いされるのかの十分な説明にはなりえません。

思うに,我々は「都合のいい想像力(共感力)」を使っているのではないでしょうか。すなわち想像力が真の意味で欠如していれば,人間も構わず食べるはずです。他方,想像力が十分にあれば,動物などを食べることもできないはずです。そのくせ,人間を殺したりするし,殺すことについてはその情状に接し,一定程度の共感・同情を覚えることも無くはありません。殺すのはやむを得ない場合もあるのに,食べるとなると強い拒否反応を示します。むしろ,「殺す」より「食べる」ほうが欲求に適っているといえるのに,です。実際,屠殺の現場を目にすると誰でも目を覆いたくなりますが,牛の肉は平気で食べています。

「いや,それは仕方ない,我々は動物の命をもらわなければ生きられない。弱肉強食だ」という批判もあると思います。しかし,別に動物を食べなくたって生きてはいけます。タンパク質は豆類から十分に摂れるし,実際に欧米にはベジタリアンやビーガンの人も多くいますが,彼らは普通に健康に生きています。

そうすると,「命あるものを食べてはいけないのだから,じゃあ植物や野菜もだめなはずでは?」ということになります。これに対しては「植物や野菜には意思も感情も無いのだから共感しようがない」という反論がありそうです。しかし,植物や野菜に意思や感情が無いことは科学的に証明されているのでしょうか?もしかしたら,植物にもこれらはあるのに,単にそれを(少なくとも人間に)伝達する手段が備わっていないから気づいていないだけかもしれません。「野菜にも命がありそれをもらっている」という殊勝な人もいると思いますが,多くの人は野菜に対しては罪悪感を感じないでしょう。これもある意味想像力の欠如なわけです。

植物には知性や感情があると考える科学者が急増(各国研究) : カラパイア

(実際に,植物に感情などがあるとの研究成果もあるようです)

 

さらに弱肉強食は仕方がないと思っているわりに,原住民がすっぽんの肉を食べているシーンは残虐で生々しく(文字通り生の肉を食べているからですが),視聴者は不快感を覚えます。しかし,我々(日本人を文明人の一つに加えても誤りではないと考えられます)もすっぽんを食べます。さばく姿を見ていないだけです。それに,馬刺しのように生の肉だってそのまま食べることもあります。つまり,実質的には同じことをしているのに「原住民がすっぽんを切り裂いて内蔵を取り出しそれをそのまま食べる行為は野蛮」と思っているのです。

それは結局,2つのものの異なった部分と共通した部分のうち,共通した部分を都合よく捨象して,異なった部分を都合のいいように大きく扱っているにすぎません。

 

劇中では,5人のアメリカ人に皆名前が与えられ,それぞれ見た目,性格とも大きく異なっているのに対し,原住民は(後述する例外を除いて)一貫して没個性的な存在として描かれています。名前が無いのはもちろん,皆一様に同じような姿で,言葉もほとんど発しないし,特徴的な動きもありません。ワンオブゼムとしか見てないわけです。

これは,我々が動物や植物,さらには「他の人種」など自分から遠い存在のものを「個性がない」存在として扱っていることを示しているのだと思われます。すなわち,個性がなければ共感のしようがないのだから,雑に扱っても問題はない,ということです。

しかし,アメリカ人の中で唯一,グロリアは彼らに個性を見出します。マイクに銃殺された少女,そして,逃げるように言った少年がそれです。少年は,実際にグロリアに助けられたことに恩を感じ,最終的に彼女を助け出してくれます。恐らく,これが,5人の中で唯一グロリアが生還できた理由でしょう。彼女は原住民を自分と同じ人間として見ることができたのです。

 

グロリアは,最後のシーンでニューヨーク大学から人類学の博士号と栄誉ある金メダルを授与されます。その論文のタイトルは,「カニバリズムーその神話の終焉」です。つまり,グロリアは論文で,自分の体験と事実に反し,カニバリズムの存在を全否定したわけです。

これは,単純に「あの惨劇を思い出したくない」というのもあるかもしれませんが,「文明主義・白人主義を反省し,原住民を尊重しそっとしておきたかったから」と捉えるべきでしょう。仮に論文でカニバリズムの存在を主張した場合,村に研究チームが入り,彼らの生活は脅かされるばかりか,殺人種族として抹殺されるかもしれません。しかし,それは結局文明人のエゴでしかすぎないわけです。そして,その「文明主義への反省」によって,文明のメッカたるニューヨークの名誉ある大学から,科学の博士号という文明主義の象徴ともいえるものを取得したのは,皮肉としか言いようがなく,グロリアの遠くを見るような死んだ目がその全てを物語っています。

 

「命を大切にしよう」というとごく月並みでありふれていて,単なる美辞麗句のようにしか思えませんが,残虐なシーンをもってそれを示したこの映画は,妙な説得力があるように思えます。 (なお,「原住民こそ人を殺し肉を食べているのだから命を大切にしていない」とも言えそうですが,無差別に殺しているわけではなく,遺体も丁重に扱っていることから,他の動物と同様必要性があるときにのみこれを食べている,と僕は解釈しています。侵入者や危害を加えた者の肉しか食べないのかもしれません)

僕はこの映画を観て「動物の肉は食うな」とは言いませんし,僕はこれからも食べていくと思います。この映画が言いたいのは,それよりもむしろ,「人間同士人種や文化が違っても尊重し合おう」ということだと思います。もちろん,それも結局人間のエゴであり,人間だけを特別視するのは上に書いたことに反するわけです。しかし,逆説的ですが,「まずは少なくとも同じ人間くらいは大切にしようよ」ということは言えるのではないかと思います。

他の人種の人を見ると,「みんなおんなじに見える」というのは結構あると思います。同じように,小さい赤ちゃんはみんなおんなじように見えるし,老人もそうです。つまり,「自分から遠いもの」はその個性がつかみずらいのです。

 

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ムルシエラゴ LP 670-4 スーパーヴェローチェ '09 - GRAN-TURISMO 6 (グランツーリスモ6) 攻略Wiki より)

この車を見て,「スーパーカーだ」と思うか「ランボルギーニだ」と思うか「ムルシエラゴだ」と思うか,「ムルシのスーパーヴェローチェだ」と思うかは,その人がどれだけこの車に興味があるか,知識があるかによって違います。ドイツ語の文章を見ても,僕はドイツ語はわからないので何が書いてあるかわかりませんが,英語ならわかります。同じように、他の人種の人でも,慣れてくると国籍の違いとかも予想がつくようになってきます。

つまり,これも月並みな表現ですが,「自分と違ったものを理解しようとする」というのが異人種間・異文化間では極めて重要になると思います。そして結局それは「命を大切にしよう」ということに戻ってくるのかもしれません。

トランプが大統領になり,人種間の軋轢が顕在化している今,鑑賞に値する映画だと思います。いい意味で騙されたなぁ。

 

※あくまで悪趣味なグロ映画です,殺人,動物虐待など不快なシーンばかりなので,鑑賞は自己責任で。

LDR

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(前に書いた記事にちょっと加筆)

留学生につきものといえばLong Distance Relationship、そう、遠距離恋愛である。日本においてきた恋人、留学先で出会った恋人を置いて日本に帰る……などなど。

Penn Lawの中でも、LLM生は自国に恋人を置いてきたという人が多かった。JDでも、アメリカは他州の院に進学することが多いからか、彼氏は◯◯州にいるよーということをよく聞く。この辺は日本と違いダイナミックである。

 

ぺんぎんも留学したり外国の人と付き合う機会が多かったせいもあり、今まで結構遠距離恋愛をしてきた。

カリフォルニアー東京、東京ーカリフォルニア、東京ー大阪、東京ーパリ、フィラデルフィアブリティッシュコロンビア、東京ーフィラデルフィア など…

国を跨いでばかりなので、日本国内なら最早どこでも近く感じるレベルである

 

留学しなくても最近はSNSを通じて知り合う機会も多いので遠距離もより身近になってると思う。僕が思うのは果たしてみんなどうやって続けているんだろうということ。

「離れていても心は一つだよね!」とはよく言うけど、物理的距離と心理的距離は比例する、なんていう研究結果をよく見る。顔を目にする機会が多いだけで親近感が湧くという心理学の研究もあるらしいし、物理的距離が離れれば心理的距離も離れるのはどうやら不可避らしい。

 

しかし、今の時代は恵まれていると思う。どこにいてもLINEですぐに連絡が取れるし、無料で電話もできる。テレビ電話だってできる。どれだけ離れてても、wifiさえあればクオリティも高い。会って話すのとそこまで変わらない。

古典的な遠距離恋愛小説といえば武者小路実篤の『愛と死』だろう。『友情』とあまりにプロットが似てるのでいつもごちゃごちゃになるが、夏子と熱々の書簡を交わすのはこっちでしたね。この中では遠く離れた東京とパリに住む二人が、お互いを思いあった手紙を送りあう。もうその語り口がものすごくて一気に読んだ覚えがある。

この小説がドラマチックなのはやはり手紙という形式によるところが大きい。昔は手紙か電報でしか連絡なんて取れなかった。リアルタイムじゃないし、書くのも大変だし、届くまでに時間もかかる。顔なんか見れない。

そう思うと今の時代がいかに恵まれているか。贅沢を言っちゃいけないよな、とか思う。

しかし、今の時代でもできないことはある、それは一緒にどこかに行くことだ。体験や感動を共有する機会がほとんどない。友達を紹介しあったりすることも難しい。そういう意味では、会話のネタが無くなるということが一番恐るべきことなんでしょうか。電話をしても、「最近どう?」といって、お互いに起きたことを話したりするだけだ。その近況アップデートを楽しいと思うかいちいち面倒と思うかが分水嶺という感じもする。

一方で、遠距離恋愛カップルの結婚率は高いというデータを見たこともある。離れている分大切にしようと思えるし、適度な距離感がそれぞれのプライベートな時間の確保に役立つからだろうか。そもそも、よほど好きじゃないと遠距離で続けようとすら思えないからだろうか。

 _______

残念なお知らせだが、かくいう僕も例の彼女と別れることになってしまった。あっちは結婚を真剣に考えていたようで、僕も将来的にそれも視野に入れはしていたのだが、ちょっとしたことでケンカして、それから「だいたいあなたは〜」というよくあるパターンである。よくあるパターンではあるのだが、ともかくコミュニケーション不足に尽きたなと。実はまともにケンカしたのは初めてだったのだが、僕が鈍感なあまり気づいていなかっただけで彼女の不満は溜まっていたようだ。それなら最後にまとめて言わないでくれよ……というのが男心ではあるが。14時間の時差と英語力の問題も大きかったし、僕の中国カルチャーに対する理解も浅すぎた。残念としかいうほかない。結構へこんでます。

「私はいつでもプロポーズされたら結婚する気でいるけど、あなたの将来に私はいるの?」と訊かれて、「おれもする気はあるはあるし、いると思う」「実は親にはもう少し話してあるの。じゃあいつ中国に挨拶に来てくれるの?」「……わかんないけど、少なくとも今年ではないし、、いずれにせよ、結婚するにしても就職してからじゃないと考えられない。それに国際結婚は二人だけの問題でもないからちょっとまだわからない」「わかった」

そんなこと言われても、まだ君20歳だし、お互い就職もしてないし、だいたい付き合って1年も経ってないし、気が早いのでは……と思ったが、なんでも直感で即決する性質と、極端なところがあるので、「今結婚の意思が明確でないなら別れる」、という結論に至ったのだと思われる

まぁそれはそれで彼女の判断であり、尊重したいし、へこんでても仕方ないので、気を取り直して勉強に集中したいところではあります。夏にアメリカ行く時期、どうしようかなぁ。

 

昔は良かった、バックパッカー。

 

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タイのスコータイにて

 

(前に書いた記事を投稿)

僕が大学に入ってバックパッカーを始めた時は、なんというか「みんな好きで旅行をしている」という感じがした。

2010年当時はSNSをやっている人は少なかったし、スマホを持っている人は少数派だった。実際、僕もtwitterもFBもやっていなかったし、スマホも持ってなかった。東南アジアに行った時はすべてのデバイスを置いて行った。

ネットに触れるのは、3日か4日に一度くらい、宿やネカフェでPCにありついたときだけだ。しかも、時間制限があったり、電波が悪かったりで、母親に無事を知らせるメールを入れて、mixiで友達に生存報告をするくらい。おまけに、日本語での入力の仕方がわからなかったので、英語やアルファベットのローマ字で打っていた。

宿ではやることが無いので本を読んだ。旅先で読む本はいい。今でも東南アジアで読んだ本(三島の豊饒の海)は大切な本になっている。そして、本に飽きたらただボーっとしたり、ふらりと屋台に行ったり、宿にいる人と喋って仲良くなって、一緒に飲みに行ったりした。

いい意味で「世界から隔離」されていた。日本のことや普段の生活のことは忘れて、その土地に正面から向き合っていた気がする。

 

************

 

しかしどうだろう、2年後の留学中にアメリカを旅行した時は、iPhoneとPCを持って行った。twitterも始めていたので、色々と報告したくて仕方ない。

街を歩いていてもスタバを探してはwifiにつなぎtwitterを開き、宿に着けばずっと部屋でiPhoneやPCをいじっている。他の旅行者もだいたいそんな感じ。全然その土地への没入感がない。

 

思うのだが、最近は、「バックパッカー旅行」とか「世界一周」とかが、いわゆるセルフブランディングのための道具と化している気がして仕方がない

つまり、就職の時などのネタとして、あるいは自分をブログなどで売り出すため、そのための道具として旅に出ていませんか、と。つまり、旅が目的ではなく手段となっていませんか、と。

確かに、長期間海外を一人旅をすることは、色んな人間性のシグナルとなるものではある。チャレンジ精神がある、好奇心が旺盛、危険に強い、文化や歴史に明るい、言語に強い、環境適応力が高い、コミュニケーション力が高い、などなど。それが評価されるのは悪いことではない。

 

僕も、バックパッカー旅行を単なる娯楽としては捉えたくなかった。「修行」というのは言い過ぎだが、苦労して一人で色んな困難をクリアしていくという、RPGというか、そういう挑戦とクリアの連続という、試練みたいな捉え方をしている。

しかし、別にそれでどうとかはない。根本的には、色んなところに行きたい、見たことない景色を見たい、会ったことのない人と会いたい、そういう好奇心がすべての原動力となっている。

 

これをブログに書くのもおかしいが、すべての元凶はブログだという感じがする。つまり、みんなブログで人気者になるために旅行してはいませんか、と。ブログのネタ探しのために旅行をしてませんかと。そんなのは本末転倒じゃないか?

世界一周ブログとかが顕著で、ああいうのはいわゆるライフハック系というか、なんとなく意識高い感じのものが多い。確かに情報がまとめられていたり現地の生の感想が見れたりと情報収集には大変便利な代物ではあるんだけど、なんかなぁと。元から書くことありきで旅行があるように見えるし、なんというか、小綺麗にまとめられすぎていて面白みがない。

旅行記なら、個人的には深夜特急みたいのが好きだ。多分自分が文学ファンだからなのかもしれないけど、ああいうふうに自分の内面と向き合って、延々と思考をして、それを赤裸々に書いているのが面白いし、それでこそ一人旅だ、という感じがする。

 

僕が一人旅にハマったのは、高校1年のとき京都と大阪に一泊二日で行ったのがきっかけだった。短い旅行だったし、その時は、ひたすら寂しさしかなかった。話す相手もいないし、体験を共有する相手もいない。金閣寺行きのバスを人間失格を読みながら待っていたら、死にたくなってきた(本のチョイスが悪い気はする)。

しかし、帰ってきたら、どうしようもなく楽しい旅行に思えてきた。関西が自分の中で特別な場所になった。それは恐らく、その旅行が自分だけのものだったからだろう。行き場を失った思いは、自分の中に深く沈殿していくのだ。

(いや、実は僕は当時もブログやってたんだけど、誰も見てない日記みたいなやつだったので)

同じことが、のちに読んだ深夜特急に書いてあった。この本が魅力的なのも、多分こういうところによると思う。

 

最近は何かにつけて「シェア」が叫ばれる。たぶんみんな寂しいんだろうな。こうしてネットが発達して、簡単に人と繋がれるようになったこそもっと繋がりたいし、でも所詮それはバーチャルだから満足感がないし、の延々ループ。旅行の感動を伝えたり共有したりすることは大事だよ。それでまた新しく旅行に出る人がいる。でもなんかなぁ、と思うのである。釈然としない感じ。この「なんかなぁ」、共感してもらえるでしょうか。

あれ、結局僕も共感求めてるやんけ……

 

お後がよろしいようで。単なる懐古趣味かもしれないし、自分次第で旅行はいくらでも楽しくなるだろうけども、最近のバックパッカーはなんか違う。無駄にキラキラしてる。もっと孤独と泥臭さがほしい。そんな風に思うぺんぎんであった。

New Year's Resolution

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(元旦恒例、親戚で行く某ステーキ)

だいぶ遅くなりましたが、昨年はお世話になりました。そしてあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

正月から5日間ほど祖母の家に泊まって勉強合宿していました。「何も言わなくても美味しいごはんが出てくる。洗濯もされている。ベッドメイキングもされている」という最高の環境でした。母親のいない自分には、祖母の小言さえも懐かしく嬉しく感じた。また行きたい。

 

さてタイトルのNew Year's Resolutionとは「新年の抱負」という意味である。

もちろん今年の抱負は言わずもがな、「司法試験合格」ということです。今年はチャレンジの年だ。

思えば、最近は毎年チャレンジの年だったなと思う。

2010年 大学入学、初めての海外

2011年 スタバと塾バイトの掛け持ち

2012年 カリフォルニア留学

2013年 ロー入試

2014年 ロー入学、留学選考

2015年 フィラデルフィア留学

2016年 バー受験

大学入試のときは、「これが人生で一番のチャレンジだろうな」とか思ったが、そんなことはなかった。まぁ、そういう道を選んだからかもしれないが、大人になって振り返ってみれば、大学入試なんてたくさんあるチャレンジの内の一つにしか過ぎないな、と思う。

恐らくもっとあとになって振り返れば、この5,6年間も「毎年何かしら目標があってよかったな」と思うかもしれない。目標がなくて漫然と生きているだけでは、そのときはラクかもしれないが、つまらない

司法試験後再びバーを受けるかは考え中である。就活がどれくらい続くかわからないからだ。だいぶ忘れている今、確実に合格するには2ヶ月の勉強時間が必要と思うので、ちょっとキワドイ。ただ、彼女に会いたいのと犬に会いたいという理由で、どちらにせよフィラデルフィアには行くことになると思う。

そういえば彼女が中国に帰省するついでに先月東京に来たので、久々に会った。毎日連絡しているのであまり久しぶりという感じもしないが。彼女が温泉嫌い(一人で入るのが恥ずかしいらしい)ということをすっかり忘れて大江戸温泉物語に連れてってしまった。あそこは楽しいが、ちと値段が高いですね

去年は本当に色々なことがあったが、その振り返りとかはまた今度気が向いたらさせてください

 

新年の抱負を叶えるにあたり僕も少し生活を改めた。まずはツイッターを辞めた。ツイ減ではなくツイ禁である。アプリもアカウントも削除した。

ツイッターをやっていない読者の方は「何をそんなもの」と思われるかもしれないが、僕にとってツイッターを辞めるというのは一大事である。SNSの中毒性・依存性というのは、一説では薬物にも匹敵するものであるらしい。リツイートとかされるとドーパミンがドバドバ出て、承認欲求が満たされ、多幸感が増すとかなんとか

今考えてみるとアメリカでもツイッターばかりやっていたが良くなかった。水村美苗が『私小説』の中で、アメリカでうまくいかない生活をしている中、唯一の心の拠り所が日本文学だったと書いていたが、僕にとってはツイッターだったのだ。ツイッターを通して日本や日本の友達とつながっていることが心の支えだった

しかし、いざ辞めてみるとそこまで禁断症状はでない。やはりスパッと何かを辞めてみるのはいいことだと思う。あれだけ毎日見てたのに、今のところそこまでしんどくない

実はその代わりにWeibo(中国版ツイッター。彼女に始めさせられた)を見るようになったのだが、ほとんど中国語で理解できないおかげで開いてもすぐ閉じる。天皇の平成31年退位についてはWeiboで知った

 

それから酒も飲まなくなった。去年は飲み会で結構時間が取られていたし、気分が良くなってつい夜更かししてしまう。この前はイタリアンバルに行ってジンジャエールを飲んでいた。

 

そんなわけで、今年もよろしくお願いします。

コロンビアでの日本人バックパッカー殺害事件を受けて/南米での過去の日本人死亡事件

www.nikkei.com

 

arcanaslayerland.com

今から2週間ほど前だが、大学生がコロンビアで強盗に殺害される事件が起きた。バックパッカーにとってまた衝撃的な事件が一つ増えてしまった。これを機に改めて海外での安全を考えたい。

 

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自分の経験から

僕も、初めて東南アジアに行ったときは、初めての海外で一人旅だったので、本当に気をつけていった。旅先で会う人はまず疑うようにしていた。

しかし、去年と今年にかけて南米に行ったときは、わりと気が緩んでいたなと思う。初めて友人と一緒に行って安心感があったというのもあるが、自分が旅慣れているという自信と、アメリカに1年暮らしたという海外への慣れのせいだと思う。

しかし、上のリンクの記事でも言っているように、この「慣れ」こそが一番恐ろしいと思う。「なんだ、意外と悪い人ばかりじゃないじゃん」という経験則を得ると「人を簡単に疑うなんてよくないな」と思うようになる。下手をすると、安全策を取っている人を見て「そこまで気をつけなくても大丈夫だよ」と、変に自信というか、先輩風を吹かせてしまうこともある。彼がどうだったかはわからないが、彼の死から学ぶべきなのはこういうことだと思う。

 

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中南米は危険なのか

中南米は危険というイメージがあるかもしれないが、一口に「中南米」と言っても広い。南米では今回事件が起きたコロンビア、ベネズエラ、そして中米ではホンジュラスエルサルバドルなどが最も危険と言われている。

 

実は、旅行先を考える時、中米も選択肢の一つだった。

「土地が狭くて一気に何カ国も行ける」「マイナーな国ばかりで面白そう」「中米を抜ける冒険感」が魅力で、メキシコからコロンビアまで行こうかなと思った。結局、あまり見どころが無いという理由で南米にすることにしたが、中米が本当に危険であるということも理由の一つだった。

そして、コロンビア(の首都ボゴタ)に行く案もあったが、2つの理由で却下となった。一つはエクアドルのキトから遠いこと、そしてもう一つは、「危険なこと」だ。

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http://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo_248.html#ad-image-0より

この外務省の危険情報を見れば一目瞭然だが、コロンビアは最低でもレベル1、そしてレベル3の地域もかなりある。

実は、中南米全体でもこれは異常なのだ。

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ブラジル、ボリビアなどは、案外真っ白である。

確かに、ボゴタや今回事件があったメデジンはレベル1であり、ここ自体は旅行で行く人も多い。しかし、陸路でベネズエラエクアドルに抜けることを考えた場合、レベル2や3の地域は避けては通れない。そして、コロンビアではバス強盗が多発しているという情報が山のようにあった。バス強盗はもう防ぎようがない。世界で色々とテロが起きている時期でもあり、怖くて行くのをやめた。

 

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南米での主な日本人の事件

南米も大都市を選び危ない場所は避けるようにしたが、例えば日本人が過去で被害にあっている場所は警戒する。やはり自分と近い境遇の人の事件は衝撃度が高い。

 

世界一周屋 ~ Go around the world!! ~: 【La Paz】 ラパスで置き引きに遭う

例えば、ボリビアのラパスは置き引き等が多発している場所である。荷物には最大の注意を払った。

 

世界一周旅行中の夫婦ブロガー死亡、アフリカでマラリア感染か? | ちほちゅう

それから、ラパスは有名な世界一周ブログ夫妻がマラリアで死亡した場所でもあった。

彼らはアフリカでマラリアにかかり、ラパスに来て発症したものの、高山病だと勘違いして(ラパスの標高は4000m)、そのまま死亡してしまった。

そういうわけで、ラパスはバックパッカーにとってはある意味で特別な場所だった。僕はアメリカで黄熱病の注射を打ち、マラリアと高山病の薬も持っていったが、少し気分が悪くなったりすると何かの病気かと思って冷や汗が出た。

 

ボリビアで邦人女性が事故死 | 2011/6/3(金) 16:01 - Yahoo!ニュース

更に、デスロードと呼ばれるラパス近郊の崖を自転車で下るツアーでも、日本人が崖に転落して死亡している。僕はツアーに参加するか迷ったが、結局命の危険を感じてやめた。

 

エクアドル新婚旅行殺人事件 - Yourpedia

そして、エクアドルグアヤキルは日本人の新婚旅行夫婦が殺害された場所である。実際、夜のグアヤキルは人通りが無く、店も閉まっていて本当に危険を感じた。入国時に「流しのタクシーには乗るな」という注意書きをもらった。もしかしたら殺されるかもしれないという危機感を常に持ってはいた。

しかし、夜にバックパックを背負って(明らかに旅行者とわかる格好で)一人で出歩いたりもしたのだから、何も無かったのは運が良かったという言い方もできる。本来ならば、夜に一人出歩くべきではないのだ。僕がもしそこで被害にあっていたら、僕にも責任があるだろうなと思う。

 

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バックパッカーの武勇伝自慢は危ない

バックパッカーはハプニングを自慢げに話しがちだ。

たしかに、「あんな危ない目にあったけどなんとか助かった」というのは冒険譚としては面白い。僕自信も、ちょっと危ない目にあったことを武勇伝的に友達に話したことが結構ある(宿で荷物を荒らされたとか)。

しかし、自分の警戒のお陰で防げたという教訓ならともかく、単に危ないことをして危ない目にあったが助かったというのは「運が良かった」に尽きる。例えば「コロンビアは危ないっていうけど俺は何もなかったからだいじょぶ。全然へーきよ」というのは本当に無責任だ。単にそいつが運が良かったに過ぎない

「きれいな場所だったし、俺は大丈夫だったけど、被害にあった人もたくさんいるから、もし行くなら本当に気をつけるべきだよ」と言うべきだろう。今回の事件は、そういう文脈で語られるべき教訓だ

 

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 今回の事件からの教訓

ただし、そういう危険な都市に行くこと自体を批判するのはどうかと思う。メデジン自体はレベル1だし、今回殺害された方を批判する気にもなれない。

確かに、

①電子機器(iPhoneタブレット、カメラだろうか)を見えるように使っていた

②ひったくりを追いかけてしまった

というのは彼の落ち度かもしれない。旅慣れていることで油断もあったのかもしれない。しかし、カメラ等を普通に首から下げている旅行者は山ほど見たし、初めから銃を突きつけてきたような強盗ならともかく、単なるひったくり(刑法的にはこれも強盗になりうるが)だったら、つい追いかけてしまうのもわかる気がする。初めての強盗犯が凶悪犯だったというのは、運が悪かったとしか言いようがない。

 

ただ、こういう事件を受けて旅行する人が減ってしまうのは悲しいと思う。確かにいくら警戒しても防げない事件はあるし、その発生度は圧倒的に日本より南米などの方が高い。ただ、気をつければ防げるものが多いことも事実だし、旅行は本当に楽しい。南米は本当に行く価値があるところだ。

ただ、こういう事件を教訓にして、日本人の危機意識が上がればいいと思う。

Matt Parker氏(Penn Law) の死に寄せて

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www.law.upenn.edu

 

8年間に渡りPenn LawのGraduate ProgramのAssociate Deanを務めていたMatt Parker氏が脳腫瘍で亡くなったとの知らせを受けた。

実は、亡くなったのはもう今から20日も前の11月6日だが、メールを見過ごしていたのと、FBをチェックしておらず、昨日ペンの先輩と話していてようやく知ることができた。

本当に言葉がない。まだ43歳だった。5月の卒業式のときはあんなに元気そうだったのに……。先月にMattが脳腫瘍でホスピスに入ったとの知らせを受けたが、それも驚きだった。まったくそんな兆候は(少なくとも僕が知る限りでは)見られなかったし、あんなに溌剌としていた彼が病にかかるということ自体もあまり考えられなかった。

彼はLLMを取り仕切っていて、本当にお世話になった。合格したときから個別にメールで書類などを送り、入学前の事務的メールも全て彼から来ていた。入学式では、ペンのネクタイをつけて、「世界で最も素晴らしい法教育機関に入れたことをお誇りに思ってください。一緒に素晴らしい将来を作りましょう」といったことを熱っぽく語ってくれた。そして「私をただのAssociate Deanとしてでなく、それ以上に思ってください。何かあったらいつでも頼ってください」と言ってくれた。

その言葉通り、Penn Lawでの生活は彼をなくしては成り立たなかった。Quizzo(フィラデルフィア発のクイズイベント)とか、学校のイベントのほぼすべてに関わっていた。事務的なメールがしょっちゅう来て、その後に、"And one more thing, have a great weekend"というメールを送るなど、とにかくユーモアに溢れた人だった。

それから、僕はLLM Committee(LLM委員会)に属し、Yearbook(卒業アルバム)作成の責任者だったので、その件でもお世話になった。一度発注の時に急遽お金が必要になり、チェックとかが必要で支払いのトラブルになったときは、個人的なカードで建て替えてくれたりした。

熊本の地震など、学生の出身国での災害やテロなどの事件が起きると、すぐにメールを来れ、何かあったらいつでも電話してください、ということも言ってくれた。

"Matt was a beloved figure in the Penn Law community, known for his kindness, intelligence, humor, and generosity."(Mattはその優しさと知性、ユーモア、寛大さで知られる、Penn Lawのコミュニティで愛されている存在だった)

とのDeanのコメント通りの人だったと思う。Penn Lawのフレンドリーで自由な雰囲気はひとえに彼の人柄に寄るところが大きかっただろう。僕は知らなかったが去年にはPennのGSEで教育学の学位を取得するなど、とにかく教育熱心で熱意と学生への思いやりに溢れた人だった。

彼のオフィスには家族との写真もあって、二人のお子さんはまだ小さかったようである。本当に残念としか言いようがない。

1年と短い間だったけど、本当にお世話になりました。この場を借りて、Mattのご冥福をお祈りします。

FFVIIを英語版でやる。

今年の1月頃に書いて放置していた記事を今更投稿します

 

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(ゴールドソーサー。音楽が懐かしすぎてリアルに泣きそうになった)

 

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(懐かしのGバイク)

 

こっちに来てから日本への恋しさか、昔好きだったものに対する懐古の念がものすごい。去年は一番好きなドラマである白い巨塔を一気見したりしてしまった

 

今年に入って、どうしてもゲームがやりたく、でもテレビ買うのもめんどいしな、と思ってたら、なんとFFがiPhoneでできるではありませんか!!

早速買ってしまいました、IXと迷ったけど、VIIにした。

FFの中でも名作とされる本作。まぁ説明はいらんでしょう。僕も子どもの頃ハマった。僕はゲームといったらFFで、今まで1,2,6,7,8,9,10,10-2とやってきた。オンラインが嫌という理由で11をやらず、それから離れてしまったのが残念。

 

さて、普通に日本語でやろうと思ったのだが、App Storeがこっちなので英語になってしまった。まぁ英語の勉強がてら、ということで英語版でプレイ。

英語版でプレイして気づいた違いは以下のとおり

 

1.世界観によりしっくりくる

FF7の世界観は近未来の科学が発達した世界。そして、登場人物は、日本か中国ぽいユフィや動物のケットシーレッドXIIIを除いては全員欧米系の顔と名前である。ヴィンセントとかは普通にある名前だし。

てわけで、英語の方がなんとなくよりしっくりくる。

 

2.キャラ立ちが悪い

やはり日本語の方が話法というか、喋りに出る個性の幅が大きい。

例えば、バレットは江戸弁というかぶっきらぼうな男言葉で、英語でもain'tとかgoddamとかyoとかが多用されて、まぁ雰囲気は出ている。

しかし、エセ?関西弁を使うケットシーの喋りは全然再現できてない。当たり前だけども。英語の個性って訛りには出るけど、語尾とかはそんなないんじゃないか。しかも、イギリスとかのガチ方言だとアメリカ人でも理解できないだろう。関西弁って、標準語と全然違うのに日本人なら理解出来るって意味ですごい言葉だと思う。

てわけで、ケットシーのあの独特の胡散臭さが出てない。

その他、シドはまぁまぁ再現できてるけど、ユフィは微妙だし、どちらにせよ過去にプレイした記憶の脳内補完でなんとかなっている感じではある。

 

3.魔法の名前が残念

FFの魔法は主に英語を基にしている。ファイア、サンダー、ブリザドとかはその典型。

英語版だと、それぞれFire, Bolt, Iceとなっている。サンダーとブリザドはそのままthunderとbrrizardじゃダメなんですかい?

あと、ケアルはcareから来てると思うのだが、CareではなくてCureになっている。まぁ、「治す」という意味ではこちらの方が確かに正しい。

生き返らせるレイズはLifeである。Raiseだと若干意味が違ってしまうので、まぁこれもわかる。命名するとき、元の名前と英語とで苦しんだであろうことが推察される。

で、まぁ命名はともかくとして、残念なのは発展系の名前。

FFでは、原則として、

ファイア→ファイラ→ファイガ

ブリザド→ブリザラ→ブリザガ

のように、強くなると語尾がラ→ガと変化する。

 

しかし、英語版だと、なんと

Fire→Fire2→Fire3

Ice→Ice2→Ice3

なのである。これではあんまりである。

ラとかガとかのあのちょっとずつ強くなってく感じの響きがいいのに。Fire3ってなんだよそれ。

Fire→Fira→Figaとかじゃダメだったんですかい?英語話者はこれじゃ意味不明…?

 

※とか思ってたら、どうやらFF9や10は

Fire→Fira→Firaga

Brizzard→Brizzara→Brizzaga

となっているようです。

日本語を固有名詞として尊重しつつ、英語としてもわかるように苦心した結果が伺われます、はい。

  

4.召喚獣やリミットはだいたいイケてる

召喚獣は、だいたい名前も技も英語由来なので、まんまである。Mega FlareとかHell Fireとか。カタカナより英語の方がかっこいい。

そして、バハムート改はNeo Bahamutとか、バハムート零式Bahamut ZEROだとか、「あー英語だとこういうのねー」というのもあって面白い。

 

リミットもだいたいのキャラの技は英語由来なのでそのまま。ClimhazzardとかFinal HeavenとかCatastropheとかCosmo Memoryとか。

ただ、エアリスとユフィは日本名が多いので少し問題が出てくる。

まず、

癒しの風:Healing Wind

大いなる福音:Great Gospel

血祭:Bloodfest

この辺は、まぁ日本語を英語に直しただけで、読んでも「あぁあれだな」とわかるレベル。どっちでもそんなに変わりはない。

 

しかし、残念なのは、漢字使いまくりの日本語独特の技。

例えば、ユフィの最強技の「森羅万象」は、

"All Creation"

いや、そうなんだけど…そうなんだけど…あってるんだけどさ…、という感じだ。「森羅万象」という熟語の持つ全てを総合して超越した感じは出ていない。

ユフィは「明鏡止水」とか「盛者必衰」とか四字熟語が多いので、英語だとちょっと残念になる。

 

そして、みんな大好きなあの技はどうだろうか。

そう、主人公クラウドの最強のリミット技であり、15回の乱舞攻撃という爽快さとその名前の究極的厨二性から圧倒的人気を誇る、「超究武神覇斬」である。

英語ではなんというかというと…

 

"Omnislash"

 

うーん。なんか物足りない……。

"Omni"はOmnibusとかで使われるように、「全ての〜」の意味なので、直訳すれば「総合斬撃」くらいなもんだ。いまいちパンチが足りない。

超究武神覇斬」という、「ひたすらカッコイイ言葉を集めました」みたいなしつこいほどのカッコよさが出てない。

いっそ、 Ultimate Ultra Samurai Slashとかはどうだろうか。うーん、これでもなんかダサいか

 

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とまぁこんなことを言ってたら、色々忙しくなってしまい途中で辞めてしまった。なんか、色々な思い出が蘇って辛くなったのもある……

司法試験が終わって暇になったら続きをやりたいところ。めっちゃゲームやりたい……。

日本に帰ってから突然EDMが好きになった事件。アメリカにいるオジサンたちもEDMを聴こう

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このブログで度々ライブのレビューや歌詞和訳をしてることからもわかるように、僕は根っからのロック好きである

アメリカではMuse, The Jesus and Mary Chain, The Stone Roses, Franz Ferdinandとロックのライブに行き、日本に帰ってからはサマソニRadioheadやAlexandrosを見た

 

pennguin.hateblo.jp

この記事でも書いたように、アメリカはEDM (Electronic Dance Music) とポップミュージックが全盛で、ロック好きには人権は無かった。クラブ文化があるのでわかるが、レッチリとかニルヴァーナとかストロークスとかビッグバンドを輩出しといてこのザマかい、と何度も愕然としたものだ

ホームパーティやクラブでも流れるのは当然EDMばかりで、全然音楽を楽しめず、家に帰ってから逃げるようにミューズやオアシスを聴きまくってたのは苦い思い出である

 

それでも「食わず嫌いは良くない」と思い、何度か流行ってるEDMを聴いてみたのだが、途中でリアルに気分が悪くなり、全部同じ曲にしか思えず、すぐに聴くのをやめた。深刻なくらいEDMに対する生理的な拒否反応があった

 

それがどうだろうか、日本に帰って改めて聴いてみたら、なんかしれないけどハマってしまった。今では自分でApple MusicでEDMベストのプレイリストを作り、そればかり聴いている

 

何でか色々自分で理由を考えた。考えられるのは以下の2つ

 

天邪鬼

 

要するに、アメリカでは周りがEDMばかりだったからそれが嫌だったけど、日本ではそこまででもないので、むしろ日本ではやってるしょうもない曲から逃げたのだろう、と思う

 

アメリカが恋しい

 

EDMを聴くとアメリカでのパーティとか、それにとどまらず、アメリカの空気感そのものを思い出すことができる

まぁ色々苦い思い出ばかりなんだけど、往々にして思い出というのは美化されるもので、なんだかアメリカ良かったなぁ、帰りたいなぁ、と思っている

 

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さて、アメリカでクラブの音楽がちんぷんかんぷんでイマイチ乗りきれない人は多いと思う(特にローやビジネススクールに来てるオジサンたち)。そこで僭越ながら少しオススメを紹介する

とりあえず超絶初心者が押さえておくべきアーティストは以下の5つだと思う。とりあえずこいつらを押さえれば知ったかぶりできます

 

Avicii


Avicii - Waiting For Love (Lyric Video)

  


Avicii - Dear Boy

世界のカリスマDJ。ちょっと前にやっと来日を果たして、それから引退したらしい。元オアシスのノエルさんとやりあった(ノエル「ゴミ音楽大量生産しやがって」アヴィーチー「老害は黙っとけ」て感じ)ことでも知られる

ロディアスな歌ものが多く、とにかく聴きやすい

縦ノリのところが「いかにも」で、ダサかっこいいという感じである(またこうやってすぐdisる)。ロックでいえばアジカンとかグリーンデイみたいな感じかね

 

 

David Guetta


David Guetta - Play Hard ft. Ne-Yo, Akon (Official Video)


david guetta - titanium

フランスのイケメン野郎。Titaniumは日米問わずクラブで聞き飽きるくらい聴いた

この2曲からもわかるように、耳に残るパンチの聴いた曲が多い。盛り上がるには最強

 

 

Zedd


Zedd - I Want You To Know (Audio) ft. Selena Gomez

 


Ariana Grande "Break Free" (Lyrics) ft. Zedd

ドイツから来たイケメン野郎。アメリカ在住だったが、トランプが勝ったことで嫌気がさしてアメリカを脱出するらしい。セレーナ・ゴメスの元カレとしても知られる

上の二人に比べると、もう少しアーティストっぽいというか、音が素直にかっこいい曲が多い印象

Break Freeはアリアナとフィーチャリングした曲。僕はアリアナは結構好きで聴いてたのだが、この音はいい。気持ちいい

 

 

LMFAO


shots LMFAO lyrics


Party Rock Anthem - LMFAO [OFFICIAL LYRICS]

アメリカのエレクトロデュオ。それ以外はよく知らない

特にShotsのほうは死ぬほど聴いた。クラブに行って流れない日はない。Shots〜からeverybodyのところは鉄板である

 

 

Justin Bieber


Justin Bieber - Sorry (PURPOSE : The Movement)

おなじみのスーパーアイドル。この曲は去年から今年にかけてアホみたいにかかり、やはり死ぬほど聴いた。本当にアホみたいにかかっていた。アメリカでは一度も自分の意思で聴いたことはないのに、アメリカの思い出の曲となっている(ちなみに、前回の留学のときはCall Me Maybeだった)

クラブもそうだし、他のお店とかでも彼の曲はよくかかっている

 

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さて、EDM初心者が流行ってる曲を押さえるのは簡単である。僕はApple Musicを主に使った

  1. まずは「EDM 初心者 DJ」とかでググって出てくるサイトがまとめてるアーティストや曲をApple Musicで片っ端からダウンロードして、プレイリストに放り込む
  2. さらに、そのアーティストのSongsの上の方にある曲を片っ端からダウンロードして、良さそうなものからプレイリストに放り込む
  3. そして、気に入ったアーティストがあったらそのEssentialsのプレイリストをダウンロードして、色々聴いてみる
  4. とりわけ気に入ったアーティストの下に出てくるSimilar Artistsに飛ぶ
  5. あるいは、"Best EDM 2016"とかのプレイリストを聴いて、良さげな曲を見つける
  6. クラブやなんやらで曲に触れる機会があったら、SoundHoundでチェック

この方法を2週間もやると、だいたいの有名所の曲は押さえられる

Youtubeの再生回数上位から聴くのもアリだと思うが、僕は勉強しながら曲を聴いてるので、ほぼApple Musicに頼った

ロックと違って、特定のアーティストばかり聴くよりはそれぞれの有名曲をつまみ食いする人が多いと思う。Apple Musicの神っぷりに感謝

 

そんなわけで、「EDMなんてチャラいアホが聴く音楽じゃん。だせー」という気持ちはよくわかるが、アメリカでは共通言語であるので、みなさん聴きましょう

 

NY Barの反省会と、今後受験される方へのアドバイス

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ということで、少し冷静になって、敗因を検討してみる。実はだいぶ前に書いていたが、大統領選とかがあり投稿が遅れてしまった

 

思うに、バーの受験に際して合否を分ける要素としては、以下のものが挙げられると思う

  1. 勉強を始める時期
  2. LLMでのバー科目の履修
  3. 勉強時間(勉強量)
  4. 勉強の方法や効率(時間配分)
  5. 問題演習量
  6. 地頭
  7. 英語力
  8. 実務経験の有無

考えてみれば僕は半分以上が欠けていたな、と思う。以下それぞれについて書いていく

 

1. 勉強を始める時期

バーの勉強は卒業後のバーブリの開始時期から始めるのが通常と言われるが、そうすると正味2ヶ月しかない。これで足りる人もいるだろうが、僕は足りなかった

僕はファイナル終了後もエッセイを書いていたし、卒業アルバム編集の仕事があったり、友達とラスベガスに行ったり、卒業式後は父とNYに行ったりで、結局、勉強開始はバーブリ開始と同時だった。遅くともファイナル終了後、できれば在学中からこつこつやっておくべきだった

 

2. LLMでのバー科目の履修

ローの勉強とバーの勉強は異なるとはいえ、ローでやっておくに越したことはない。例えば、中国の若手はバー科目で履修を固めたりする

バー受験の要件は、①米国法基礎、②リサーチ・ライティング、③法曹倫理、に加えて、④試験科目6単位、である

僕はCorportions, Evidence, Contractsで合計10単位取っており、比較的多いほうだったとは思うが、難解なCivil ProcedureやReal Property、あるいはConstitutional Lawを履修しておくべきだった

 

3. 勉強時間(勉強量)

試験勉強を始めてからは、コンスタントに10〜11時間くらいは勉強していたので、勉強時間はまぁ足りていたと思う。メシ・シャワー・トイレ・犬の散歩以外は勉強する、という生活だった

 

4. 勉強の方法や効率

勉強の方法

僕が取った方法は、基本的に、

  1. アウトラインを読む
  2. 講義を聴く
  3. Assessment問題を解く
  4. 自分でアウトラインをまとめる・MBE問題とエッセイを解く・MEE用の論証をまとめる・適宜アウトラインや先輩から貰ったレジュメを暗記

という感じである。オーソドックスだし、特に問題があったとは思わない

自分でアウトラインを作るのは時間を食うので賛否あるだろうけど、自分でまとめないと頭に入らないタイプだったので、個人的には役に立ったと思っている

Smart Bar PrepのHighの論証を中心にMEE用の論証をまとめたのも個人的には良い勉強だったと思っている。やはり、覚えるべきことをまとめて何度も繰り返せるようにするのは大事だと思う。エッセイに関しては、知識量はこれでほぼ足りていたと考える

ただ、バーブリのAssessment問題は解かなくてよかった。認知心理学だかなんだかに基づいて記憶に定着しやすいように作られたらしいが、難しいし、調べながらだとやたら時間がかかる。「バーブリの要求にきちんと応える」ということを最低基準にしていたのでできるだけやるようにしたけど、ここは飛ばしてよかった

 

効率(時間配分)

日本人の人の多くは、「バーブリのMBE模試まではほぼMBEのみやり、それからエッセイに着手する」という方法を取られていた

僕は、エッセイに不安要素があり(何も思いつかずに何も書けなかったらどうしよう、という不安。かといってMBEが大丈夫というわけではないのだが)、エッセイにも結構時間を使っていた。もちろん、エッセイは配点の50%を占めるし、MPTも準備の有無で差が出るのでやるのにこしたことはない

しかし、MBEの方がやった分だけ得点に反映されやすいし、自習していても得点が出るため、モチベーションへの影響が多い。そもそも、MBEで最低130〜140点は無いと合格はおぼつかない

そういう意味では、もう少しMBE中心にやるべきだったかもしれない

 

5. 問題演習量

MBEは結局1400問程度しか解けなかった。結果、MBEは120点台だったので、ここは明らかに勉強量が少なかったと思う。やはり「2000問解く」というのは一つの目標としては基準になるな、と思った

Assessmentの時間をこちらに回すべきだったろうし、前述したように、エッセイよりMBEにもっと時間を割くべきだった

 

6. 地頭

地頭はあまり良くない。高校まで公立校でのほほんとしていたのもあるし、大学受験の戦績からしても、地頭が良いとは言えない

 

7. 英語力

英語力が決定的に足りていなかったと思う

一応スピーキングについては日本人の中ではそこそこできる自信があったしリスニングについても、バーブリの講義は聴き取りやすく、授業がわからないということはなかった

しかし問題はリーディング・ライティングである。特にリーディング

元々帰国子女ではなく、留学時のTOEFL103点というのが低いというのもあるが、留学先で改めて英語の勉強をすることをしなかった。リーディングも結構サボっていた。初めは、「これは訓練だと思ってケースブックもしっかり読もう」と思っていたが、内容の難しさから、ケースブリーフとかに逃げていた。これが良くなかった

日本人は読み書きは得意、とは言われるが、やはりアメリカ人には遠く及ばない。特に読む能力が欠けていた。MBEでは短時間で大量の英文を読み、理解しなければならない

 

8. 実務経験の有無

これは知識面というよりも、「法律英語に触れた量」の違いという意味である

夏に某外資系事務所でインターン的なものをしたのだが、契約書の和訳や英訳をした。内容は難しかったが、先生方は「これくらいはさっと読めるようにならなきゃだめだよ」とおっしゃっていた

大体弁護士5年目くらいで留学に行くというから、弁護士の人はこういう業務を毎日のように5年間もやっているわけである。英語で法律文書を読んで、書くということを5年もやっているのと、1年大学院で勉強しただけでは、やはり差があると思う

 

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もちろん他にも色々な要因があるし、上の要因の割合も違うだろうけど、実はバー対策の2ヶ月での違いは8つ中3つしか無い。とすれば(こんなことを言っては元も子もないが)、 対策を始める前に半分以上勝負は決まっている、とも言える

というわけで、「2ヶ月でやる」というのは、はじめから英語力などが備わっている人向けで、そうでない人は、LLM在学中からできることをやっておくことを勧める

 

具体的なアドバイは、

  • LLMでできるだけバー科目を履修する(出来たら、難解なProperty, Civ Pro)
  • 英語の読解力を上げる(ケースブックなり新聞なりを頑張って読む)
  • 英語の書く能力を上げる(練習)
  • バーの勉強を早めに始める
  • とにかくMBEの問題演習をこなす

こうしてみると、「何で僕も早くやらなかったんだろう」と思うんだけど、あのときは精神的に色々参っていたのでどうせできなかったと思う。なので、これは言い訳という意味ではなくて、今後受験する人のためのアドバイス、という趣旨です

 

さて、他にも思いついたらまた書きます。今後受験される方の参考になりましたら幸いです

アメリカ大統領選の結果を受けて、感想めいたもの


Donald Trump's victory speech in full – video

 

なんとトランプが勝ってしまった。なんだかんだ言ってクリントンが勝つと思っていたので、驚いてる

そしてそれは皆さんも同じだろう。NYTですら、開票開始時は80パーでクリントンが勝つとしてたのだ。選挙前の予想なんて信じられたものじゃないことが証明されてしまった

 

結果の原因

今回の結果の原因は色々書かれているのであえて僕が書く必要は無いだろうが、感想的な感じで書いておく

 

隠れトランプが思いの外多かった・ポリコレへの疲れ

やはりトランプ支持を表明することは自分が差別主義者と表明することにも繋がりかねないので、表立って言う人は少なかった

また、エリート白人層では、僕が以前書いたような「白人差別」を受けて、こっそりトランプに投票した人も多かっただろう

「アメリカは権利意識が高くてすごいなぁ」と僕も常々思っていたが、恐らく彼らもそれに疲れていたのだろう。人種宗教階層関係なくみんなが平等というのは理想だが、やっぱりそれは不可能だと少し諦観を感じる

アメリカ人は、周りにどんな人がいるかわからないので、普段はマイノリティとかをバカにする発言はできない。特定の国の悪口も言えない(目の前の人がそことのハーフかもしれない)。でも、人間そんなキレイなものではない。たまにはブラックジョークとかも言いたくなるだろう。そういうののガス抜きがFamili Guyとかのブラックなアニメだと思っていたが、それだけじゃ足りないということだろう。発言をするたびに神経を使っていて、擦り切れてしまった(あるいは、トランプを見ていてその必要性に疑問を感じた)のがこの結果かもしれない

 

ノリで投票してしまった

Brexitのときもそうだったけど、「まさか当選しないだろう」と思ってノリでトランプに投票してしまった人が結構いたのかもしれない

 

我々が見ていた「アメリカ」はアメリカの半分でしかなかった

確かにそうなのだ。結局、日本人が知っているアメリカというのは旅行や仕事で訪れる都会(カリフォルニア沿岸部、NY、DC、ボストン、マイアミ、オーランド、シカゴなど)あるいは、それにプラスして有名大学がある大学街(アナーバー、イサカとか)だけであって、それ以外の南部や中西部のことは、映画でくらいでしか知らなかったのだ

僕にとっても、以前留学していたカリフォルニアのYolo County、そしてこの前までいたフィラデルフィアは、どちらも8:2くらいでクリントンだった。結局、そういう「民主党的な」アメリカだけを見ていたにすぎない。ペンシルベニアは結果的にトランプで、そしてこれが全体の勝利を決定づけてしまったわけだが……

FBのフィードはアメリカ人たちの阿鼻叫喚で溢れている。冗談じゃなく、地獄のような様相を呈している。喜んでいる人はほぼいない

もっとも、こういうことを言うと「おまえはアッパー層にいることをアピールしたいだけじゃねーか」という批判が来るだろう。まぁ、ロースクールなんてその最たるものだろうから、特別否定はしない

 

しかし、これを受けて、「田舎の低学歴労働者はしょうもねー」と言い放ってしまうのは少しどうかと思う。それはやはり民主主義の否定だろうし、今までの政治がそうした人たちの声を十分に拾っていなかったのも事実なのである

しかも、投票した人の属性を見ると、高所得者層はトランプに投票していたし(法人税の引き下げを言ってるから当たり前ではあるのだが)、そう簡単な話でもない

 

 

 

今後の影響

この大統領選の結果は、アメリカだけでなく世界レベルで大きな影響がある。日本も例外ではない

ヘイトクライムが増える

トランプが勝ったことにより、「人種差別が容認された」と考える人は少なくないだろう。人種マイノリティ、LGBTQ等に対するヘイトクライムは今後更に増えると予想される。とりわけ、ミソジニーは大きく力を増すだろう。あれだけ女性蔑視をしていたトランプが女性に勝ってしまったのだから。性犯罪なんかも増えると思う

そして、司法についていうと、トランプが保守派の裁判官を指名すると、今までの歴史で認められてきた権利が大きく後退するだろう。裁判官は終身制なので、その影響は計り知れない。そして、アメリカを参考にしている日本にも影響がないとは思えない

 

日本での9条の議論の盛り上がり

トランプが発言通り日本に米軍費の支払いを要求するとすると、日本では米軍なんていらねーという声が盛り上がるはず。憲法改正の話は進むだろうし、核を持つかどうかという議論も出てくると思う

フランスやフィリピンでも右派が台頭しているようだし、グローバル化が一つの終焉を迎えて、それぞれの国家がより独立していくんだろうなぁ、と思う

ただ、これが議論のきっかけになるのなら、喜ばしいかもしれない。今日本は決断が迫られているのだ。このまま日米同盟を継続していくか、同盟は続けるにしても、日本も自主防衛力を持つべきなのか。日本人は最早平和ボケしてるわけにはいかない

 

チャレンジが増える・反知性主義の前進・倫理観(ポリコレ)の後退

トランプは元々裕福な家庭に生まれたとはいえ、いい大学を出て、自分の力で会社を大きくし、世界屈指の富豪に上り詰め、美しい妻をもらい、アメリカ各地に自分の名前を冠したビルを建て、ニューヨークの一等地に住んでいる。そして、政治経験が無いのに、アメリカ大統領に選ばれた。まさにアメリカンドリームというか、「経験が無くても、やる気と信念があれば何でもできる」という空気感になるだろう。これは喜ばしいと思う

一方で、イェールローを出て、弁護士になり、国務長官として働き、といういわゆる「エリート」の代表格であるクリントンの敗北は、反知性主義を更に進めることになるかもしれない

更に、ヘイトクライムの増加にも関係するが、トランプの勝利により「多少ポリコレに反することでもビビらずに言ったもんがち」「目的のためなら手段に多少問題があっても構わない」「本音を言うという名目があれば他人を貶めても平気」という空気感が出てくるだろう。みんな建前を捨てて本音を言える社会はいいのかもしれないが、弱者は間違いなく生きづらくなると思う

 

 

まぁ他にもたくさんあるだろうが、パッと思いついたのはこんなところだ

まさに今我々は時代の節目に生きてるんだな、という感じがする。今後もこの影響がもたらすものには注視していきたい。