官庁訪問を終えて

長いようで短かった官庁訪問を終えました。

結果として,第一志望であった某省には第3クールまで進んだものの,内定獲得には至りませんでした。残念です……かなりへこんでいます。

実は官僚という進路はあまり考えたことがなく,国家総合の試験も「受験料ダダだからお前も受けろよ」と友人に言われ,司法試験の予行練習にもなるなとの邪な思いで受験し,運よく合格したという経緯があります。

しかし,実際にその進路を考えてみると,とても惹かれました。弁護士はプロフェッショナルとしてクライアントをサポートする立場にいますが,官僚(行政官)は国を動かすプレイヤー側にいます。「ぺんぎん君はプレイヤーの方が向いているかも知れないね」と多くの方に言われたことや,自分自身の多動的な性格を考えても,プロフェッショナルより,ジェネラリストとして多くの課に関与し,あらゆる政策立案に携わる総合職官僚のほうが向いているな,という思いも出てきました。

とりわけ僕が志望した某省は数年前から何度か説明会に行ったこともあり,憧れている省でした。

 

官庁訪問では実際に現役官僚として働かれている方のお話を業務説明という形で聴くことができます。自分が希望した分野の方とマッチングしてくださり,もう一つの省も含め,合計12名の方と,概ね一時間ほど,長いときは一時間半ほど,お話させていくことができました。今まさに行っている業務について,あるいは今後の日本の向かうべき方向性について,そして職員としての使命について,様々なお話を聴くことができ,本当に刺激的な毎日でした。

そして,たかだが数日間霞ヶ関にいただけで,自分の思想というか,考える姿勢が変化していくことを感じました。僕はどちらかというとリベラルで,現政権には反対的な立場にいましたが,実際に国の安全保障や経済問題などに向き合っている方とお話すると,国の切実な面というか,国の内部にいる方ならではの視点が見えてきました。もちろん憲法は遵守しなければならないと考えることには変わりはないですし,それは間違いありません。また,公法や刑事法を通して権力をいかに制限するかということを学んでいたので,その重要性は今でもよく理解しているつもりです。しかし,他方で,国というマクロな視点で考えてみると,もっと根の深い,立ち向かうべき問題が多くあることを痛感しました(だからといって国民一人ひとりを軽視していいわけではないですし,影響を受けやすいのも僕の悪癖かもしれませんが)。

また,「官僚」というと,メディアを見れば常に批判される立場です。とりわけ森友問題,加計問題が世間を騒がせている今はそうです。そういう意味で僕も少なからず良くない印象を持っていました。しかし,僕が話した方々は,皆気さくで,決して偉ぶったりせず,真摯に日本のために努力されていました。給料だって民間や弁護士と比べてそう高くないですし,SNSなどでの発信も制限されているし,建物はボロボロで薄暗く,ろくに冷房も効いていません。実際に表に出る仕事は政治家がやっています。そういうお世辞にも恵まれているとはいえない環境の中で,国のため,国民のために誇りを持って仕事をされている。僕もそういう仲間の一人になりたいなと思いました。

僕が行った省は毎クールの終わりに評価を伝えてくれるのですが,僕は第1,第2とも「極めて高く評価しています」という最高評価(らしい)をもらえていました。第3クールの課題も比較的良かったとのことです。お会いした職員の方も,ずっと課長補佐以上で,後半になるにつれ年次が高い方になり,入口面接でも「評価はお伝えしている通りですのでがんばってください」と暗に可能性を示されていたので,正直納得が行かない部分もあります。油断していたわけではありませんが,このまま行けば大丈夫だろうという前向きな希望がありました。

しかし内定獲得に至らなかったのは,一つには他の志望者の優秀さがあったと思います。学歴が高いのはもちろん,頭がキレ,気さくで,人当たりがよく,素晴らしい人が多かったです。確かに,彼らとまともにやりあって勝てるかなぁ,というのは,常々感じているところでした。いわゆる人気省庁の一つですし,志望者数も今年は多かったので,本当に突き抜けて優秀でなければ内定に至らない,というのは理解ができるところです。

また,説明会に10回以上参加している人もザラでした。僕は志望したのが遅かったこともあり,数回参加した程度です。その点での熱意というか,かける思いが足りなかったのは認めざるをえないところだと思います。

ここ数週間で官僚,国家公務員という仕事への憧れが高まり,弁護士からの方向転換を決意して臨んだので,残念な思いでいっぱいであります。しかし,上述したように現役官僚の方やそれを目指す優秀な学生と様々な話をすることができ,人間的に成長できた実感があるので,訪問したことは後悔していません。ここで学んだことを糧に今後も精進したいと思います。 

NY Bar20 - Secured Transaction

Secured Transactionは「担保付き取引」と訳される科目である。しかし,担保すなわちMortgageについてはReal Propertyでも扱う。

Real Propertyはその名の通り不動産法であり,扱っているMortgageとはLandについての担保,すなわち抵当権のことをいう。

対して,Secured Transactionで対象となるのはUCC Article 9で規律されている,"Personalty (Personal Property)"と"Fixtures",すなわち動産と不動産定着物。そして,契約によって定められる約定のもののみとなる。

「担保」と訳される英語は多いが,まとめるとだいたい以下のような感じになる(と思う)。

  • Mortgage…抵当権(非占有型約定不動産担保)
  • Secured Transaction…担保付取引(占有・非占有型約定動産担保)
  • Security Interests…広い意味での「担保物権」(約定がメインだが,法定も含む)
  • Pledge…質権(占有型約定担保)
  • Collateral…債券における担保。融資の見返りとなる物件
  • Lien…リーエン。Statutory Lienだと先取特権
  • Right of Retention…留置権
  • Encumbrance…負担(地役権や抵当権の付着)
  • Loan…貸付。したがって担保がつくとは限らない。

ただし,英米で違ったり,かなり使い分けは微妙な模様。本当は色々な文献に当たって日本の担保物権との違いをまとめると面白そうだが,今回は気力がないので割愛する(すみません)。

なお,こういった用語については以下のブログが詳しい(無断リンク失礼致します)。

www.takahashi-office.jp

translators.blog65.fc2.com

ここにあるように,当たり前かもしれないが,必ずしもすべてが日本法の概念と同一であるわけではないよう。

 

 

そして,簡単なアウトラインをまとめようとも思ったのだが,ネットを見ていたら素晴らしくわかりやすく書かれた記事を見つけてしまった(無断リンク失礼致します)。

d.hatena.ne.jp

ということで,今回は他人のふんどしで相撲を取らせていただいて,終わらせていただきます。

国家公務員総合職試験に合格しました。

www.nikkei.com

 

実は国家総合職(院卒・行政)を併願していたのですが,無事に最終合格していました。

一次がギリギリだったので焦ったのですが,二次の論文がよくできたのと,政策討議ででしゃばって司会をやったのが功を奏したようです笑。

ペンに合格してからというものしばらく成功体験が無かったので,だいぶ嬉しいものです。父も喜んでくれ,ホッとしております。

 

進路を色々悩んだりもしているのですが,官庁訪問頑張ろうと思います。実は受かってからが本番なんですよねぇ…。

 

取り急ぎ合格報告でした。

NY Bar 19 - Contracts

Contractsはふわふわしているというか,そもそもの契約の成立のところを延々と議論する科目である。1Lの必修科目であり,米国法の基礎をなす科目でもある。

Considerationなど日本法と明確に異なる概念があるところは面白い。しかし基本的には似たような話が続き,しかもそれが微妙に日本法と異なり頭がこんがらがるので,個人的にはあまり好きな科目ではない。

以下は簡単なアウトラインですが,日本語と英語がごっちゃになって読みにくいのはご容赦ください。

どちらかというと勉強した人の確認向けです。

 

Ⅰ. 総論

UCCが適用されるのは「動産の売買(Sale of Goods)」であり,金額の多寡や商人かどうかを問わない。

それ以外ではコモンローが適用される。不動産取引やサービスがこれに当たる。

 

Ⅱ. FORMATION OF CONTRACTS

1. 基本

ContractとはEnforceable agreementをいい,Offer, Acceptance, Considerationによって成立する。

契約には双方的約束(Bilateral contract)と一方的契約(Unilateral contract)があり,前者は承諾方法が限定されていないなど柔軟という特徴がある(Offer can be accepted in any reasonable way)。後者は特定の方法による承諾によってしか成立しない。

契約法に則ると不公正な結論が導かれるときは,不当利得(Restitution)により解決する。 Restitution is designed to reverse unjust enrichment. Restitution interest is interest in having restored to him any benefit that he has conferred on the other party.

 

2. Offer

Manifestation of an intention to be bound(Manifestation of intent to enter into a contract)のことをいう。

Advertisementは,数を示さず不特定多数に向けたものにすぎないので,原則として申込とならず,申込の誘引(Called Invitation)にすぎない。

例外的に,数量が明示されているなどより特定性がある場合(先着20名など)は申込となる。

申込の際,通常は量を明示することが必要だが,必要量供給契約(requirement contracts)という形態をとれば,具体的数字は不要となる。突然大量の購入要求があった場合はその量の過剰性により有効性を判断する。

 

Termination of Offer(申込の終了)

申込の終了には以下の4つの形態がある。

  1. Death
  2. Lapse of Time…Offerに示されている場合か,reasonable timeが経過した場合
  3. Revocation…下で詳述
  4. Rejection / Counteroffer…同上

Recovation(申込の撤回)

撤回は,原則として承諾がなされる前ならばいつでも可能である(当然,相手方がそれを認知できなければならない)。

しかし,以下の4つの場合は例外的に申込を撤回できない(Irrevocable Offer)。

  1. Option Contract(コモンロー): 「撤回しない」ということを事前に約束し,それに対して対価が支払われている場合である。つまり,撤回権を売り渡したようなもの。対価が必要。
  2. Firm Offer(UCC: 商人が,申込を撤回しないとの署名した文書で約束した場合に生じる(Writing signed by the merchant)。撤回不能期間は最大3ヶ月。Option Contractと異なり対価は不要。3ヶ月をすぎると自動的にterminateするわけではなく,単にrevocableになるだけである。
  3. Foreseeable Reliance Before Acceptance: これは極めて稀だが,承諾前の信頼が法的保護に値するものであれば撤回が不可となる。
  4. Starts to perform in a unilateral contract: 一方的約束の場合は,被申込者による履行が開始されれば最早撤回はできない

撤回はacceptanceの後は最早できない。撤回の時期は意思表示のときではなく,それが相手方に到達したときである。

 

Rejection(拒絶)

Rejection又はCounterofferがされれば申込の効力はterminateする。応答が不適切であれば拒絶となる。 

注意すべきはConditional Acceptanceで,これは承諾ではなく,Counterofferであり,Rejectionである。これに対して新たなAcceptanceがなされれば契約成立となる。

 

 

 

3. Acceptance

承諾は,Bilateral contractの場合はany performance, Unilateral contractの場合はcompleting performanceによる。

承諾の時期は撤回と異なり,意思表示を発した(dispatch)段階である(有名なメールボックスルールであり,郵便ならば投函した時点。消印有効という感じ)。現実に到着したか否かは問わない。

つまり,承諾を郵便で発した後に相手方が電話に撤回した場合でも,郵便を投函した時点で承諾が完成しており,その後の撤回は最早できないから,撤回は無効で契約成立,ということになる。

ただし,原則があれば例外がある。

  1. Offer states otherwise: 例えば「○○日までに承諾が受領されなければならない」という場合は承諾書の現実の受領が必要となる。必着ということである。
  2. Irrevocable Offer: 申込が撤回不能なものである場合,メールボックスルールは適用されない。なぜなら,このルールは,あくまでも承諾により契約が成立したとの期待を保護するためのものであるから,撤回が不能であるならば,承諾の時期が到着時であっても問題ないからである。
  3. Rejection sent first, then Acceptance: この場合は,先に到着したほうが効力を有することになる。

 

Battle of Forms(書式の戦い)

コモンロー

鏡像原則が働くため,申込と承諾は完全に一致していなければならない。material alterがあればrejectionとして働く。

UCC

契約成立を促進するために,鏡像原則は採られていない。①両当事者が商人であり,②重要な変更(change, alter)がなく,③合理的期間内に異議がなければ,変更があっても契約が成立する。

*ただし,変更や修正(change, alter)でなく,条件付き承諾(conditioned acceptance)であれば,承諾にはなりえず,counterofferとなるからその時点で契約が成立することはないことに注意。

 

 

4. Consideration

Considerationは通常約因と訳される英米法に特有な概念である。Bargained for legal detriment/benefitのことをいい,offerとacceptanceと並び契約成立に必須の条件である。

過去の約因(Past Consideration)は約因には当たらず,過去の行為へのお礼に金を払うと約束した場合は,約因が欠如しているとして契約の成立は否定される。

約因は価値の均衡を必要としないから,金額が小さいものでも構わない。ただし,例えば「好きな物を変える」等の契約は,ゼロかもしれないから約因の存在は否定される(illusory promise)。したがって契約は成立しない。例えば,"I'll sell my car, but I'll decide when"と行った場合である。

コモンローでは,契約を変更する際には新たな約因を要する(Preexisting duty rule)。

対して,UCCでは,契約変更には新たな約因は要らない。ただ,誠実(good faith)である必要がある。

 

Promissory Estoppel

約因がないとしても,口約束があり,それが通常予測可能で,それに対する信頼(Detrimental Reliance)があり,その約束を守ることが不正義の回避のために不可欠であれば,約因の代わり(Substitute to consideration)として働く。したがって,この法理により,契約が有効に成立しうる。

 

 

5. Defense

Capacity

Minors(未成年者(18歳未満)),Insanity(泥酔者,精神障碍)がある。

ただし,MinorsはVoidableInsanityはVoidという違いがある点に注意。

Economic Duress

①there was a threat to break the existing contract,  ②the only reason buyer agreed to the second deal was to get the first deal done, ③there is no reasonable alternativeの要件を満たせば,経済的脅迫となる。

Undue Influence

Bargaining Powerと異なるもので,一方が弱いのに,他方が不公平な交渉の立場にある場合をいう。

Misrepresentation of a Material Fact

重要事項についての説明が虚偽である場合(Tell something material which is false causing you damages)

Non-Disclosure of a Material fact

原則として開示義務はなく,抗弁とはならない。

しかし,信頼に足る関係などでDuty to Discloseが発生しており,それに反した場合は抗弁となる。通常は単なる説明不足では足りず,積極的挙動などを要する

Mistake

価格に関する錯誤は契約無効の原因とならない。

一方的錯誤の場合は原則として契約は有効だが,他方当事者がそれを知っているか知るべきである場合はそれが抗弁となる。

共通錯誤の場合は無効可(Rescindable)となる。

 

6. Statute of Frauds (SOF)

いわゆる詐欺防止法。一部の契約は,詐欺を防止するために,その成立に書面を要する。

  • Real Property…不動産売買は勿論,賃貸や地上権(easement)の合意も含む。ただし1年以下の短期不動産賃貸は除く。
  • Performance cannot be completed within a year…契約締結時の計算による。完全な履行(full performance)がある場合は除く。
  • Sale of goods more than $500…ただし,買主が受け取ったり払ったりした場合は,その部分についての書面は免除される。
  • Suretyship(保証)…第三者の債務について責任を負う合意。
  • Contract modification…400ドルの契約を800ドルにする場合は適用を受ける。
  • Marriage

ここでいう「書面」は,売買については数量が記載されていることは勿論,契約違反を問われる側による署名が必要である。その他の契約についても,all material termsを含み,署名されていることが必要である。

上記の事項に該当するにもかかわらずSOFが適用されない例外がさらにある。

  • Part Performane Doctrine(部分履行法理)…Land Sale Contractのときのみ,占有・支払・改良(improvement)のどれかがあれば書面に代えることができる。
  • Merchants' Confirmatory Memo…商人間の動産売買の場合の例外である。①Both parties are Merchants, ②Writing claims agreement/has quantity, ③There is no written objection within 10 daysの要件を満たせば,自分のサインのある書面によりSOFの要件を満たすことができる。

 

7. Contract Terms

契約条件の証明においては,Parol Evidence Ruleが重要であり,契約書以外の証拠は排除される。つまり,書面による契約と矛盾する事前の合意についての口頭・書面の証拠を排除することで,最後に作られた契約書を優先し,証明を明確にしている。

英語で言うと,Parol Evidence Rule is admissible to show a condition precedent to the existence of a contractである。

もっとも,SOFが適用されない契約では書面は不要だから,このルールが適用されるのは,SOFが適用される契約のみということになる。

なお,例外として,単なる誤記や,誤った説明に基づく取消を行う場合契約書の曖昧な表現の解釈を行う場合補充や矛盾しない部分的な補完には,契約書以外の証拠を用いることができる。

また,Fraud, Mistake, Duress, Illegalitym Existence of Condition Precedentなどがあれば,やはり契約書以外の証拠を用いることができる。

 

 

8. Warranties(保証)

売主は明示的保証について責任を負う。この保証は交渉の基礎(basis of the bargain)でなければならない。

黙示的保証については商品性についてのもの特別な目的への適合とがある。

前者については,売主が当該種類の動産について専門知識を持つ商人である場合,買主はそれを前提にしているから,動産が一般的な目的に適合することについて黙示的に保証したとみなされる。

後者については,買主が当該動産を特殊な目的に利用することを知っていて,売主がそれに整合する動産を選択することを信頼している場合に,黙示的に保証したとみなされる。商人であることは要件でない。

 

9. Risk of Loss(危険負担)

両者に帰責できない事由により目的物が滅失した場合の責任が問題となる。

まず合意があればそれに従い,また,違反(履行遅滞など)があれば,違反者が滅失につき責任を負う。

売主が引渡義務を果たせば危険は買主に移転するが,その引渡義務の履行(completing its delivery obligation)が何によってなされるか。以下の4類型を区別する必要がある。

公共運送機関を用いた運搬の場合

Shipment contract(発送契約)では,運送機関に発送を委ねた段階で移転する(FOB Seller)。

Destination contract(目的地契約)では,特定の目的地に届けてはじめて危険が移転する。

なお,契約で指定がない場合はShipmentの時に移転する(when the goods are shipped)。

公共運送機関を用いない場合

売主が商人であれば,占有を移転するまでは売主が危険を負担する。

売主が商人でない場合は,買主が引取可能になると(when the seller tenders the goods)危険が移転する。

 

Ⅲ. PERFORMANCE

1. Performance of Contracts (UCC)

Perfect Tender Rule

UCC契約の履行の場合,完全な履行でなければ買主は受領を拒絶できるというのがこのルールである。ただし受領してしまえば最早拒絶はできないが,その場合,damagesは受領した物の価値と本来得られるはずだった価値との差額となる。

 

Option to Cure

履行が完璧でない場合,売主はあとで完全履行することにより瑕疵を治癒できるか,問題となる。

①履行期が過ぎていない場合は,治癒の権利がある。対して,履行期が過ぎた場合は,原則として治癒の権利はない。

しかし,②過去にも完璧でない物を買主が受け取っていたなど,柔軟性があった場合は,それに対する期待を保護するべきだから,依然として治癒の権利があると認められる場合がある。

 

Installment Contract(分割契約)

分割契約,すなわち複数回に渡り引き渡す契約の場合は,Perfect tender ruleが適用されない。

したがって,Non-Conformityがあっても,①実質的欠陥(substantial impairment)があり②それが治癒不可(cannot be cured)な場合でないと受取を拒絶できない。

 

2. Buyer's Acceptance of the Goods

ここでの"acceptance"とは,契約成立段階での「承諾」と異なり,「検収」と訳す。すなわち簡単に言えば物の受取である。

受取人は当然物が条件に適合しているかを確認しなければいけないわけだが,検査の機会がありながらそれを怠った場合は黙示の検収が成立し,最早受取拒絶はできなくなり,また検収の撤回もできない。勿論,この場合でも条件に適合していなければ損害賠償は可能である。

 

 

Ⅳ.EXCUSE BASED ON LATER EVENTS(後の出来事による免責)

1. Other Party's Breach

相手方の違反は,自らの不履行を正当化することになる。

UCCの場合,履行が完璧でなければ,Perfect Tender Ruleにより買主には3つの選択肢が生じる。①全て拒絶する,②全て検収する,③選択的に拒絶する,である。

なお,当然だが,契約違反がある以上,どの選択肢をとったとしても損害賠償請求は可能である。

コモンロー契約の場合,違反があれば損害賠償を求めることができるが,相手方当事者が免責されるのは,その違反(債務不履行)が重大な違反(material breach)といえるときに限られる。すなわち,不完全な履行でも,一応は履行がされているような場合は,代金は払わなければいけないということになる。

 

2. Anticipatory Repudiation(履行期前の履行拒絶)

履行期に履行しないのはBreach of Contractというが,履行期前に早々に履行拒絶をした場合は,Anticipatory Repudiationと呼ばれる。拒絶意思はabsolute, unequivocalでなければならない。

例えば,請負契約において,請負人は準備万端なのに,注文者が金は払わないと言ってきた場合は,履行期前の履行拒絶にあたり,請負人は損害賠償請求ができる。

また,支払い能力について合理的に疑問を持ち,相手方に確認(assurances)を求めたところ相手がそれを拒絶した場合も,Antitipatory Repudiationに当たる。

 

3. Later Agreement(事後的な合意)

例えば共通錯誤などがあった場合,合意解除(Rescission)ができる。また,修正(Modification)もできる。

Accord and Satisfaction(免除合意とその満足)

ある義務を果たすことにより将来義務を免除するとの合意及びその履行のことをいう。

Novation(契約更改)

免責的債務引受により,当事者を第三者と交換する合意をいう。

 

4. Later Event & Discharge(事後的な事由による免責)

後発的履行不能については,UCCではImpracticability(履行の困難性),コモンローではImpossibility(履行不能)と呼ばれる。事後的な予期せぬ出来事により履行が不可能となれば,売主は免責される。

 

Risk of Loss

危険が移転したあとに履行が困難となると,売主は免責される。すなわち,どちらにせよ売主は免責されるわけであるが,履行の困難性による免責と,危険負担による免責を区別しなければいけない。

なお,当然だが不特定物の破壊や非個性的な履行の不能の場合は免責されず,履行義務は存続する。

 

Frustration of Buyer's Primary Purpose

買主側の契約目的が責めに帰すべきでない事由により履行不能となったときは,買主は免責される。"Frustration"とは契約目的の達成不能を意味する。

例えば,パレードを見るために部屋を借りる約束をしたところパレードが中止になった場合などである。

 

5. Failure of an Express Condition

Strict Compliance Required

例えば1000ドル以上と査定されればギターを買うと約束したところ,999ドルだった。この場合,厳密には条件を満たしていないので買わなくてもよい。

Satisfaction Clauses

"only satisfied with the work"という抽象的な条件を付した場合は,原則として合理的な当事者の基準により判断される。

ただし,芸術や個人の趣味などについての契約の場合は,文字通りsatisfiedしたかどうかで判断する。

 

Ⅴ. REMEDIES (救済)

1. Monetary Remedies (Legal Remedies)

まず,Punitive Damegesは契約違反の場合は生じない。

Liquidated Damages (損害賠償の予定)

予定があった場合,その有効性が問題となる。有効とされるには,あり得る損害額を合理的に予測したものと判断される必要がある。また,あくまで填補目的であり,サンクション的なものは認められない。

 

Buyer's Damages (買主による損害賠償)

3つの場合がある。

①Cover Damages

代替品購入が誠実にされた場合は,その差額を損害として賠償できる。誠実であれば,市場価格より多少高くてもその価格を基準に算定される。

②Market Damages

代替品購入をした時にそれが誠実でなかったとされたり,そもそも代替品を購入しない場合は,市場価格から契約価額を差し引いたものが損害額となる。

③Loss in Value

瑕疵ある品を保持することにした場合は,契約によって得られたはずな価額と実際の価額の差が損害額となる。

 

Seller's Damages

4つの場合がある。

①Resale Damages

契約違反により5000ドルで売れず,第三者に4500ドルで誠実に再販売した場合,500ドル分が損害となる。

②Market Damages

再販売が誠実でなかったとされたり,そもそも再販売をしなかった場合は,契約金額から市場価格を引いたものになる。

③Lost Profit

売主が大量販売者で無限の供給ができる場合(Lost Volume Seller)には逸失利益が認められる。つまり,他のだれかに再販売できた否かにかかわらず,買主に買ってもらえなかったことによる損害があるわけで,それが逸失利益となる。

④Contract Price

買主にとっての特定履行と同様で,売主が再販売できないカスタムメイドの場合に認められる。

 

Incidental Damages

代替品購入や再販売のアレンジのための費用(たとえば広告費用)である。

 

Consequential Damages(拡大損害)

契約違反の結果が引き起こす損害(additional costs)であり,契約時に違反者にとって合理的に予測可能(foreseeable)な場合のみ回復可能である。UCCでは認められない。

 

Avoidable Damages

被害者は,合理的努力で損害を避ける(軽減できる)場合,その損害について賠償を得られない。 UCCでは認められない。

 

2. Unpaid Seller's Right to Reclaim Goods (UCC) 動産返還請求

売主が代金の支払いを受ける前に買主の財務状況が悪化したという場合に,売主が既に引き渡した動産を返還するよう請求できるか,という問題。

原則として返還請求は認められない。しかし、例外的に認められる場合が2つある。

①買主が引渡し時に債務超過であり,受領時から10日以内に売主が請求した場合

②買主が,3ヶ月以内に、支払い能力についての虚偽の説明をした場合

 

3. Non-Monetary Remedies (Equitable Remedies)

法律に適切な救済が無い場合に問題となる。

Specific Performance(特定履行)

目的物がUniqueなものである場合(不動産や貴重品)は,特定履行が救済となる。サービスの場合は特定履行は認められない。

UCCの場合は,その動産に個性があるか代替性がないといった事情がある場合に限り特定履行が救済となる。

Injunction(差止め命令)

Specific Performanceが認められず,Irreparable harmを防ぐ必要があるときは,Injunctionが認められる。

 

 

 Ⅵ. Third Party Problems

1. Entrustment(委託)

当該種類の動産を扱う商人から購入した善意者は,真の所有者から権利を引き継ぐ。

宝石店で修理中の時計が誤って売却された場合は,善意購入者は権利を得る。

 

2. Third Party Beneficiary(第三者受益者)

2人の当事者が第三者の利益のために契約を締結した場合,その第三者をこう呼ぶ。つまり,契約当事者ではないが,契約により利益を得る者である。

注意すべきは,法的権利が認められるのはIntended Beneficiaryだけで,Incidental Beneficiary(付随的に利益を得るに過ぎない者)には認められないということである。つまり,履行を約束した人(=Promisor)はIntended Beneficiaryのみに責任を負う。

そして,契約の解除・変更(rescission, modification)は,TPBが関与してその権利の期待を得る(これをvestと呼ぶ)までにのみ認められる。

Vestの要件は,①He is notified, ②He learns of it and reliesである。vestがされると,TPBの期待権を保護する必要があるので,解除・変更は認められない。

ただし,これについては契約書で別段の合意をすることにより,後の契約の解除・変更を可能にすることはできる。

 

3. Assignment of Rights(債権譲渡)

日本と異なり将来発生債権の譲渡は認められておらず,現に存在する権利を"I assign"と確実にtransferしなければならない。なお,considerationは不要である。

そして,当然ながら債務者の義務を実質的に変更することはできない(You cannot assign when it materially alters the risk of the contract)。あくまで同じ権利をtransferするだけだからである。

債権譲渡を禁止する契約をしていた場合("not assignable")に譲渡した場合でも,損害賠償責任は負うが,譲渡自体は有効である(Assingment is valid!)。

 

Multiple Assignments

二重譲渡があった場合,無償譲渡同士では最後の譲受人が勝つ。逆に,有償譲渡の場合は,最初の譲受人が勝つ。

 

4. Delegation of Duties(重畳的債務引受)

原則として,債権者の同意なく第三者との合意で第三者に重畳的に債務を引き受けさせることができる。

ただし,契約で禁止していたり,履行に特殊な技能などが必要だったりすると,できない。つまり,債権譲渡と異なり,"not delegatable"のときは,債務引受は無効となる(Delegation is NOT valid!!)

 

 

 

 

 

とりあえずざっくり説明しただけですが,一応Contractsの全体は網羅できたと思います。

こうしてみても,何だかわかってるんだかわかってないんだか,よくわからない科目です。

 

NY Barの簡単なアウトライン

あくまで自分用ですが,いくつかの科目で簡単なアウトラインのようなものを作っていますので,ご利用ください。

間違えがあった場合は指摘してくださいますと幸いです。

なお,日々更新してますのでご注意ください。

 

pennguin.hateblo.jp

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決着ゥゥーーーーーーーッ!!

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司法試験も終わりdormant状態でしたが,現在は就活などなど行っております。

司法試験が終わって気が晴れるやと思っていましたが,色々とやることがあり思ったほど解放感はありません。それでも多少は余裕が出て,最近はジョジョを読んでます。ズキュウウウン

そういうわけで,簡単に私を特定できてしまうこのブログも一時的に閉鎖しようかとも思ったのですが,恐らくNY Barの関係か,アクセスも一定程度あり,質問も頂いているので,できるだけ残そうと考えております。

NY Barについて私は不合格だったので大層なことは言えませんが,不合格者の記述には価値があると考えていますので,以下の記事を御覧ください。

 

pennguin.hateblo.jp

 

それから私が自分の勉強用にまとめた簡単なアウトラインのようなものは,日本語で米法を解説した記事が少ないためかある程度御覧頂いているようです。あくまで私用に作ったもので不備だらけだと思いますが,お役に立ちましたら幸いです。

質問等ございました随時受け付けておりますので,お気軽にコメントくださいませ。

 

ぺんぎん

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(小説)

アメリカにいたとき、昔のファイルを漁ってたら、大学2年生のときに書いた小説が出てきた。

小説を書くとか厨二病の極みの黒歴史と言ったところだが、当時は色々と文献を参考にしながら至極マジメに書いていた。5万字を超えたところで筆が止まっており、未完。

フィクションで、舞台は旅行で行ったポーランドクラクフ(とケルンの予定だった)。そこに日本人学生(シュウ)が留学しているという設定で書いた。前の前の留学の前だから、留学生活は完全に想像で書いている。

で、その中でアウシュビッツを訪れるシーンがある。アウシュビッツを知ってもらうのに中々いいと思うので、僕が撮った写真とともにせっかくなので引用する。

長いので、アウシュビッツに興味があるとか、ぺんぎんの小説がどれほど駄作か、などの興味があれば読んでくださると嬉しいです。

 

*このシーンは、僕が実際に2011年2月にアウシュビッツ・ビルケナウを訪れた体験を元にしています。

**また、収容所、ナチス及びヒトラーについての記述は、史実を参考にしています。

***ただ、あくまでフィクションであり、主人公は僕とは別人格の存在です。僕の考えと彼の考えは同一ではありません。

****実際には一人で行きましたが、小説では二人の男性(パオロ、ジーノ)と行ったとしています。この二人は実在の人物をモデルにしており(それぞれ、ワルシャワで知り合ったイタリア人、タイのチェンマイで知り合ったチリ人の弁護士)、二人なら何て言うかなぁというのを想像して書いています。

 

 

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[登場人物]

シュウ…日本人の大学生。21歳。172センチ、痩せ型。東京の私立中高出身で金持ち。英語はうまい。のんびりしがてらクラクフに留学している。頭はいいが,主体性は無い。妙な倫理観が強く,考え過ぎで,融通が利かない。自尊心が強く,そのため他人を見下しがち。余裕がなく,常に誰かと戦っている感じ。

ジーノ…チリ人弁護士。30歳。185センチ、ガッシリした体格。遊びがてらワーホリでクラクフに来てる。気さくで陽気で女好きだが,妙に説得力がある。

パオロ…イタリア人。26歳。177センチ、細身だが意外と体格は良い。クラクフに留学しており,シュウのルームメイト。いい加減でいつもニヤニヤしており,目は虚ろで何を考えているかわからない。たまに核心をついたことを言う。

 

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 その日になった。僕はいつもより早く目が覚めた。これから世界最大の負の遺産を見るのかと思うと憂鬱であったが、同時にどこか誇らしい自分がいるのを隠せなかった。こういう所に行くというのは、それだけの問題意識があり、ある程度の知識が無ければ有り得ないことである。つまりアウシュビッツ訪問は僕がそれを有することの証明たり得るのだ。

 僕は最近の日本のマスコミに見られる商品の煽情的なブームづくりの表現を嫌悪していた。皆その商品が好きというよりは、「それを好きでいる自分」が好きであろうことに間違いは無いと思っていた。考えてみれば酒というのもそうで、文字通り酔っている自分に酔うことで自分を救うことになるのだろう。そうした自分がいることに気付かないふりをするのも酒の力を借りるのならば容易だ。こうした自己陶酔による救済は別に今僕が思わなくてもある意味世の中の真理であろうし、皆それを知りながらも、敢えて口に出しては言わないだけだろう。それはタブーであり、沈黙は一つの不文律だった。

 なぜなら皆、「自分だけは」そんな陳腐な陶酔に浸っているのではないと思っている。「自分だけは」、そんな安易なことはしないと思っている。なんて下らないことだろう、と僕は思った。そうやって自分は他人とは違う存在であると考えるその思考自体が、皮肉にも自分が他人と似通った凡庸な人間であることの証明なのだ。しかしこう考えて自分の特権性と優位性を感じている僕もまた、他人から見れば浅はかに見えるのだろう。自分に自信が無い人間ほど自己の優位を主張したがるものだという。これは堂々巡りで延々と続くことであり、優位を感じた時点で逆説的にその優位は霧消する。であるならば、結局他人と違う特異な人間というのは存在するのだろうか、そして例えそれが存在するならば、一体その差異は何に存するのだろうか。

 パオロと食堂に行くと、ジーノは既に席に座ってコーヒーを飲んでいた。三人で連れだって外へ出た。

 

***

 

 僕たちはコペルニクスが通ったことでも名高い、ヨーロッパ有数の大学の一つである重厚なロマネスク建築のクラクフ大学の脇を通り、開放感のある旧市場広場を抜け、フロリアンスカ通りを暫く進み右に逸れた。丁度ジーノがアルバイトをしているというポーランド料理屋の脇だった。しばらくすると十時を告げるラッパが鳴り響いた。

 「このツアーってのはどういう仕組みなんですか」

 「主に海外から来た旅行者向けの英語ツアーでね、ホテルやユースホステルから手配することが出来る。ピックアップ付きでね、バスがそれぞれの参加客の宿を回って来るのさ。恐らく俺たちが最後の客だろうな」

 と話しているとバスが来た。添乗員は快活で眼鏡をかけたふっくらとした若い女性だった。恐らくポーランド人だろう。流暢だが聴き取りやすいはっきりした英語で僕らのチケットを確認し、それが終わると僕達はバスに乗り込んだ。乗客は白人の老夫婦が多かった。若い人はあまり来ないだろうし、別に楽しくツアーに興じるというわけでもない。

 「オーケー、みんな揃ったわね。さて、これから私たちはアウシュビッツ強制収容所とビルケナウ強制収容所に向かいます。アウシュビッツまでは一時間くらい。そこでグループに分かれて見学をしたあと、今度はまたバスに乗りビルケナウに向かいます。そっちまでは大体十五分くらいね。クラクフに戻ってくるのは夕方頃。今と同じようにそれぞれの宿を回るから、解散は順次ね」

 

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 バスの車内は、これから世界最大の負の遺産へと向かう空気に深くどんよりと覆われていたが、かと言って皆が皆神妙な顔つきをしているというわけではなかった。笑顔も見られたし、どういうわけかピクニック気分に思える参加者もいた。僕は何にでも形から入るほうだから終始無言で硬い表情を崩さずにいた。パオロはイタリア人を見つけたようで、―その内容は僕にはてんでわからなかったが―会話に興じていた。

 「だいぶ暗い顔をしているな。大丈夫か」隣のジーノが僕の顔色を窺って心配そうに尋ねた。

 「別に調子が悪いわけじゃないですよ。ただこれから向かうところのことを考えると、こうして黙っているのが相当かなと。みんな呑気なもんですね。普通に笑ったりなんかして」

 「まぁ別にいいんじゃないか。誰かに迷惑をかけているわけでもないし、それぞれの思いを胸に抱いて向かっているわけだろう。それは自由さ」

 「でも場の空気ってものがあるじゃないですか」

 ジーノはさも愉快そうに言った。「はは、日本人はそういうのも尊重するって聞いていたけど、本当だな。でも今から皆が暗い顔を並べて葬式にでも行くような雰囲気が必要なわけじゃないだろう?そんな、笑ったらだめだなんて、それこそ集団統制の恐ろしい発想じゃないか。その恐ろしさをこれから見に行くんだろ」

 僕は言い返せずに口をつぐんだ。ジーノの言うことには一々説得力があった。それは彼の肩書が自然に人格や発言を肯定していることもあろうが、何より彼の、自分は絶対に正しいと信じている表情がそうさせたのだと思う。しかし不思議だったのは、それでいて彼の様子に僕を徒に非難する悪意を全く感じないことだった。

 

***

 

 僕は仕方なく窓の外へと目を向けた。クラクフという街はひどく美しかったが、こうして一つの街を少し離れると、広がるのはうら寂しい景色だけだった。僕は車に乗らないが、例えばたまの日曜に家族で郊外に買い物に出た時のような、そんな日本でもありふれた何の感慨もない景色だった。

 クラクフの街並みは僕のヨーロッパに対する憧れに十分以上に応えてくれ、思い描いていた通りのものであったが、それは同時に日本の卑小さ、特に芸術面での日本の遅れを痛感させるもので、僕をひどく落ち込ませるものでもあった。こちらには日常のその中に芸術が溢れており、そしてそれらは皆一様に華やかで、調和がとれていて、この雰囲気に囲まれて生活しているのだから彼らが芸術に強いのも当たり前だという気がしていたからだ。

 しかし,だからと言って負の面が皆無であるわけは到底なく、そうした美の陰にひっそりと、しかし確実に大規模に広がる負の面は却って只ならぬ哀愁と孤独を感じさせ、逆説的に僕を安心させた。いくら日本から遠く離れた世界であるとはいえ、各々の独特の建築様式といったことを除けば、それは完璧にパラレルなものではなく、あくまで延長に過ぎないものに思えた。そう考えると、翻って日本とヨーロッパがここまで似るのも不思議だなと思った。生活のシステムというか、街づくりというか、そういったもの十把一絡げが似通っていた。それがグローバリズムによって得られた意図された世界基準というものなのか、あるいは人間が自然にたどり着く必然なのか、僕にはわからなかった。

 窓から見える「オシフィエンチム」の看板がアウシュビッツに近付いていることを静かに示した。僕自身も知らなかったくせに、この本来の地名より、ドイツ語名であるアウシュビッツという方が有名で一般に使われることを歯がゆく思った。

 荒涼とした農村の広がるオシフィエンチムの景色は僕を酷く憂鬱にさせた。有名なゲートが見えるのかと目をこらしたが、どうやらまだ視界には入らないようだった。

 

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 車は駐車場に到着し、僕達はガイドに促されて車を出、レンガ造りの建物に入った。どうやらここが受付のようだ。僕達の他にもツアーはあるようで、辺りは人々でごった返していた。日本人らしき女性の姿も見えたが、話しかける気分にはなれなかった。修学旅行だろう、白人の子供の集団もいた。ポーランド人か、あるいはドイツ人かもしれない。ガイドブックによれば、ドイツの工学専攻の大学生の多くがボランティアでここに足を訪れるということだし、自国の罪を知るために小中学生が修学旅行でここを訪れるというのもありそうな話だった。ポーランド人とすれば僕達日本人が原爆ドームを訪れるのと似た趣旨であり、僕がポーランドに対して持つ親近感は、やはりこういう歴史的背景にも大きな影響を受けているのだろうなと思った。

 

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 時刻は十一時を少し回ったところで、十二時まで暫しの休憩ということだった。土産物屋があったがとても買い物をする気分にならず、僕は収容所の日本語パンフレットだけを買い、冷え切った体を温めるためにジーノ、パオロと三人でジューレックを飲んだ。このポーランド風スープがいつにもまして体に染みたのは、単に寒さのせいだけではなかった。

 

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***

 

 「さぁ、みんな集まったわね。これから皆さんにはアウシュビッツを見学してもらうわけですが、ここから先は十五人程度のグループに分かれてここ専門のガイドに付いて行ってもらいます。サービスセンターで端末とヘッドフォンを受け取って、それを身につけてください。チャンネルを合わせるとガイドの声がマイクを通して聴ける仕組みになっています。終わったらまたここに集まって、バスに乗ってビルケナウに向かいます」とガイドは笑顔で言い放った。

 アウシュビッツのガイドは体格がよく、目付きがしっかりとした白人男性であった。ここのガイドになる為には難関の試験を突破しなければならないらしく、近隣諸国の人も多いという。日本人のガイドも一人だけいるようだったが、二人も一緒だし、英語の勉強も兼ねてということで見送った。

 

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 センターを出てすぐ目に入ったのは、例の”ARBEIT MACHT FREI”のゲートだった。思ったよりずっと小さかった。これはドイツ語でWork Gives Freedom、「労働は自由にする」という意味であり、当時のドイツの一般的な労働標語で、日本語訳は中世ドイツの諺である「都市の空気は自由にする」をもじったものだろう。

 しかし、もちろん、実際には働けばそれに応じて自由になるということはなく、形式的に被収容者を鼓舞する物に過ぎなかった。待ち受けるのは死しか無かった。その真相を知った今ではいかにも虚しく感じられるその言葉だが、これを信じて労働に励んだ人々がいただろうことを思うと安易に虚しいなどということは出来なかった。

 それとも被収容者もこの門が詭弁に過ぎないことはわかっていたのだろうか。ARBEITのBが上下逆に、つまり上の方が膨らんでいるのは、これを作らされた被収容者のせめてもの抵抗の証とする説があるそうだ。

 

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 ガイドが険しい表情で僕達に語りかけた「ここアウシュビッツは、はじめポーランド人の政治犯を収容することを目的に作られましたが、次第に当初の目的を離れて、ユダヤ人、反ナチ、ロマ等を収容するようになりました。そのためあまり規模は大きくなく、被収容者の増加に従い作られたのが、第二アウシュビッツとも呼ばれるビルケナウです。そちらは完全にユダヤ人収容を目的に作られ、規模も凄まじく、作りも粗末です」

 

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 確かにアウシュビッツは思ったよりもこじんまりとした印象だった。高圧電流が流れていたという有刺鉄線で長方形に縁取られた敷地の中にレンガ造りの建物が整然と並ぶ。パンフレットによれば、その建物の半分ほどが博物館として公開されているようである。

 「うわ、これは……」

 まず初めに建物に入り、目を瞠ったのは被収容者から奪った大量の毛髪、カバン、メガネ、靴などの展示だった。それらがガラスケースの中に大量に積まれていた。

 

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 「これらは分別され、使える物は再利用されました。アクセサリーや金歯など、金に換えられるものは本部に送られて売り捌かれ、戦争の資金として利用されたわけです。」 

 「これは……ひどいな。一体どれだけの数なのか」パオロが信じられないといった様子で口を開いた。

 「でもさ、何だかこれだけ大量にあるのに、恐ろしいんだけど、寒気がするんだけど、何だか遠い世界のことに思えて実感が湧かないな。なんでだろう」僕も大量の靴から目を逸らさずに答えた。するとジーノが言った。

 「それは逆に大量に有りすぎるからだろうな。これだけたくさん、固まってあるとさ、『死』というものが一つの巨大な記号としてしか見られなくなるだろ。感情や背景が、全て度外視されてしまう。大量殺戮の怖さはここなんだ。十と百じゃ大きな違いだけど、十万と十一万じゃ、もうどれだけの違いがあるかわからないだろう?ただ『莫大だ』ということくらいしかわからない。普通の生活をしている人間にとっては途方もない数だからな。段々感覚が麻痺していく。本当はえらい違いがあるのに」

「確かにそうだな。でもこの死の奥一つ一つにはそれぞれの苦しみがあったんだよな」パオロが悲しげに言った。

「そうなんだよ。それを忘れちゃいけないんだ。俺はさ、前に言ったけど、アムステルダムアンネ・フランクの家に行ったんだ。アンネの存在は、日記が本として出版されて、そういう施設があって世界的に知られているだろ、でもその陰には、迫害されて収容所に送られ、そして殺された名もなきユダヤ人たちが大勢いたんだよ。アンネはそのうちの一人に過ぎないんだ。ここにある大量の靴の奥にも、その靴を履いて俺達みたいに普通に生きていた人がいて、その一人ひとりにアンネのような一人の人間としての生活や家族や友人があったんだ。そのことだけは忘れちゃいけないんだよ」

 僕とパオロは口をつぐんだ。ジーノは続けた。

「諸説あるけど、ナチスに殺されたユダヤ人の数は六百万にも上ると言われる。でもな、それは『六百万人が殺された事件があった』んじゃないんだ。『一人の人間が死んだ事件が六百万回あった』、そう考えないといけない。一人ひとりの人間の死に思いを馳せてみな、そうすればナチスのやったことがいかに恐ろしいかわかるよ」

 ジーノの言うことはもっともだった。しかし、人間の性として、自分とは無関係な他人の大量な死よりも、一人の身近な人間の死の方がよっぽど悲しく、辛いものだろう。そういうのを想像力の欠如というのかもしれないが、想像力というのも、結局はそういう遠い世界の話をいかに自分のことに引き寄せるかということで、結局他人のことは他人のことなのだろうか、と落胆する思いだった。パオロの言った感心と感動ということにも繋がるが、他人の死は理屈抜きで僕の心を打つものではなかった。それはあくまで冷静な、理性的な感情による間接的な悲しみに過ぎなかった。それはどこか嘘っぽく、粉飾され欺瞞に満ちたものだった。人格という高尚の衣を纏った虚栄でしかなかった。

 

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 次に訪れた部屋には、ヨーロッパの地図のパネルがあり、どこの国からどれだけの人数がここに送られてきていたのかを示していた。もっとも多かったのはやはりポーランド人であるが、東欧はもちろん、フランスなどの西欧、イタリアなどの南欧、ノルウェーなどの北欧と、ヨーロッパ全土に及ぶものだった。

 そのパネルの向かいには痩せ細った被収容者の写真があり、それはより直接的に僕の胸を打つものだった。彼らは収容の理由、国籍等で区別され、それを示すバッジが胸に付けられた。それによって待遇も変わるが、一番酷い扱いを受けたのはダビデの星をつけたユダヤ人だった。

 

***

 

 その建物を後にして、次は隣の棟に移る。ここは実際に人々が収容された房がいくつかあった。どこも何もない粗末で冷たい部屋だった。

 「暖房器具はあったんですか」僕は堪らずガイドに訊いてみた。ガイドは無言で首を横に振った。極寒の中こんなところに居ては体が持つ筈はなかった。

 そして最も恐ろしかったのは立ち牢というところだった。ごく狭いスペースに何人もの人が詰め込まれ、食事も与えられず、座って寝ることも出来ず、ただひたすら長時間立たされた。しかも、信じがたいことに、これは何か問題を起こした被収容者への懲罰のためではなく、単に見せしめとして彼らの体力を奪うために使われたということだった。労働力である彼らの体力をみすみす奪うようなことをなぜするのか。結局ナチスにとって彼らは使い捨ての道具でしかなかったのだ。

 外に出て五号館と六号館の間にあるのが、数多くの銃殺が行われた死の壁だった。

 

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 「これが今の牢がある棟のすぐ隣にあるのは、ここの銃声を響かせて恐怖心を高めるためだったと言われています。見て下さい、棟の下に穴が空いているでしょう。あれは音を中に入れるためのものだと言われています」ガイドは淡々と語った。

 「ひどいことするな」パオロが言った。

 「ほんとだよな。でもさ、毎日こんなところでそういう暗い過去を話すなんて、ガイドの心中もお察しするよな」僕は誰ともなく、話を変えるように呟いた。

 「まぁな。でもどの仕事もそういうものだろ。俺にもよくわかんないけどな」パオロが言った。

 

 有刺鉄線を出て少し離れた所にあるのが、いよいよガス室と焼却炉だった。

 

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 この場所の恐ろしさがそうさせたのかわからないが、寒気がして、頭がぼうっとして、どれくらいそこにいたかわからないほど一瞬のうちだった。

 思ったよりも狭く、息苦しく薄暗い部屋は、何の起伏も凹凸も無く、のっぺりとした長方形の箱で、それゆえに、ただ天井にぶら下がった偽のシャワーが不気味な存在感を放っていた。シャワーを浴びると言われた人々はここに裸で閉じ込められ、チクロンBという化学薬品によって殺され、そして隣の焼却炉で焼かれた。

 

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 「こんな恐ろしいことが、今から七十年前に、同じ人間によって行われたんですよね……」焼却炉を出た僕は茫然として言った。

 「そうだな。それも、一部の人間の狂気によって一過的に行われたんじゃない。ドイツという大国が計画的に、大規模に、戦争の間何年も続けたことなんだ。これは間違いだとかその程度で済まされることじゃないよ。一つの民族を迫害することを掲げた政党が圧倒的な国民の支持を得て、それを盾にこんな施設を作って公然と殺戮をしていたなんて、人間というものは恐ろしいよ」

 声が無かった。ドイツという国に恐怖を覚えた。人間はつくづく浅ましい生き物だと思った。自分の身を挺してまで他人を守ろうとする聖人君子のような者がいる一方で、何の罪の無い人々を無残にも殺す者がいる。これだけ振れ幅の大きい生物は無論人間だけだろう。しかし、翻って、そうした無償の愛と大量殺戮の裏に流れる共通項は無いだろうかと考える時、果たしてそれは一種の盲目な純粋さではないだろうかと思った。

 他人の為に何かをしようという奉仕精神は、しかし本当の意味で利他的な行為なのだろうか?往々にしてそれは自分の英雄的行為に酔う自己満足的な行為に過ぎないのではないだろうか。もし本当に完全なる利他的行為があるとすれば、それはあらゆる利害を無視した盲目的な行為であるとさえ言えるだろう。大量殺戮を理性的政策的に出来る人間がいるとは思えないし、思いたくもい。一部の狂気が巨大化し、後に引けなくなった盲目なのだろうと僕は思った。

 

***

 

 ツアー参加者の輪に入った。アウシュビッツツアーも終焉である。涙目の白人の老婦が僕達全員の疑問を代わってガイドに問いかけた。

 「でも……そもそもですけど、どうしてヒトラーユダヤ人を差別したんですかね」

 「それはですね、色々な俗説があってはっきりとしているわけではありませんが……。反ユダヤ主義への転向は十代後半から二十代前半にかけて五年間のウィーン時代に行われたようです。ヒトラーはある意味純粋で正義感の強い青年のようでしたから、マルキシズム、そして少数派であるユダヤ人にも当然関心がいった。でも初めから否定したんではなかった。むしろ彼らの過去や冷たい風当たりに同情する側だったんですよ。しかし当時のウィーンは、市長を筆頭に全体として反ユダヤ的傾向が強かったんです」

 「でもそれだけでこれほど酷いことをするとはとても……」老婦が応じる。他の参加者も固唾を呑んで言葉を待った。

 「いえ、もちろんそれだけではありません。ユダヤ人はアインシュタインマルクスフロイトをはじめ、優秀な人物が多い。20世紀初頭のドイツのノーベル賞受賞者の内、ユダヤ人は実にその二十五%を占めていたんです。人口はたったの一%に過ぎないにも拘わらず。ユダヤ人の中にはもちろん街を脅かす浮浪者のような者もいましたが、大部分は大都市に住み、高い生活環境の中、金融業や商取引等で名を馳せました。そうした彼らの活躍一切が純粋なヒトラー少年には好ましく思えなかったのかもしれません」彼はさらに続けた。

 「ヒトラーはご存知のようにオーストリア出身です。それだけに人種や民族に対する関心は元々あったんでしょう。ドイツの中での自分のコンプレックスがねじ曲がった形で現れてしまったのかもしれない。少数であるユダヤ人が大国ドイツの中で活躍する様に怒り、……というよりは不安に近いかもしれませんが、何かしら感じたのは間違いないのでしょう」

 僕にはこれが他人事に思えなかった。僕自身は純粋な日本人で、無神論者で、無宗教であり、普段からそういう民族だとか差別だとか考えたことも無かったし、差別意識も取り立てて無かった。無いつもりだった。それはひとえに日本が島国であり、基本的には単一民族から成り立つ国家であるからであった。北や南に行けば例外があるからそうもいかないだろうが、東京で生まれ、そして育った僕にはどうも遠い話にしか思えなかった。しかし実際に大戦中も半島に対する差別意識はあり、そして今もそれは残っている。一番に近い国であり、近年では積極的な交流が図られているが、一度関係が構築されると、かつて上に立っていたというプライドが割って入り、それが対等であることに只ならぬ恐怖を感じ、否定しようとする。かつては鎖国を敷き、他国からの人口流入が少なかった日本は、大戦を経たこの時代になって、そうした問題を抱えることになった。

 そしてそれは僕自身も同じで、例えばスポーツの試合で日本が負けそうになると、なんで日本があんな国に負けるんだと必死になり、そうしてその後で、そんなことを考えている自分に気付き、嫌になるものだった。それは単純な愛国心から来る応援ではなく、相手国に対する敵意と、親が子供を叱るとき、予期せぬ正当な反撃を食らった時に起こるような、日本があらゆる意味で上に立たなくてはいけないという焦りに他ならなかった。世論の風潮もそうで、その敵意は内にも及び、帰化した選手の活躍で勝利を得た時など、それを中傷する声すらあった。

 一方で、そうした敵意は、日本を大戦で負かし一時期占領していたアメリカにも向いた。最近では、小さい頃は何も考えずに楽しんでいたハリウッドの映画を観ている時ですら、あぁ日本は昔この国に負けたんだと思うと、どこか純粋に楽しんではいけないような気すらした。クラクフに来てアメリカ人教師と話す機会もあったが、その人物がどういった人かということを越えて、この人は大戦で負けた僕ら日本人を馬鹿にしているんじゃないだろうかという卑屈な思いが脳裏にあった。歴史を学び、先人の偉業や失敗を知り、それを今後に役立てることは何の異論も無く重要なことであり、アウシュビッツ訪問もその一つであるが、こうなると、最早歴史なんかそもそも知らない方がいいのではないかとさえ思ってしまうほどであった。僕が半島やアメリカについてこうしたねじ曲がった思いを抱くのは、かつての差別や占領の事実を知っているからで、そんなことを知らなければ何も考えず対等に接せられるのにな、と思うからだ。それがする側であろうとされる側であろうと、「差別や支配があった」という事実は事実で、であるならばそれには何らかの理由があるかもしれないし、何の根拠も無かったことであれ、間違いなく実際に経験している人が今もまだこの世界にいるのだと思うと、やはり意識せずにはいられなかった。実際、もし僕がユダヤ人と会う機会があったら、過去の歴史に触れていいのか、一切気にしない方がいいのか、同情したらかえって相手に悪いか、そんな余計なことを思うだろう。

 勿論、事実としてあった以上それを知る義務が僕達にはあるし、それを風化させていいはずもないということは理屈ではわかっていた。しかし、それは例えばイタリア人は皆陽気だろう、というようなステレオタイプと合わせて、皮肉にも異文化交流の際の弊害になった。

 アウシュビッツは一つの象徴に過ぎず、世界史上には数えきれない差別があったが、にも拘わらず差別意識が無くならない人類はなんて愚かなんだろうと思ったが、そういう僕も、日本に帰って日常の生活に戻れば、ここで見たことなんか忘れて、平気でそういうことを考えるのだろうかと想像すると悲しかった。結局人間は自分の身が一番かわいくて、それを守る為に意識的に敵を作るものなのかもしれない。

 ふと、小学校のときの担任の言葉が頭をよぎった。僕のクラスの生徒が小さな問題を起こし―それが何かは忘れたが―それが音楽教師の耳に入り、そのせいで音楽の練習が暫く中止に追い込まれた時だった。僕の学校では、全校生徒がクラスごとに吹奏楽をする風習だったのだ。僕のクラスの生徒は、一斉にその一人を糾弾した。いじめとまでは行かないまでも、それに近いものがあった。それは練習が出来ないことへの憤りというよりは、そうやって悪口を言うことで優越感に浸りたいというつまらない感情によるものだったと思う。一人の失敗がクラス全体のものになる集団責任は子供ながらに酷だと感じたものだが、彼とは別段仲良くも無かったし、彼を救うことで自分もその対象になることを恐れた僕は、皆と一緒になって陰口を叩いたりした。そうしてそれを見かねた担任がホームルームで言った言葉が、強烈な印象に残っていたのだった。「人っていうのが一番団結する時はどういう時だかわかるか。それはな、みんなが共通の敵を作った時なんだよ」

 それからどうなったかはよく覚えていない。しかし、その言葉はそれを言った担任の表情もあいまって、強い説得力を持って当時の僕の心を動かした。なるほどそういうものかと思った。そしてこうして大学生になって差別のことを考えると、本当にその通りなんだなと改めてその悲しい真理の存在を思い知った。結局、集団を支え求心力を得るための真理というのは、愛情だとか友情だとかそういう美しいものではなく、周りに対する共通の敵意なのかもしれない。大戦で劣勢を強いられたドイツが団結心を取り戻す手段が、ユダヤ人という少数者を共通の敵とすることだったのだろう。

 僕はそんなことを思いながらセンターに戻り、男性ガイドと別れ、音声機器を返却し、センターを出て、バスに戻った。ジーノやパオロと言葉を交わす気分にはなれず、窓の外に広がる荒涼とした大地を眺めた。

 

***

 

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 程なくビルケナウに到着し皆で揃ってバスを降り、門をくぐった。すると眼前には、今や先程のゲートと並んでアウシュビッツ=ビルケナウの象徴だろう鉄道引き込み線が伸びていた。先程と違い専門のガイドが付くことはなく、女性ガイドがそのまま僕達を誘導し説明した。

 

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 「列車がここに入ってくるとSSの医師ヨーゼフ・メンゲレが人々を労働に耐えうるか耐えられないかを選別しました。耐え得ると判断された者は収容所で労働、耐えられないと判断された者―主に子供や老人、女性ですが―はそのままガス室へと送られました。この選別によってどちらかが助かるというわけではなく、死ぬのが早くなるか少し後になるかの違いに過ぎません。厳しい労働の後殺される方が残酷かもしれないですね」

 ジーノが口を開いた「俺は映画で選別の様子を見たけど、そりゃ酷いもんだったよ。人々はみんな裸で、それをメンゲレが分けるんだけど、考えてる様子なんてありゃしないね。そりゃ膨大な数だからさ、一目見るなり一瞬でどちらかに分けるんだ。あんな適当に人間の生死が決まるなんて信じがたい。右か左か指差す姿はまるでクラシック指揮者かと思うほどの速さで、彼は死の天使と言われた。人体実験を牽引したのも彼だよ」

 「狂ってるな。そうとしか思えない」パオロが呟いた。

 「いや、でもどうやらそうでもないらしい。ナチスの掲げる人種主義の信奉者であったのは確かみたいだけど、やはり仕事の上でそうしてユダヤ人を殺すのが本当に正しいかどうかは悩んでたみたいだ」

 「……何だか、そうやって人間的な部分を聞かされると少し同情しちゃうけど、そんな同情の余地なんてこれっぽっちもないんだよな。世の中ってさ、そういう異常犯罪者みたいなやつらを、ある種の英雄とする向きがあるだろ?僕はそういうの見てると心底嫌になるんだよな。被害者のこと少しでも考えたら、そんなこと考えられないとおもうんだよな。いずれにしても、精神異常じゃなくてこんなことをするなんて、何だか夢みたいだよ」パオロが遠くを見るようにして言った。

 判官贔屓という言葉が頭を過った。普段真面目な顔をして社会の中で大人しく過ごしている人ほど本当は批判の対象となる反体制的なものに憧れ、しかし実際にそれを自分で行う度胸は無く、結果的にそうした犯罪者を英雄扱いすることになるのだった。加えてその犯罪者に少しでも同情すべき要素、例えば金銭的事情とか家庭環境だとか、そういうものがあれば、精神的に病んだ末の痛ましい犯行、日本人が好きそうなそれは一つのドラマになるのだった。僕はここまで分析している気分でいるが、勿論僕もその内の一人、いや、とりわけてその趣向がある者と言ってよかった。僕は白衣の男が優雅に腕を振る様子を頭に浮かべて憧れる自分がいることに気付いていたが、必死に否定しようと頭を振った。

 鉄道引き込み線を左に見て、僕達は立ち並ぶバラックの一つに入った。煉瓦造りのアウシュビッツと違い、こちらは極めて粗末な造りで、隙間という隙間から冷たい風が容赦なく吹き抜けて行った。中心には簡易式便所が備え付けられ、常に悪臭が漂い、被収容者に与えられたのは藁敷き程度で、加えて食事はパンと具の無いスープだけだったとガイドが説明した。「そうした極めて劣悪な環境の中で、死亡者は後を絶ちませんでした」  

 

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 バラックを出て、脇に赤いバラが並ぶ引き込み線に沿って歩き、それが途切れる場所の脇には、ガス室であったという無残な建物の残骸があった。敗戦の色を感じ取ったドイツは、戦後の裁判でこの収容所の悪行が明るみに出ることを恐れ、撤退の前に破壊していったとのことだった。

 そして、遠くに見える僕達が入ってきた門に向き合うように整然と並ぶのが、各国語で記された慰霊碑であった。そこにはこう書いてある。

 「ヨーロッパの様々な国の、およそ百五十万の男性、女性、子供、そして主にユダヤ人がナチスによって殺されたこの場所を、永遠に、絶望の叫びと人類への戒めの場とする。 

 アウシュビッツ=ビルケナウ 1940-1945」

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 (2011年夏 ぺんぎん)

 

騎士団長殺し。プラハの思い出。資源の入り組んだ仕分け。

 

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先日村上春樹の新作長編『騎士団長殺し』が発売された。

一応僕は村上春樹のファンである。勉強が忙しいので買うか迷ったが,買わないとかえって気になって困るということで結局発売日に買ってしまった。大学の生協に行くと,一応卒業生だからということもあると思うが,盛大な取り扱いを受けていた。

毎晩ちびちび読んでいるのでまだ第1部の半ばくらいである。以下若干ネタバレ感想。

 

【以下ネタバレ】

 

 

 

 

 

タイトルの『騎士団長殺し』は雨田具彦が残した不思議な絵画のタイトルだった。そして,「騎士団長」は大方の予想通り,モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』の騎士団長だった。彼は娘のアンナがドン・ジョバンニに襲われそうになるところを助けようとするも,殺される。しかし,最終シーンで,石像となってドン・ジョバンニを地獄に引きずり込む。

実は僕はこのオペラを観たことがある。あるといっても正式なオペラではなくマリオネット劇(人形劇)だ。チェコプラハを訪れた時,国立劇場で鑑賞した。その時の感想を抜粋する。

 <人形劇(マリオネット)

チェコ伝統芸能、人形劇。ハプスブルク家の支配を受けていた18~19世紀当時は都市部でのドイツ語の使用が強制されており、唯一チェコ語の使用が認められた人形劇を通して人々はチェコ語を守ったそうな。そういう意味でチェコ人にとっては特別な意味合いがある。

 僕は国立マリオネット劇場でかの有名な『ドン・ジョヴァンニ』を観劇。モーツァルトの楽曲をバックに、女ったらしのドン・ジョヴァンニが色々とやらかして、最終的に罰が当って墓に引きずり込まれてしまう、というお話。いやはや僕も気を付けないと。

一応日本語でのパンフレットもあって話の筋は概ねわかるのだが、話の構成も笑いの取り方も非常に古典的であって、娯楽としては正直あまり楽しめなかった。人形捌きは流石の一言で面白いが、長い間見てると飽きる。まぁ伝統芸能というのはおしなべてそういうものなのかもしれない。かと言って芸術性はどうかと言えば、人間が演じているなら細かな仕草や表情が楽しめるが、人形じゃそれもできないからかどうも底が浅く感じられた。曲ももちろん録音なわけだし。皮肉にも血の通った人間の良さというのを思い知らされた格好になった。

 と,残念ながら僕の芸術鑑賞能力が低くてそこまでは楽しめなかったようである。

ドン・ジョバンニが最初に公演されたのもプラハなようで,『騎士団長殺し』でも免色氏がプラハで観劇した旨発言している。そんなわけで,読んでいて感慨深いものがあった。

小説というのは「これは自分のために書かれたものだ」と思わせた時点で勝ちだと思うが,少なくとも僕はそう思わされているので,僕にとっては勝ちな小説である。

 

それにしても,開始して速攻セックスの話が出てきたり,奥さんが突然出ていってしまったり,北海道に旅行に行ったり,ユズという名前の女性が出てきたり,「色彩を持たない」免色という名前の人物が出てきたり,例えで高級娼婦が出てきたり,身近な人が若くして亡くなったり,主人公は相変わらずたくさんの時間があって,女にモテて,と,過去の彼の作品が色々とフラッシュバックする。

ネタ切れなのか,あえてそうしている(重層感を出すためあるいはファンサービス)のかわからないが,読んでいてニヤニヤしてしまう。

相変わらず名言もバンバン生まれている。ひとつは,あまり創造性は無いが高度のプロフェッショナル性を持つ肖像画描きの自分を皮肉っての「絵画界における高級娼婦」ダンス・ダンス・ダンスでもそうだが,彼にとって高級娼婦というのは一つの重要なメタファーらしい。そしてこのプロフェッショナルだけどつまらない仕事を淡々とこなすというのは例の「文化的雪かき」を思い出させるワードである。

それから僕が気に入ったのは「資源の入り組んだ仕分け」である。これは笑うしかない。相変わらずしょうもないクッサイ会話に溢れていて楽しい。

 

雨田具彦が第二次大戦中にウィーンに留学していて,そこでなぜか洋画から日本画に転じているというところが肝のようなのと,このオペラの歴史とかから,どうやら第二次大戦がメインテーマになっていくのかなと予想している。彼は前にはねじまき鳥で満州を扱っている。

僕がヨーロッパを回ったときは,「第二次大戦を理解する」というのを一つのテーマとして,縁のあるところを色々行った。

 

ワルシャワ…ドイツ軍によって破壊されたものの,復興を遂げた旧市街。ワルシャワ蜂起博物館

 

アウシュビッツ・ビルケナウ…言わずもがな

 

ドレスデン…壊滅的被害を受けたものの復興。ドイツのヒロシマと呼ばれる

 

ベルリン…壁や博物館,チェックポイントチャーリー

 

ポツダムポツダム宮殿近くのツェツィーリエンホーフ宮殿でポツダム会談が開かれた

 

アムステルダムアンネ・フランクの家

 

特にアウシュビッツは衝撃的で,それから関連の本を色々と読んだりした。ヒトラーはウィーン生まれなので,その意味でも雨田具彦のウィーン生活の内容がこれから解き明かされていくのだと思う。

そんなわけで,日々の楽しみとしてちびちび読んでいこうと思います。また感想を書きたいと思います。

国際結婚

僕は付き合うだけなら(英語か日本語で最低限のコミュニケーションが取れる限り)どこの人でも別に気にしない。しかし、結婚となるとやはり話が違うと思うのである

まず、やはり相手の国のこともきちんと理解して好きにならなければならないと思うのだが、気にしすぎでしょうか?あくまで結婚が二人の問題であるならそれこそ国籍は関係ないのかもしれない。国籍なんてその人の個性の一つにすぎない。しかし、相手の親戚や友人と関わることも多いだろうし、その時は相手の文化に合わせなきゃいけない。できれば言語も話せたほうがいいだろう。それから、その国へ渡航する機会も多くなるだろうし、もしかしたら住むことになるかもしれない。「国籍」というより、育った国の文化の存在はやはり大きい。

 

彼女に「あなたは自分が私より優れていると思っているでしょう?」と言われてしまって少し考えてしまった。そういうつもりは無かったのだけど、相手がそう感じているなら少なからずそういう素振りがあったのだろう。確かに考えてみると、①僕のほうが5つも年上、②一応よりよい学校に通ってた(ことによる相手からの期待に答えたいとのプレッシャー)、③「賢い人が好き」と言われたから知識をアピールしがちだった、④相手から強いアプローチを受けて付き合った、⑤元々すぐ人を見下しがちな悪癖がある、ということもあると思う。違う人に同じようなことを言われたことがあるのでこれは僕自身の内在的な問題だろう。

しかしそれに加えて、今回は⑥日本人であることへのねじ曲がった自負?があったように思う

正直に言って僕は日本がアジアで一番優れている国だと思っている。「優れている(superior)」というのは言葉のチョイスが良くないな。客観的に見ても少なくとも一番「発展している」「洗練されている」と思っている。そして、中国に対しては正直あまりいいイメージがなかった。日本人の多くが抱いているであろう「パクりなどのいい加減な文化」「マナーの悪さ」が主なところである。下に見ている向きがあったのは否定できない

しかしこれは先入観が多分に入っており、彼女と付き合ってから改めてきちんと中国文化に触れると印象はガラリと変わった。いい加減なところもあるが悪意はなく愛すべき性格だし、マナーが悪いのも、日本のように変なマナーを押し付けたりしないのびのびした寛容さ、他人は他人で自分は自分というサッパリした個人責任の文化がある。中国の文化や彼女の友達たちと触れていると自分が自然体でいられる感覚があった。そして、中国の人は身内には情が厚い国民性があるようで、一度仲良くなるとものすごく良くしてくれた。そんな彼らは建前を良しとするアメリカで張り詰めていた心の緊張をほどくような優しさと率直さで溢れていた

そんな思いで行った上海はものすごく楽しかった。思ったよりずっと洗練されていたし、屋台は自分の家のような安心感があった。人はみんなフランクで親切で、日本のような他人行儀さがなかった(日本では大阪に近い感じがした)。上海に住むのも悪くないなと思った。むしろ住みたいとすら思った

僕は尖閣を始めとした政治的問題についてはそこまで強い関心があるわけでなく、別にそこで中国と張り合おうとは思わない。経済成長には少し危機感も感じるが、できるだけ平和にやりたいと思っており、日中の摩擦や反日運動を見てると心が痛む。そして、たぶん僕がそうだったように、みんなきちんと理解したりコミュニケーションしたりせず、お隣への単純な反感とアジアにおけるプライドのために、メディアが伝える印象を利用して無責任に語っている面が大きいと思う。どこぞの団体のように「一緒に飲めば全部分かり合える」とは言わないが、話し合えば分かり合える部分は多いだろう。

一方で、彼女の強い政治的主張や愛国心をはばからない面に辟易することも時折あった。仲はかなり良かったつもりだが、若干険悪なムードになることもなくはなかった。仲が良かったからこそそうしたことも話せたわけだが、一定の緊張感は存在していた。

一度Uberに乗った時、アメリカ人の運転手に、どこから来たかと尋ねられた。僕は日本で彼女は中国だと言った。そうすると、運転手に「なんだって?でもお前らの国は仲悪いんだろ?付き合ってるのか?ユダヤ人とドイツ人が付き合ってたらどう思う?」と言われて驚いたことがある。そんな風に思われていたとは考えもしなかった。僕自身は別にそんな険悪だとは思っていなかったし、多分に偏見というのはどこにでもあるものである。

 

僕はこのUberの件はへーとしか思わなかったし、不快に思ったわけでもない。僕が言いたいのは、中国やある特定の国の人と結婚するのに否定的ということではなく、あくまで、その国のことをよく知らないで結婚するのは躊躇する、ということである。そういうことを考えるにつけても、結婚となると相手の国籍はやはり重要になってくるのでは、と思う。

といっても別にものすごく好きな国があるわけでもないし、国籍で相手を選ぶつもりもないが(それは最悪だし相手に対してとんでもなく失礼だと思う)、これからもしまた外国の人と付き合うことがあるとしたら、将来的にその人の国を好きになれるか、というのを考えてしまうかもしれない

アメリカはどうだろう。僕は別にアメリカがとりわけ好きというわけでもないが、一応1年半住んだし、英語だし、他の国よりはやりやすいかもしれない。しかし、僕は政治的にアメリカに敵意があるわけではないけど、相手の周りにそういう人がいるかもしれないし、相手との間でも全く無関係というわけにはならないと思う

そうすると、国際結婚でみんながハッピーということには中々ならないのだろうか。……いや、「みんながハッピー」とか言ってる時点で甘い気もする。そんなことは日本人同士の結婚でさえ簡単に適うわけでもない。そもそも、二人が本当に愛し合っていればそういう障害も乗り越えていける(むしろその障害が愛を深くする)だろうから、所詮は言い訳にすぎないのだろう。すぐ言い訳してしまうところも僕の悪癖の一つである

 

ただ、いかんせん僕と彼女はお互いのことを知らなさすぎたとしかいうほかない。彼女は日本のアニメや映画が好きでよく観ているけど、日本には2回来ただけだ。僕に至っては中国の映画なんて少林サッカーくらいしか観たことがないし、上海に1日行っただけである。ほとんど何も知らないに等しい。お互いの文化は尊重しようとはしてたが、お互い妙にナショナリスティックで自己主張が強いところがあった。日本で油そばに連れてったとき、せっかく少しは日本語を勉強してるのだからと"Why don't you say gochisosama when you leave?"と言ったらあとで"Why you force me to use Japanese?"と言われてしまった具合である。そんなつもりはなかったんだけど……

加えて、知り合ってわりとすぐ遠距離である。英語もお互いネイティブレベルとは言えない。やはりどちらかが相手の国に留学経験とかがあるのがいいのかなぁと思う。男女が分かり合えること自体困難なのに文化が違うとその難易度はより高まるのかもしれない。以上ダラダラと述べました。

 

映画『人喰い族』感想—単なるB級グロ映画かと思いきや,教訓に満ちたまともな映画だった。

 

TSUTAYAなどに行って「たまにはホラーでも見るか―。B級のスリラーもいいな」と思って棚を見てると必ず目に入るこの作品。タイトルのインパクトとジャケットの強烈な絵面に興味は湧くのだが,それがグロすぎて観る勇気は出ない。

※なお、有名な『食人族』とは全くの別作品です。

 

この度,気が向いたのでついに借りて観ることにした。

観始めると,演技の切れ目が悪く,音楽もワンパターンで「やっぱりこんなもんかな」と思った。一方で,あまりグロいシーンは出てこない。期待はずれだなぁと思った

その後さらに事態は思わぬ展開を迎え,更に期待はずれになり,「とんだクソ映画だわ」と思うのだが,どっこい,そこから更に急展開を迎え,目が離せなくなってしまう。

 

[ネタバレあらすじ]

人喰族

あらすじについてはこのリンクで確認してもらうとして,あらすじを補足の後ネタバレ感想を述べます。

 

 

※以下ネタバレ※

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[ネタバレあらすじ補足]

つまり,死体を作ったのはマイクで「なんだ人喰い族なんていねぇじゃん」ととんだクソ映画かよと思うのですが,その後原住民の若者が登場し、彼らが人を喰うシーンが出てきて,やはり人喰い族はいたことを知らされるわけです。

最終的にジョセフは病死,ルディ,マイク,パットは人喰い族に殺されます。グロリアは人喰い族の1人を助けたことで,その人喰い族に救い出してもらい,命からがら逃げ出し,ニューヨークに生還します。

最終シーンで,グロリアは「カニバリズムは存在しない」という趣旨の論文でニューヨーク大学から博士号を授与されます。

 

 

 

[以下ネタバレ感想]

この映画のテーマは,主人公のグロリアが言っているように,「白人主義・文明至上主義への反省と批判」です。

劇中では,マイクが原住民の平穏な生活に利己的な目的で入り込み,荒らし,さらには原住民を理不尽に殺してしまうシーンが出てきます。しかし,原住民を下に見ているのはマイクだけではありません。虫を食べる原住民を見て主人公の3人が気持ち悪がったり,マングースを身代わりに使うことに一応は納得しながらも,ヘビがマングースを襲う姿を見て(無責任にも)マングースに同情したりするシーンがあります。トラが小動物を襲うシーンもあります。

さらに,原住民や動物だけでなく,コロンビアの現地の人への侮蔑もあります。シャワーが無いと聞いてありえないといい,こんなところに来るんじゃなかったと言ってる冒頭のシーン,更にはニューヨークから来た警察が現地の警察に横柄に振る舞う最後の方のシーンががそれです。

 

すなわち,文明人たる白人(アメリカ人)の頭のなかでは

文明人・白人(アメリカ人)>南米の白人(ラティーノ)>原住民(未開人)>肉食動物>草食動物

という図式ができあがっていることになります。すなわち,ルディのセリフにも出てきましたが,彼らは強い者が弱い者を食らうという「弱肉強食」はやむを得ない自然の摂理であるとして,一応は納得しているのです。

しかし,「カニバリズム」には強い嫌悪を示しています。そんなバカバカしい話はあるわけないと思っています。ここで,なぜ「カニバリズム」だけこの弱肉強食の連鎖から外れるのかという疑問が出てきます。同じ人間の中ですら序列があるのだから,人間が人間を食べる,ということがあってもオカシクないはずです。

そもそもカニバリズムは明らかにおかしいものと本当に言えるのでしょうか?他者の命を食べるという意味では,我々だって,動物の肉を食べているわけです。肉食動物は,草食動物を食べています。それを見ても,もはや当然のこと,必要悪,自然の摂理として不条理だとは思わない。では,なぜ強い人間が弱い人間を食べる,となるとそんなのはおかしいとなるのでしょうか。

確かに,「同じ種族だから」とか「相手が可哀想から」といった意見はもっともだと思います。単に同族嫌悪というか「同じ(似ている)ものは気持ち悪い」というのはあるでしょう。しかし,動物の中には共食いを行う種族もいます。相手が可哀想だから,というのは他の動物にも当てはまるはずであり,人間だけなぜ特別扱いされるのかの十分な説明にはなりえません。

思うに,我々は「都合のいい想像力(共感力)」を使っているのではないでしょうか。すなわち想像力が真の意味で欠如していれば,人間も構わず食べるはずです。他方,想像力が十分にあれば,動物などを食べることもできないはずです。そのくせ,人間を殺したりするし,殺すことについてはその情状に接し,一定程度の共感・同情を覚えることも無くはありません。殺すのはやむを得ない場合もあるのに,食べるとなると強い拒否反応を示します。むしろ,「殺す」より「食べる」ほうが欲求に適っているといえるのに,です。実際,屠殺の現場を目にすると誰でも目を覆いたくなりますが,牛の肉は平気で食べています。

「いや,それは仕方ない,我々は動物の命をもらわなければ生きられない。弱肉強食だ」という批判もあると思います。しかし,別に動物を食べなくたって生きてはいけます。タンパク質は豆類から十分に摂れるし,実際に欧米にはベジタリアンやビーガンの人も多くいますが,彼らは普通に健康に生きています。

そうすると,「命あるものを食べてはいけないのだから,じゃあ植物や野菜もだめなはずでは?」ということになります。これに対しては「植物や野菜には意思も感情も無いのだから共感しようがない」という反論がありそうです。しかし,植物や野菜に意思や感情が無いことは科学的に証明されているのでしょうか?もしかしたら,植物にもこれらはあるのに,単にそれを(少なくとも人間に)伝達する手段が備わっていないから気づいていないだけかもしれません。「野菜にも命がありそれをもらっている」という殊勝な人もいると思いますが,多くの人は野菜に対しては罪悪感を感じないでしょう。これもある意味想像力の欠如なわけです。

植物には知性や感情があると考える科学者が急増(各国研究) : カラパイア

(実際に,植物に感情などがあるとの研究成果もあるようです)

 

さらに弱肉強食は仕方がないと思っているわりに,原住民がすっぽんの肉を食べているシーンは残虐で生々しく(文字通り生の肉を食べているからですが),視聴者は不快感を覚えます。しかし,我々(日本人を文明人の一つに加えても誤りではないと考えられます)もすっぽんを食べます。さばく姿を見ていないだけです。それに,馬刺しのように生の肉だってそのまま食べることもあります。つまり,実質的には同じことをしているのに「原住民がすっぽんを切り裂いて内蔵を取り出しそれをそのまま食べる行為は野蛮」と思っているのです。

それは結局,2つのものの異なった部分と共通した部分のうち,共通した部分を都合よく捨象して,異なった部分を都合のいいように大きく扱っているにすぎません。

 

劇中では,5人のアメリカ人に皆名前が与えられ,それぞれ見た目,性格とも大きく異なっているのに対し,原住民は(後述する例外を除いて)一貫して没個性的な存在として描かれています。名前が無いのはもちろん,皆一様に同じような姿で,言葉もほとんど発しないし,特徴的な動きもありません。ワンオブゼムとしか見てないわけです。

これは,我々が動物や植物,さらには「他の人種」など自分から遠い存在のものを「個性がない」存在として扱っていることを示しているのだと思われます。すなわち,個性がなければ共感のしようがないのだから,雑に扱っても問題はない,ということです。

しかし,アメリカ人の中で唯一,グロリアは彼らに個性を見出します。マイクに銃殺された少女,そして,逃げるように言った少年がそれです。少年は,実際にグロリアに助けられたことに恩を感じ,最終的に彼女を助け出してくれます。恐らく,これが,5人の中で唯一グロリアが生還できた理由でしょう。彼女は原住民を自分と同じ人間として見ることができたのです。

 

グロリアは,最後のシーンでニューヨーク大学から人類学の博士号と栄誉ある金メダルを授与されます。その論文のタイトルは,「カニバリズムーその神話の終焉」です。つまり,グロリアは論文で,自分の体験と事実に反し,カニバリズムの存在を全否定したわけです。

これは,単純に「あの惨劇を思い出したくない」というのもあるかもしれませんが,「文明主義・白人主義を反省し,原住民を尊重しそっとしておきたかったから」と捉えるべきでしょう。仮に論文でカニバリズムの存在を主張した場合,村に研究チームが入り,彼らの生活は脅かされるばかりか,殺人種族として抹殺されるかもしれません。しかし,それは結局文明人のエゴでしかすぎないわけです。そして,その「文明主義への反省」によって,文明のメッカたるニューヨークの名誉ある大学から,科学の博士号という文明主義の象徴ともいえるものを取得したのは,皮肉としか言いようがなく,グロリアの遠くを見るような死んだ目がその全てを物語っています。

 

「命を大切にしよう」というとごく月並みでありふれていて,単なる美辞麗句のようにしか思えませんが,残虐なシーンをもってそれを示したこの映画は,妙な説得力があるように思えます。 (なお,「原住民こそ人を殺し肉を食べているのだから命を大切にしていない」とも言えそうですが,無差別に殺しているわけではなく,遺体も丁重に扱っていることから,他の動物と同様必要性があるときにのみこれを食べている,と僕は解釈しています。侵入者や危害を加えた者の肉しか食べないのかもしれません)

僕はこの映画を観て「動物の肉は食うな」とは言いませんし,僕はこれからも食べていくと思います。この映画が言いたいのは,それよりもむしろ,「人間同士人種や文化が違っても尊重し合おう」ということだと思います。もちろん,それも結局人間のエゴであり,人間だけを特別視するのは上に書いたことに反するわけです。しかし,逆説的ですが,「まずは少なくとも同じ人間くらいは大切にしようよ」ということは言えるのではないかと思います。

他の人種の人を見ると,「みんなおんなじに見える」というのは結構あると思います。同じように,小さい赤ちゃんはみんなおんなじように見えるし,老人もそうです。つまり,「自分から遠いもの」はその個性がつかみずらいのです。

 

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ムルシエラゴ LP 670-4 スーパーヴェローチェ '09 - GRAN-TURISMO 6 (グランツーリスモ6) 攻略Wiki より)

この車を見て,「スーパーカーだ」と思うか「ランボルギーニだ」と思うか「ムルシエラゴだ」と思うか,「ムルシのスーパーヴェローチェだ」と思うかは,その人がどれだけこの車に興味があるか,知識があるかによって違います。ドイツ語の文章を見ても,僕はドイツ語はわからないので何が書いてあるかわかりませんが,英語ならわかります。同じように、他の人種の人でも,慣れてくると国籍の違いとかも予想がつくようになってきます。

つまり,これも月並みな表現ですが,「自分と違ったものを理解しようとする」というのが異人種間・異文化間では極めて重要になると思います。そして結局それは「命を大切にしよう」ということに戻ってくるのかもしれません。

トランプが大統領になり,人種間の軋轢が顕在化している今,鑑賞に値する映画だと思います。いい意味で騙されたなぁ。

 

※あくまで悪趣味なグロ映画です,殺人,動物虐待など不快なシーンばかりなので,鑑賞は自己責任で。

LDR

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(前に書いた記事にちょっと加筆)

留学生につきものといえばLong Distance Relationship、そう、遠距離恋愛である。日本においてきた恋人、留学先で出会った恋人を置いて日本に帰る……などなど。

Penn Lawの中でも、LLM生は自国に恋人を置いてきたという人が多かった。JDでも、アメリカは他州の院に進学することが多いからか、彼氏は◯◯州にいるよーということをよく聞く。この辺は日本と違いダイナミックである。

 

ぺんぎんも留学したり外国の人と付き合う機会が多かったせいもあり、今まで結構遠距離恋愛をしてきた。

カリフォルニアー東京、東京ーカリフォルニア、東京ー大阪、東京ーパリ、フィラデルフィアブリティッシュコロンビア、東京ーフィラデルフィア など…

国を跨いでばかりなので、日本国内なら最早どこでも近く感じるレベルである

 

留学しなくても最近はSNSを通じて知り合う機会も多いので遠距離もより身近になってると思う。僕が思うのは果たしてみんなどうやって続けているんだろうということ。

「離れていても心は一つだよね!」とはよく言うけど、物理的距離と心理的距離は比例する、なんていう研究結果をよく見る。顔を目にする機会が多いだけで親近感が湧くという心理学の研究もあるらしいし、物理的距離が離れれば心理的距離も離れるのはどうやら不可避らしい。

 

しかし、今の時代は恵まれていると思う。どこにいてもLINEですぐに連絡が取れるし、無料で電話もできる。テレビ電話だってできる。どれだけ離れてても、wifiさえあればクオリティも高い。会って話すのとそこまで変わらない。

古典的な遠距離恋愛小説といえば武者小路実篤の『愛と死』だろう。『友情』とあまりにプロットが似てるのでいつもごちゃごちゃになるが、夏子と熱々の書簡を交わすのはこっちでしたね。この中では遠く離れた東京とパリに住む二人が、お互いを思いあった手紙を送りあう。もうその語り口がものすごくて一気に読んだ覚えがある。

この小説がドラマチックなのはやはり手紙という形式によるところが大きい。昔は手紙か電報でしか連絡なんて取れなかった。リアルタイムじゃないし、書くのも大変だし、届くまでに時間もかかる。顔なんか見れない。

そう思うと今の時代がいかに恵まれているか。贅沢を言っちゃいけないよな、とか思う。

しかし、今の時代でもできないことはある、それは一緒にどこかに行くことだ。体験や感動を共有する機会がほとんどない。友達を紹介しあったりすることも難しい。そういう意味では、会話のネタが無くなるということが一番恐るべきことなんでしょうか。電話をしても、「最近どう?」といって、お互いに起きたことを話したりするだけだ。その近況アップデートを楽しいと思うかいちいち面倒と思うかが分水嶺という感じもする。

一方で、遠距離恋愛カップルの結婚率は高いというデータを見たこともある。離れている分大切にしようと思えるし、適度な距離感がそれぞれのプライベートな時間の確保に役立つからだろうか。そもそも、よほど好きじゃないと遠距離で続けようとすら思えないからだろうか。

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残念なお知らせだが、かくいう僕も例の彼女と別れることになってしまった。あっちは結婚を真剣に考えていたようで、僕も将来的にそれも視野に入れはしていたのだが、ちょっとしたことでケンカして、それから「だいたいあなたは〜」というよくあるパターンである。よくあるパターンではあるのだが、ともかくコミュニケーション不足に尽きたなと。実はまともにケンカしたのは初めてだったのだが、僕が鈍感なあまり気づいていなかっただけで彼女の不満は溜まっていたようだ。それなら最後にまとめて言わないでくれよ……というのが男心ではあるが。14時間の時差と英語力の問題も大きかったし、僕の中国カルチャーに対する理解も浅すぎた。残念としかいうほかない。結構へこんでます。

「私はいつでもプロポーズされたら結婚する気でいるけど、あなたの将来に私はいるの?」と訊かれて、「おれもする気はあるはあるし、いると思う」「実は親にはもう少し話してあるの。じゃあいつ中国に挨拶に来てくれるの?」「……わかんないけど、少なくとも今年ではないし、、いずれにせよ、結婚するにしても就職してからじゃないと考えられない。それに国際結婚は二人だけの問題でもないからちょっとまだわからない」「わかった」

そんなこと言われても、まだ君20歳だし、お互い就職もしてないし、だいたい付き合って1年も経ってないし、気が早いのでは……と思ったが、なんでも直感で即決する性質と、極端なところがあるので、「今結婚の意思が明確でないなら別れる」、という結論に至ったのだと思われる

まぁそれはそれで彼女の判断であり、尊重したいし、へこんでても仕方ないので、気を取り直して勉強に集中したいところではあります。夏にアメリカ行く時期、どうしようかなぁ。

 

昔は良かった、バックパッカー。

 

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タイのスコータイにて

 

(前に書いた記事を投稿)

僕が大学に入ってバックパッカーを始めた時は、なんというか「みんな好きで旅行をしている」という感じがした。

2010年当時はSNSをやっている人は少なかったし、スマホを持っている人は少数派だった。実際、僕もtwitterもFBもやっていなかったし、スマホも持ってなかった。東南アジアに行った時はすべてのデバイスを置いて行った。

ネットに触れるのは、3日か4日に一度くらい、宿やネカフェでPCにありついたときだけだ。しかも、時間制限があったり、電波が悪かったりで、母親に無事を知らせるメールを入れて、mixiで友達に生存報告をするくらい。おまけに、日本語での入力の仕方がわからなかったので、英語やアルファベットのローマ字で打っていた。

宿ではやることが無いので本を読んだ。旅先で読む本はいい。今でも東南アジアで読んだ本(三島の豊饒の海)は大切な本になっている。そして、本に飽きたらただボーっとしたり、ふらりと屋台に行ったり、宿にいる人と喋って仲良くなって、一緒に飲みに行ったりした。

いい意味で「世界から隔離」されていた。日本のことや普段の生活のことは忘れて、その土地に正面から向き合っていた気がする。

 

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しかしどうだろう、2年後の留学中にアメリカを旅行した時は、iPhoneとPCを持って行った。twitterも始めていたので、色々と報告したくて仕方ない。

街を歩いていてもスタバを探してはwifiにつなぎtwitterを開き、宿に着けばずっと部屋でiPhoneやPCをいじっている。他の旅行者もだいたいそんな感じ。全然その土地への没入感がない。

 

思うのだが、最近は、「バックパッカー旅行」とか「世界一周」とかが、いわゆるセルフブランディングのための道具と化している気がして仕方がない

つまり、就職の時などのネタとして、あるいは自分をブログなどで売り出すため、そのための道具として旅に出ていませんか、と。つまり、旅が目的ではなく手段となっていませんか、と。

確かに、長期間海外を一人旅をすることは、色んな人間性のシグナルとなるものではある。チャレンジ精神がある、好奇心が旺盛、危険に強い、文化や歴史に明るい、言語に強い、環境適応力が高い、コミュニケーション力が高い、などなど。それが評価されるのは悪いことではない。

 

僕も、バックパッカー旅行を単なる娯楽としては捉えたくなかった。「修行」というのは言い過ぎだが、苦労して一人で色んな困難をクリアしていくという、RPGというか、そういう挑戦とクリアの連続という、試練みたいな捉え方をしている。

しかし、別にそれでどうとかはない。根本的には、色んなところに行きたい、見たことない景色を見たい、会ったことのない人と会いたい、そういう好奇心がすべての原動力となっている。

 

これをブログに書くのもおかしいが、すべての元凶はブログだという感じがする。つまり、みんなブログで人気者になるために旅行してはいませんか、と。ブログのネタ探しのために旅行をしてませんかと。そんなのは本末転倒じゃないか?

世界一周ブログとかが顕著で、ああいうのはいわゆるライフハック系というか、なんとなく意識高い感じのものが多い。確かに情報がまとめられていたり現地の生の感想が見れたりと情報収集には大変便利な代物ではあるんだけど、なんかなぁと。元から書くことありきで旅行があるように見えるし、なんというか、小綺麗にまとめられすぎていて面白みがない。

旅行記なら、個人的には深夜特急みたいのが好きだ。多分自分が文学ファンだからなのかもしれないけど、ああいうふうに自分の内面と向き合って、延々と思考をして、それを赤裸々に書いているのが面白いし、それでこそ一人旅だ、という感じがする。

 

僕が一人旅にハマったのは、高校1年のとき京都と大阪に一泊二日で行ったのがきっかけだった。短い旅行だったし、その時は、ひたすら寂しさしかなかった。話す相手もいないし、体験を共有する相手もいない。金閣寺行きのバスを人間失格を読みながら待っていたら、死にたくなってきた(本のチョイスが悪い気はする)。

しかし、帰ってきたら、どうしようもなく楽しい旅行に思えてきた。関西が自分の中で特別な場所になった。それは恐らく、その旅行が自分だけのものだったからだろう。行き場を失った思いは、自分の中に深く沈殿していくのだ。

(いや、実は僕は当時もブログやってたんだけど、誰も見てない日記みたいなやつだったので)

同じことが、のちに読んだ深夜特急に書いてあった。この本が魅力的なのも、多分こういうところによると思う。

 

最近は何かにつけて「シェア」が叫ばれる。たぶんみんな寂しいんだろうな。こうしてネットが発達して、簡単に人と繋がれるようになったこそもっと繋がりたいし、でも所詮それはバーチャルだから満足感がないし、の延々ループ。旅行の感動を伝えたり共有したりすることは大事だよ。それでまた新しく旅行に出る人がいる。でもなんかなぁ、と思うのである。釈然としない感じ。この「なんかなぁ」、共感してもらえるでしょうか。

あれ、結局僕も共感求めてるやんけ……

 

お後がよろしいようで。単なる懐古趣味かもしれないし、自分次第で旅行はいくらでも楽しくなるだろうけども、最近のバックパッカーはなんか違う。無駄にキラキラしてる。もっと孤独と泥臭さがほしい。そんな風に思うぺんぎんであった。

New Year's Resolution

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(元旦恒例、親戚で行く某ステーキ)

だいぶ遅くなりましたが、昨年はお世話になりました。そしてあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

正月から5日間ほど祖母の家に泊まって勉強合宿していました。「何も言わなくても美味しいごはんが出てくる。洗濯もされている。ベッドメイキングもされている」という最高の環境でした。母親のいない自分には、祖母の小言さえも懐かしく嬉しく感じた。また行きたい。

 

さてタイトルのNew Year's Resolutionとは「新年の抱負」という意味である。

もちろん今年の抱負は言わずもがな、「司法試験合格」ということです。今年はチャレンジの年だ。

思えば、最近は毎年チャレンジの年だったなと思う。

2010年 大学入学、初めての海外

2011年 スタバと塾バイトの掛け持ち

2012年 カリフォルニア留学

2013年 ロー入試

2014年 ロー入学、留学選考

2015年 フィラデルフィア留学

2016年 バー受験

大学入試のときは、「これが人生で一番のチャレンジだろうな」とか思ったが、そんなことはなかった。まぁ、そういう道を選んだからかもしれないが、大人になって振り返ってみれば、大学入試なんてたくさんあるチャレンジの内の一つにしか過ぎないな、と思う。

恐らくもっとあとになって振り返れば、この5,6年間も「毎年何かしら目標があってよかったな」と思うかもしれない。目標がなくて漫然と生きているだけでは、そのときはラクかもしれないが、つまらない

司法試験後再びバーを受けるかは考え中である。就活がどれくらい続くかわからないからだ。だいぶ忘れている今、確実に合格するには2ヶ月の勉強時間が必要と思うので、ちょっとキワドイ。ただ、彼女に会いたいのと犬に会いたいという理由で、どちらにせよフィラデルフィアには行くことになると思う。

そういえば彼女が中国に帰省するついでに先月東京に来たので、久々に会った。毎日連絡しているのであまり久しぶりという感じもしないが。彼女が温泉嫌い(一人で入るのが恥ずかしいらしい)ということをすっかり忘れて大江戸温泉物語に連れてってしまった。あそこは楽しいが、ちと値段が高いですね

去年は本当に色々なことがあったが、その振り返りとかはまた今度気が向いたらさせてください

 

新年の抱負を叶えるにあたり僕も少し生活を改めた。まずはツイッターを辞めた。ツイ減ではなくツイ禁である。アプリもアカウントも削除した。

ツイッターをやっていない読者の方は「何をそんなもの」と思われるかもしれないが、僕にとってツイッターを辞めるというのは一大事である。SNSの中毒性・依存性というのは、一説では薬物にも匹敵するものであるらしい。リツイートとかされるとドーパミンがドバドバ出て、承認欲求が満たされ、多幸感が増すとかなんとか

今考えてみるとアメリカでもツイッターばかりやっていたが良くなかった。水村美苗が『私小説』の中で、アメリカでうまくいかない生活をしている中、唯一の心の拠り所が日本文学だったと書いていたが、僕にとってはツイッターだったのだ。ツイッターを通して日本や日本の友達とつながっていることが心の支えだった

しかし、いざ辞めてみるとそこまで禁断症状はでない。やはりスパッと何かを辞めてみるのはいいことだと思う。あれだけ毎日見てたのに、今のところそこまでしんどくない

実はその代わりにWeibo(中国版ツイッター。彼女に始めさせられた)を見るようになったのだが、ほとんど中国語で理解できないおかげで開いてもすぐ閉じる。天皇の平成31年退位についてはWeiboで知った

 

それから酒も飲まなくなった。去年は飲み会で結構時間が取られていたし、気分が良くなってつい夜更かししてしまう。この前はイタリアンバルに行ってジンジャエールを飲んでいた。

 

そんなわけで、今年もよろしくお願いします。

コロンビアでの日本人バックパッカー殺害事件を受けて/南米での過去の日本人死亡事件

www.nikkei.com

 

arcanaslayerland.com

今から2週間ほど前だが、大学生がコロンビアで強盗に殺害される事件が起きた。バックパッカーにとってまた衝撃的な事件が一つ増えてしまった。これを機に改めて海外での安全を考えたい。

 

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自分の経験から

僕も、初めて東南アジアに行ったときは、初めての海外で一人旅だったので、本当に気をつけていった。旅先で会う人はまず疑うようにしていた。

しかし、去年と今年にかけて南米に行ったときは、わりと気が緩んでいたなと思う。初めて友人と一緒に行って安心感があったというのもあるが、自分が旅慣れているという自信と、アメリカに1年暮らしたという海外への慣れのせいだと思う。

しかし、上のリンクの記事でも言っているように、この「慣れ」こそが一番恐ろしいと思う。「なんだ、意外と悪い人ばかりじゃないじゃん」という経験則を得ると「人を簡単に疑うなんてよくないな」と思うようになる。下手をすると、安全策を取っている人を見て「そこまで気をつけなくても大丈夫だよ」と、変に自信というか、先輩風を吹かせてしまうこともある。彼がどうだったかはわからないが、彼の死から学ぶべきなのはこういうことだと思う。

 

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中南米は危険なのか

中南米は危険というイメージがあるかもしれないが、一口に「中南米」と言っても広い。南米では今回事件が起きたコロンビア、ベネズエラ、そして中米ではホンジュラスエルサルバドルなどが最も危険と言われている。

 

実は、旅行先を考える時、中米も選択肢の一つだった。

「土地が狭くて一気に何カ国も行ける」「マイナーな国ばかりで面白そう」「中米を抜ける冒険感」が魅力で、メキシコからコロンビアまで行こうかなと思った。結局、あまり見どころが無いという理由で南米にすることにしたが、中米が本当に危険であるということも理由の一つだった。

そして、コロンビア(の首都ボゴタ)に行く案もあったが、2つの理由で却下となった。一つはエクアドルのキトから遠いこと、そしてもう一つは、「危険なこと」だ。

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http://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo_248.html#ad-image-0より

この外務省の危険情報を見れば一目瞭然だが、コロンビアは最低でもレベル1、そしてレベル3の地域もかなりある。

実は、中南米全体でもこれは異常なのだ。

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ブラジル、ボリビアなどは、案外真っ白である。

確かに、ボゴタや今回事件があったメデジンはレベル1であり、ここ自体は旅行で行く人も多い。しかし、陸路でベネズエラエクアドルに抜けることを考えた場合、レベル2や3の地域は避けては通れない。そして、コロンビアではバス強盗が多発しているという情報が山のようにあった。バス強盗はもう防ぎようがない。世界で色々とテロが起きている時期でもあり、怖くて行くのをやめた。

 

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南米での主な日本人の事件

南米も大都市を選び危ない場所は避けるようにしたが、例えば日本人が過去で被害にあっている場所は警戒する。やはり自分と近い境遇の人の事件は衝撃度が高い。

 

世界一周屋 ~ Go around the world!! ~: 【La Paz】 ラパスで置き引きに遭う

例えば、ボリビアのラパスは置き引き等が多発している場所である。荷物には最大の注意を払った。

 

世界一周旅行中の夫婦ブロガー死亡、アフリカでマラリア感染か? | ちほちゅう

それから、ラパスは有名な世界一周ブログ夫妻がマラリアで死亡した場所でもあった。

彼らはアフリカでマラリアにかかり、ラパスに来て発症したものの、高山病だと勘違いして(ラパスの標高は4000m)、そのまま死亡してしまった。

そういうわけで、ラパスはバックパッカーにとってはある意味で特別な場所だった。僕はアメリカで黄熱病の注射を打ち、マラリアと高山病の薬も持っていったが、少し気分が悪くなったりすると何かの病気かと思って冷や汗が出た。

 

ボリビアで邦人女性が事故死 | 2011/6/3(金) 16:01 - Yahoo!ニュース

更に、デスロードと呼ばれるラパス近郊の崖を自転車で下るツアーでも、日本人が崖に転落して死亡している。僕はツアーに参加するか迷ったが、結局命の危険を感じてやめた。

 

エクアドル新婚旅行殺人事件 - Yourpedia

そして、エクアドルグアヤキルは日本人の新婚旅行夫婦が殺害された場所である。実際、夜のグアヤキルは人通りが無く、店も閉まっていて本当に危険を感じた。入国時に「流しのタクシーには乗るな」という注意書きをもらった。もしかしたら殺されるかもしれないという危機感を常に持ってはいた。

しかし、夜にバックパックを背負って(明らかに旅行者とわかる格好で)一人で出歩いたりもしたのだから、何も無かったのは運が良かったという言い方もできる。本来ならば、夜に一人出歩くべきではないのだ。僕がもしそこで被害にあっていたら、僕にも責任があるだろうなと思う。

 

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バックパッカーの武勇伝自慢は危ない

バックパッカーはハプニングを自慢げに話しがちだ。

たしかに、「あんな危ない目にあったけどなんとか助かった」というのは冒険譚としては面白い。僕自信も、ちょっと危ない目にあったことを武勇伝的に友達に話したことが結構ある(宿で荷物を荒らされたとか)。

しかし、自分の警戒のお陰で防げたという教訓ならともかく、単に危ないことをして危ない目にあったが助かったというのは「運が良かった」に尽きる。例えば「コロンビアは危ないっていうけど俺は何もなかったからだいじょぶ。全然へーきよ」というのは本当に無責任だ。単にそいつが運が良かったに過ぎない

「きれいな場所だったし、俺は大丈夫だったけど、被害にあった人もたくさんいるから、もし行くなら本当に気をつけるべきだよ」と言うべきだろう。今回の事件は、そういう文脈で語られるべき教訓だ

 

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 今回の事件からの教訓

ただし、そういう危険な都市に行くこと自体を批判するのはどうかと思う。メデジン自体はレベル1だし、今回殺害された方を批判する気にもなれない。

確かに、

①電子機器(iPhoneタブレット、カメラだろうか)を見えるように使っていた

②ひったくりを追いかけてしまった

というのは彼の落ち度かもしれない。旅慣れていることで油断もあったのかもしれない。しかし、カメラ等を普通に首から下げている旅行者は山ほど見たし、初めから銃を突きつけてきたような強盗ならともかく、単なるひったくり(刑法的にはこれも強盗になりうるが)だったら、つい追いかけてしまうのもわかる気がする。初めての強盗犯が凶悪犯だったというのは、運が悪かったとしか言いようがない。

 

ただ、こういう事件を受けて旅行する人が減ってしまうのは悲しいと思う。確かにいくら警戒しても防げない事件はあるし、その発生度は圧倒的に日本より南米などの方が高い。ただ、気をつければ防げるものが多いことも事実だし、旅行は本当に楽しい。南米は本当に行く価値があるところだ。

ただ、こういう事件を教訓にして、日本人の危機意識が上がればいいと思う。

Matt Parker氏(Penn Law) の死に寄せて

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www.law.upenn.edu

 

8年間に渡りPenn LawのGraduate ProgramのAssociate Deanを務めていたMatt Parker氏が脳腫瘍で亡くなったとの知らせを受けた。

実は、亡くなったのはもう今から20日も前の11月6日だが、メールを見過ごしていたのと、FBをチェックしておらず、昨日ペンの先輩と話していてようやく知ることができた。

本当に言葉がない。まだ43歳だった。5月の卒業式のときはあんなに元気そうだったのに……。先月にMattが脳腫瘍でホスピスに入ったとの知らせを受けたが、それも驚きだった。まったくそんな兆候は(少なくとも僕が知る限りでは)見られなかったし、あんなに溌剌としていた彼が病にかかるということ自体もあまり考えられなかった。

彼はLLMを取り仕切っていて、本当にお世話になった。合格したときから個別にメールで書類などを送り、入学前の事務的メールも全て彼から来ていた。入学式では、ペンのネクタイをつけて、「世界で最も素晴らしい法教育機関に入れたことをお誇りに思ってください。一緒に素晴らしい将来を作りましょう」といったことを熱っぽく語ってくれた。そして「私をただのAssociate Deanとしてでなく、それ以上に思ってください。何かあったらいつでも頼ってください」と言ってくれた。

その言葉通り、Penn Lawでの生活は彼をなくしては成り立たなかった。Quizzo(フィラデルフィア発のクイズイベント)とか、学校のイベントのほぼすべてに関わっていた。事務的なメールがしょっちゅう来て、その後に、"And one more thing, have a great weekend"というメールを送るなど、とにかくユーモアに溢れた人だった。

それから、僕はLLM Committee(LLM委員会)に属し、Yearbook(卒業アルバム)作成の責任者だったので、その件でもお世話になった。一度発注の時に急遽お金が必要になり、チェックとかが必要で支払いのトラブルになったときは、個人的なカードで建て替えてくれたりした。

熊本の地震など、学生の出身国での災害やテロなどの事件が起きると、すぐにメールを来れ、何かあったらいつでも電話してください、ということも言ってくれた。

"Matt was a beloved figure in the Penn Law community, known for his kindness, intelligence, humor, and generosity."(Mattはその優しさと知性、ユーモア、寛大さで知られる、Penn Lawのコミュニティで愛されている存在だった)

とのDeanのコメント通りの人だったと思う。Penn Lawのフレンドリーで自由な雰囲気はひとえに彼の人柄に寄るところが大きかっただろう。僕は知らなかったが去年にはPennのGSEで教育学の学位を取得するなど、とにかく教育熱心で熱意と学生への思いやりに溢れた人だった。

彼のオフィスには家族との写真もあって、二人のお子さんはまだ小さかったようである。本当に残念としか言いようがない。

1年と短い間だったけど、本当にお世話になりました。この場を借りて、Mattのご冥福をお祈りします。