2020年振り返りー仕事面

あけましておめでとうございます。

去年はあまり更新できませんでしたが、お世話になりました。今年も細々と更新していきたいと思います。

 

早いもので弁護士生活を始めて一年が経った。毎日来る仕事を処理していくことに必死で、気づいたら一年も経ってしまったという感じである。仕事のやり方を完全に覚えたとはいえないし、もう後輩が入ってきてしまう、すなわち一年目の「何でも質問できる」という特権も失われてしまうのだと思うと恐怖でしかない。

仕事が楽しいかといわれればそんなことはなく、成果物を出したときの達成感や、依頼人から感謝されて満足感を覚えることもあるが、基本的には地味で難しい仕事である。そんなことをパートナーの先生に相談したら「まぁ、仕事なんて基本的にはしんどいものでしょう。少しでも楽しいときがあればいいんじゃない」と言っていただき、なんだか肩の荷が下りた。

 

仕事はこの一年色々とやったが、主にはコーポレートとIP業務である。色々な契約書をレビューして、多少なりとも各々の契約類型で見るべきところはわかってきたようにも思う。英語の契約書にもだいぶ慣れてきた。不正調査案件や仲裁(になりそうな事案)にも携わることができた。また、(もちろん共著であるが)会社法関係の書籍の執筆にも携わることができた。

他方で、自分が何を専門とすべきかが相変わらず見えてこず、モヤモヤした感じは続いている。大学の学部を決めるときも(昔から弁護士になるのが夢だったが、実は文学部と迷っていた)、修習地を決めるときも、本当に直前まで悩むのは悪い癖である。

結局、決断というのは他のものを捨てるということだが、それをやるだけの勇気がないから先延ばしにして選択肢を残しているということであり、これが僕自身一番問題に思っている性格である。30年経っても変わらないのだからうまく付き合うしかないのだろうが、やはり(少なくともビジネスで)成功している人の多くは即決家が多いというから、変えなければいけない部分だと思っている。

 

仕事は色々やったが、実は一番楽しかったのは専門とは全く関係のない国選弁護であった。

元々刑事事件が好きで弁護士を目指したわけだし、検事とも進路を迷ったのだから当然なのだが、とてもやりがいがあった。何より案件の方針を考え、接見し、書面を起案し、検察官等と連絡をし、というのをすべて自分一人でやったのだ。大阪の修習の指導担当に相談したり、秘書に校正はしてもらったものの、あとは誰の指示も受けず、自分で考えて作業し、自分が起案した書面がそのまま出る。達成感がないわけがない。普段の仕事では上の先生のチェックが入り、自分一人で案件を行うことはまずないのだから…(もっとも、他の案件でも書面の出来が良ければあまり修正が入らずに最終盤になりうるので、そこは僕の力不足でしかないのだが……)。

じっくり一対一で話をするのが好きということもあり、接見も全く苦ではなかった。被疑者がたまたま同い年だったということもあり、共感する部分も多かったし、私生活や趣味の映画(キューブリックである)のことについても色々話した。頼ってもらっているという感覚もあり、それが何より嬉しい。

さらに、成果も出た。たしかに雑な勾留請求ではあったのだが、勾留の裁判に対する準抗告が通ったのである。申立てをした即日被疑者は身柄を解かれた。初めての刑事事件で中々通らない準抗告が通ったわけで、思わず大阪の先生に電話してしまった。

その後、示談を成立させ、終局処分に対する意見書も起案し、無事に不起訴となった。被疑者にもそのお母さんにも喜んでもらえた。なんだか自分が弁護士になった実感がようやくあった。

多分この事件のことはこれからずっと忘れないんだろうなぁ。

 

 

裁判はようやく一つだけやっている。揉めている案件は気苦労も多いのだが、どちらかといえばドタバタしている方が好きな僕にとって、裁判案件に一つしか関われなかったのは残念である。来年は裁判の件数を増やし、一般民事の案件にも取り組んでいきたい。

また、目の前の案件をただこなすだけではなく、そこから何を学び、次に繋げていけるかを考えるようにしたい。

2年目は1年目のような甘いことも言っていられないだろうし、仕事量も増えると聞いているので戦々恐々ではあるが、体には気をつけつつ頑張りたいと思う。