2020年振り返りーエンタメ

去年はとにかくコロナ禍である。

そして、時間ができたことによる各種エンタメへの傾倒である。

緊急事態宣言のときはリモートワークになり家に引きこもったが、ちょうど友人と住んでいたため寂しいということはなかった。二人でそれぞれ仕事をして終わったら軽く飲んで、友人が作ってくれるご飯を食べる。なんだかんだ楽しい毎日だった。

前に、「エンタメは作品が山のようにあってやる気をなくしてしまう」といったことを書いた。仕事(研修)が始まったばかりで色々と絶望していた1月のことである。あのときは何もやる気がしなかったし、何を見てもあまり楽しいと思えなかった。まだコロナもなかったのに、研修が終わった夕方も、土日も、何もせず家でダラダラしていた。今考えてみると鬱の兆候があったのかもしれない。

しかし海外研修を経て本格的に仕事が始まると、忙殺されたこともあるが、そういった精神状態は回復した。エンタメにも向き合う心の余裕ができたし、「別にすべて見なければならないわけではない」という当然のことに気づいたし、むしろ色々と見たい、体験したいという前向きな気持ちが生まれた。

そのきっかけにもなったのがテラスハウスである。僕はこれまで、テラハは自分の夢を追うイケてる美男美女がワイワイしている話、というように斜に構えており(要は嫉妬しており)、あまり見たことがなかったのだが、僕もいい年になり殆どの参加者より年長の存在になり、自分の弁護士という夢も一応叶えたという満足もあってか、一歩引いて普通に楽しめるようになった。テラハは悲しい事件もあったわけだが、自分の生き方を考える良い教科書だと思う。

テラハのことについては話すと長くなるので別稿にしたいと思う(以下同じ)。

テラハ東京編を見た僕は、鬼滅のアニメを見た。1月に少し見たときは自分の暗い精神状態にあの残酷な物語が肌に合わずすぐに辞めてしまったのだが、4月くらいに友達と一気に見て、ハマった。マンガも全巻買い、朝までぶっ続けで読んだことをよく覚えている。ハマりすぎて普段買わないグッズなんかも買ってしまった。アニメ派の皆さん、本当に面白いのはここからなので、楽しみにしておいてください。

 

そして、梨泰院クラスである。愛の不時着とともに第4次韓流ブームを形成したパク・ソジュン主演の連続ドラマである。これがとにかく面白い。このドラマは他の韓流ドラマと一線を画し、恋愛要素だけでなく、半沢直樹のような復讐劇、仲間との青春、そしてビジネスでの成功を目指すという様々な要素がある。白い巨塔のような成り上がりドラマが好きな僕にこれは刺さった。パク・セロイのひたむきで実直な生き方に心が打たれた。絶望の中でも信念を持って人生に向き合う姿に感銘した。これほど元気が出るドラマが他にあるだろうか。

対象的な二人のヒロインも良かった。正統派美人で優しい幼馴染のスアと、可愛くて聡明で皮肉屋のビジネスパートナーのイソ。イソは単なる恋の相手としてではなく一緒に事業を行うパートナーとして描かれるがこれがなかなか新しい。古くは寡黙な綾波ツンデレのアスカのような二人ではあるが、イソは単なるツンデレでは終わらないキャラクターであった。ちなみに僕は断然イソ派である。

梨泰院クラスは白い巨塔を超えて自分史上最高のドラマかもしれない。

 

それからキングダムのマンガにハマった。鬼滅も面白かったが、キングダムの面白さはそれを軽く凌駕する。というか、今まで読んだマンガの中で圧倒的に一番面白かった。梨泰院と並ぶと自分史上最高のバーゲンセールかもしれないが、とにかく読み出すと本当にやめられない。既刊の50数巻まで大人買いしてから読み始めたが、すぐに全部読んでしまった。リーダシップについて考えさせられるという意味でビジネスマンにも進められており、たしかにその意味でも学べるが、何よりとにかく面白いので、読んでない皆さんもぜひ読んでみてはどうだろうか。

 

そして次にハマったのがNizi Projectである。少女たちがアイドルを目指すオーディション番組。これもパク・ジニョンのアドバイスが勉強になるみたいな触れ込みで見始めたが、ハマってしまった。娘を応援する親の気持ちというのはこのようなものなのだろうか。NiziUも応援しようとファンクラブに入ってしまったくらいである。元々BLACKPINK、twice、などK-POPは好きだが、自分の中で再度ブームが来た。

 

その他にも、これも面白さではピカイチであったNetflixオリジナルドラマの今際の国のアリス、高校生ぶりに見直したエヴァ、テラハのハワイ編と軽井沢編、マンガでいうと呪術廻戦チェンソーマン、などなどいろんなエンタメに触れ、ハマった一年だった。

今までもエンタメは好きだったが、テラハの古いものを除いてこれほど「流行りのもの」に乗った一年はそうなかったような気がする。その原因は色々あり、コロナで家にいる時間が増えたからとか、デカイTVを買ったからとか(一人暮らしなのに55型)、単純に面白いものが増えたからとかもあるが、何より「流行りもの」の重要性を今更ながらに感じたことにあると思う。

僕はずっと厨二病だったので音楽は古い洋楽ばかり、本は古い小説ばかり、映画も古いものばかりだった。時代の風雪に耐え残ったもののほうが普遍的な価値があるのだろうという考えがあるのだと思う。しかしそもそもビートルズもオアシスも最初は同じく流行りものだったわけだし、流行りものにはその時代を映すという絶対的な価値がある。あとになってその作品とともに時代を振り返ることができる。三島由紀夫石原裕次郎について同じようなことを書いていたが、花はやがて枯れるように、流行り廃りこそが美しい。

故に流行り物はその次代の共通言語となる。コミュニケーションを円滑にしてくれる。その「社会」の中に含まれているという安心感を与えてくれる。「流行りものは、それを通して会話に参加するという権利を与えてくれる」といった言葉があるらしいが、なるほどと思った。女子高生が流行に敏感なのはこういう理由だと納得がいった。そうでないと会話ひいては「社会」から取り残されるのだと思うと可哀想ではあるが。

そういう意味では流行に追い立てられるのも疲れるし、「キメハラ」などの言葉に代表されるように「遅れないようにチェックしなきゃ…」…となるとエンタメを追うことに義務感を感じる。ただ、プロモーションの努力もあるにせよ、やはり流行るからには相応のクオリティのものばかりである。どれも面白い。試してみて後悔したことはあまりない。そう思うと、斜に構えて卑屈になっていくよりも、素直に流行りに乗って、作品を楽しみ、会話も楽しんだほうが何倍もお得である。

そういうわけで、このように僕が会話や「社会」への参加を希求しているのは、初対面の人と話す機会が増えたとか、大人になって丸くなったとかもあるのだろうが、やはりコロナという共通の敵を前にして一つになりたいという気持ちがあるのだろう(最近はコロナこそが分断を生んでいるが)。鬼滅の異例のヒットもやはりコロナとは無縁ではないと思う。みんなで共通して楽しみ、語れる物が必要だったのだろう。

 

2020年を振り返ろうと思ったらほとんどエンタメの話で終わってしまった。その他のものについても次回書きたいと思う。