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ぺんぎんぺーぱーちぇーす -PennLawLL.M.留学記-

University of Pennsylvania Law School LL.M.(ペンシルベニア州フィラデルフィア)を修了し、日本に帰ってきました。留学時代のことやアメリカのことなどを細々と書いていきます。

昔は良かった、バックパッカー。

 

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タイのスコータイにて

 

(前に書いた記事を投稿)

僕が大学に入ってバックパッカーを始めた時は、なんというか「みんな好きで旅行をしている」という感じがした。

2010年当時はSNSをやっている人は少なかったし、スマホを持っている人は少数派だった。実際、僕もtwitterもFBもやっていなかったし、スマホも持ってなかった。東南アジアに行った時はすべてのデバイスを置いて行った。

ネットに触れるのは、3日か4日に一度くらい、宿やネカフェでPCにありついたときだけだ。しかも、時間制限があったり、電波が悪かったりで、母親に無事を知らせるメールを入れて、mixiで友達に生存報告をするくらい。おまけに、日本語での入力の仕方がわからなかったので、英語やアルファベットのローマ字で打っていた。

宿ではやることが無いので本を読んだ。旅先で読む本はいい。今でも東南アジアで読んだ本(三島の豊饒の海)は大切な本になっている。そして、本に飽きたらただボーっとしたり、ふらりと屋台に行ったり、宿にいる人と喋って仲良くなって、一緒に飲みに行ったりした。

いい意味で「世界から隔離」されていた。日本のことや普段の生活のことは忘れて、その土地に正面から向き合っていた気がする。

 

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しかしどうだろう、2年後の留学中にアメリカを旅行した時は、iPhoneとPCを持って行った。twitterも始めていたので、色々と報告したくて仕方ない。

街を歩いていてもスタバを探してはwifiにつなぎtwitterを開き、宿に着けばずっと部屋でiPhoneやPCをいじっている。他の旅行者もだいたいそんな感じ。全然その土地への没入感がない。

 

思うのだが、最近は、「バックパッカー旅行」とか「世界一周」とかが、いわゆるセルフブランディングのための道具と化している気がして仕方がない

つまり、就職の時などのネタとして、あるいは自分をブログなどで売り出すため、そのための道具として旅に出ていませんか、と。つまり、旅が目的ではなく手段となっていませんか、と。

確かに、長期間海外を一人旅をすることは、色んな人間性のシグナルとなるものではある。チャレンジ精神がある、好奇心が旺盛、危険に強い、文化や歴史に明るい、言語に強い、環境適応力が高い、コミュニケーション力が高い、などなど。それが評価されるのは悪いことではない。

 

僕も、バックパッカー旅行を単なる娯楽としては捉えたくなかった。「修行」というのは言い過ぎだが、苦労して一人で色んな困難をクリアしていくという、RPGというか、そういう挑戦とクリアの連続という、試練みたいな捉え方をしている。

しかし、別にそれでどうとかはない。根本的には、色んなところに行きたい、見たことない景色を見たい、会ったことのない人と会いたい、そういう好奇心がすべての原動力となっている。

 

これをブログに書くのもおかしいが、すべての元凶はブログだという感じがする。つまり、みんなブログで人気者になるために旅行してはいませんか、と。ブログのネタ探しのために旅行をしてませんかと。そんなのは本末転倒じゃないか?

世界一周ブログとかが顕著で、ああいうのはいわゆるライフハック系というか、なんとなく意識高い感じのものが多い。確かに情報がまとめられていたり現地の生の感想が見れたりと情報収集には大変便利な代物ではあるんだけど、なんかなぁと。元から書くことありきで旅行があるように見えるし、なんというか、小綺麗にまとめられすぎていて面白みがない。

旅行記なら、個人的には深夜特急みたいのが好きだ。多分自分が文学ファンだからなのかもしれないけど、ああいうふうに自分の内面と向き合って、延々と思考をして、それを赤裸々に書いているのが面白いし、それでこそ一人旅だ、という感じがする。

 

僕が一人旅にハマったのは、高校1年のとき京都と大阪に一泊二日で行ったのがきっかけだった。短い旅行だったし、その時は、ひたすら寂しさしかなかった。話す相手もいないし、体験を共有する相手もいない。金閣寺行きのバスを人間失格を読みながら待っていたら、死にたくなってきた(本のチョイスが悪い気はする)。

しかし、帰ってきたら、どうしようもなく楽しい旅行に思えてきた。関西が自分の中で特別な場所になった。それは恐らく、その旅行が自分だけのものだったからだろう。行き場を失った思いは、自分の中に深く沈殿していくのだ。

(いや、実は僕は当時もブログやってたんだけど、誰も見てない日記みたいなやつだったので)

同じことが、のちに読んだ深夜特急に書いてあった。この本が魅力的なのも、多分こういうところによると思う。

 

最近は何かにつけて「シェア」が叫ばれる。たぶんみんな寂しいんだろうな。こうしてネットが発達して、簡単に人と繋がれるようになったこそもっと繋がりたいし、でも所詮それはバーチャルだから満足感がないし、の延々ループ。旅行の感動を伝えたり共有したりすることは大事だよ。それでまた新しく旅行に出る人がいる。でもなんかなぁ、と思うのである。釈然としない感じ。この「なんかなぁ」、共感してもらえるでしょうか。

あれ、結局僕も共感求めてるやんけ……

 

お後がよろしいようで。単なる懐古趣味かもしれないし、自分次第で旅行はいくらでも楽しくなるだろうけども、最近のバックパッカーはなんか違う。無駄にキラキラしてる。もっと孤独と泥臭さがほしい。そんな風に思うぺんぎんであった。