前略プロフってあったの、覚えるだろうか。
今の若い子はおそらく知らないだろう。mixiすら知っているか疑問だ。
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僕の世代はちょうど青春時代をSNSの成長とともに過ごしてきたようなものだ。
高校のときにはブログが流行った。
僕の周りの軽音楽部ではこれが当然のツールとなり、毎日くだらない日記を書いてはコメントを残す。そんなことをしていた。
高校の途中くらいからmixiをやる人がチラホラ出てきた。
しかし僕は頑なに拒否した。もともと性格が硬いのと新しいものを怖がるタイプなのもあり、「まぁ受験終わるまではやらないでおこう」という感じ。mixiってなんかチャれえよなぁーと思ってた。大学に入ってようやく始めた。
そしてFacebookだ。
僕は大学一年の冬に始めた。ヨーロッパを旅行してて、ポーランドのクラクフで知り合ったイタリア人のパオロというやつが勧めてくれて、その場で始めたのだ。当時は周りはそんなにやってなかったので、珍しく時代の最先端を行ってたと思う。
それから少し遅れてtwitterを始めた。自分的にはこれが一番合う。飾らず言いたいことをだらだら垂れ流す感じ。
LINEはいつから使い始めただろう?確か、カリフォルニアにいた時に台湾の子に教えてもらったような気がする。だから本格的に使い始めたのは大学3年の終わりくらいからかな。そういえばカカオトークなんてのもあったな。
instagramは友達に強制的にアカウントを作らされたが、実はまだ一回も投稿していない。
そのほかSkypeも使ってたし、今はスナチャとかtumblrとかTinderとか、SNSは色々ある。
SNSはこの情報の洪水の中でよりシンプルになっていってる。
ホームページやブログからtwitterやLINEへ。より短くて、シンプルで、リアルタイム性とインタラクティブ性が重視されるようになってきた。
「リアルタイム性」や「インタラクティブ性」の走りといえばtwitterやFacebookというのが世間や世界での定説だが、実はこのどっちもそこそこ備えていたSNSがかつて存在していたのだ。
それはmixiでもブログでもない。
それより前、僕が中学の時に流行っていた。
前略プロフとは、僕が中学生だった2005年前後に流行った元祖SNSとも言うべきシロモノである。当時はスマホなどないので、みんなガラケーでやっていた。
コンテンツは以下の4つ。
1. プロフィール
80個くらいある一問一答の項目に答えて作るもの。これがメイン。
性別、誕生日など基本的なものから、好きな〜や嫌いな〜という王道の質問、そして「今、彼氏や彼女はいる?」から「浮気の境界線は?」などの恋愛まで。
2. リアル
短文の日記である。つまり今のtwitterのようなものだ。mixiにもボイスとかいうやつがあったが、多分元はこれなのだろう。
twitterと違うのは、タイムラインという概念はなく、すべての投稿が各自のページにあるということだ。つまり、その人の投稿を見るにはその人のページに行かなければならない。
3. アルバム
写真を投稿できる。コメントとかはできない。
4. リンク
友達のプロフのリンクを紹介文とともに貼る。これにより、mixiでいうマイミク、Facebookでいうフレンドのリストが出来上がる。この数がステータスだった気がする。
実にシンプル。当時はガラケーで写真のクオリティが低かったのもあり、どちらかというと文字メインのコミュニケーション。
基本的にはリア友との交流に使われていたが、友人の友人など、前略プロフを通じて新しい友達を作ったり、ということも行われていた、と思う。
リアルだけならtwitter(短文ブログ)だが、アルバム、リンク、プロフィールを組み合わせれば、フィードがないFacebookと言っても申し分ない。
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で、この大SNS時代に前略プロフのことを思い出すにつけ、不思議なことが二つある。
不思議なこと1つ目
当時この前略プロフを使っていたのは、主にいわゆるスクールカーストの上位にいたやつらだ。簡単にいえばリア充だ。僕の中学は田舎だったので、ヤンキーぽいやつ、ギャルぽいやつがこれを常用していた(僕は使っていなかったが、理由は後述する)。
しかしどうだろう、今の最も強力なSNSであるFacebookで目立つのは、そういうヤンキーやギャル系ではない。簡単にいうと高学歴が多い。
高学歴で、学生でいえば留学やサークル活動などでアクティブにしているヤツ、社会人でいえば、趣味や仕事でなんだか充実してそうなヤツ、である。
別に、そういうヤツが皆中学の時スクールカーストの下にいたとは言わないが、逆転現象が起こっているのは確かである。これはなんでなんだろう?
一つの仮説としては、中学の時と今では「ステータス/カースト」を構成するものが変わったということだ。
当時はイカつくて足が速いヤツが持てた。今は頭が良くてお洒落で年収が高いヤツがモテる。パチンコと酒が趣味、ではモテない。
つまり、カーストの構成が変わり、それに準じて使う層も変わった。結局時代ごとのリア充層がSNSのヘビーユーザーである、とそういう話。
なお、twitterのヘビーユーザーはいわゆる非リアが多いと思うが、それは置いておく。
二つ目の仮説としては、ネットリテラシーの問題だ。
前略プロフはシンプルだしガラケーで使いこなせるが、Facebookはもう少し複雑である。パソコンやスマホを全員が使いこなせるとは限らない。
ネットリテラシー的なものは、ある程度学力に比例する。
不思議なこと2つ目
そして、もう一つ気になることがある。
僕は前述のように前略プロフを使っていなかったが、それはこのサービスに対する生理的嫌悪から来ていた。
当時の僕としては、ああやって訊かれてもいないプロフィールを公開するなんてなんか気持ち悪かったし(当時はうまく言葉にできなかったが、自己顕示欲の無邪気な放出に対する生理的嫌悪だろう)、何より「今の自分の気持ちをみんなが見れる環境に吐露する」という"リアル"という機能には鳥肌が立っていた。
そんなのはみっともないし、見境がないし、品のないことだと考えていたのである。
今の言葉で言うと、もしかしたら「リア充氏ね」という単純な嫉妬心だったのかもしれない。変なこだわりを持たず自己表現ができている彼らが羨ましかったのだろう。
しかしまぁ、ともかく自分の中の絶対的なこだわりとして、最後まで使わなかった。
言っておくが、多分、スクールカーストが下だったからではない。
当時付き合っていた彼女(*学年で一番難攻不落かつ可愛いと言われていた子である。スクールカースト下位説の否定に必死)は「私こういうの苦手なんだよねー」と頑なに使わなかったが、僕は彼女のそういう天邪鬼なところが好きだった。その辺が似ていてうまくいってたのだと思う。
話が逸れたが、ともかく僕はそういう"リアル”の吐露には身の毛がよだつ思いだった。
しかしどうだろう、僕は今twitterで至極どうでもいい身の回りのことを公開しているのである。
とりわけ、本垢は言いたい放題書いていたので、初めて会う先輩に、「あ、君があのtwitterで有名な」とか言われたり、それが原因で友達や彼女とケンカになったものだ。別に、周りに自分の個人的なことを公開することに羞恥心がなくなった。
そして、周囲を見渡しても、例えば社会的に成功している公人、しかも学者や小説家などの比較的堅い人種の人さえも、躊躇なくそういうことをしている。
つまり、こういう「私生活の吐露」はもはや現在のスタンダードなのだ。
とすると、当時前略プロフを使っていた彼ら彼女らは、時代の最先端を行っていたことになるのではと思うのである。
彼らは新しいものを恐れず、無駄な羞恥心で表現の可能性を狭めることなく、他の人とコミュニケーションしてたのだ。
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とまぁ、そういうわけなのだが、ここまで書いて何が言いたいかというと、
単純化すれば、
ギャルとヤンキーってすごくない???
ということだ。DQNと言ってもいいだろう。語弊があるかもだけど。
彼ら彼女らたちは、今我々がfacebookやtwitterでしていることを何年も前からやっていたのだ。
今世間では若者叩きがものすごい。「草食化」だ、「チャレンジ精神がない」だ、「打たれ弱い」だ、「コミュニケーション力が低い」だ、「自分の殻に閉じこもる」だ……
彼ら彼女ら、これ全部あてはまりませんよ。
いや、すごいっすわ。
てか、ギャルとヤンキーに限らず、ざっくり言って
今のいわゆる「スマホネイティブ」という世代はすごくない?
と。決定的に我々の世代と違うのは、「自分の感情を表現すること」や「新しい人と知り合うこと」に抵抗がないこと。
彼ら彼女ら(特に女子)はtwitterとかで大人と知り合って積極的に情報を引き出したりしてる。
僕が彼らの世代だった時は、年上の人なんて、学校の先輩とか親戚のおじさんとか、友達の姉ちゃんとか、それくらいでしたからね。
もちろんその反面犯罪に巻き込まれる危険もあって、規制の議論は必要だが、彼女らの積極性と情報収集力はものすごいし、見ていて羨ましい。
いつの時代も若い女子はたくましい、と。
そして、若い人たちから学ぶべきことは多いなと。
そんなまとまりのない感じだけども。みんな、前略プロフのこと、時々でいいから思い出してください。
謎の機能。こうやってネタにしてるあたりいいですね。おわり。