業務/コロナ禍/四条木屋町・三条木屋町

 

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ご無沙汰しております。ぺんぎんです。

弁護士になり4か月が過ぎました、、、が、2月は研修で海外におり、1月は以前書いたように座学の研修がメインだったので、実際に弁護士として働いて2か月半というところです。

3月は本当に忙しく、、、全てが不慣れなことの連続で、事務所のシステムに慣れるのに時間がかかり、レビューやドラフトも予想しているより大幅に時間がかかり、やっと終わって提出したと思ったら真っ赤になって返ってきて、その修正が数個重なり、、、と、毎日がむしゃらに働いておりました。深夜になっても全然終わらず「あ、これ無理だ」と絶望しかけた機会も結構な回数ありました。こんな生活をしていては寿命が縮みますね。

とはいえ、毎日締め切りに追われる生活は、目の前のことに必死になっていればよく、その点は余計なことを悩まずに済むので、ある意味助かります。どうにかこうにか成果物を提出できた時の達成感は得難いものがあります。

1月は以前書いたようにこれからやっていけるか不安で、家に帰ってきて何をやっても楽しくないというちょっとした鬱状態でした。映画・ドラマ・アニメ・漫画等で気晴らししようと思っても、むしろ膨大なコンテンツ量にうんざりしてしまい、「こんなに色々あるのに新しくモノを作る意味、ひいては仕事の意味ってあるのか?」等と思っていました。迷惑をかけながらも少しは人の役に立てている3月のほうが精神衛生は良かったです。

一応英語ができるという体で入所しているので、英語の仕事を振ってもらえる機会も多く、嬉しいことです。LLMで学んだのはアカデミックな判例解釈等ですが、実務では契約書のレビューやドラフトが中心であり、契約書の授業等を履修していなかった自分にとっては特殊な契約英語は大変難しく、自分が情けなくなる思いもあります。しかしこれは慣れの部分が多く、回数を重ねるにつれて徐々に表現が頭に入ってくる実感があります。成長を感じられる分野なので楽しいです。

難しいことには変わりがないですが、そんなに抵抗なく英語で業務ができているのはやはり留学のおかげであり、留学頑張って良かったなぁ、と思っております。

 

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さて、世の中はコロナで大変です。僕もリモートワークを初めて1か月経ちました。優柔不断を発揮しまくって全然家が決まらず、未だに友人の家に居候させてもらっているのですが、こんな状態だとかえって話し相手がいて助かっています。ありがとう友よ。おかげさまで毎日楽しく生活しております。

ちなみに、家は10数軒に及ぶ内見を経てようやく決まったのですが、コロナのせいで審査がストップしてしまいさらに延び延びになりました。こんなとこにもコロナの影響が……。ようやく来週引っ越しすることになります。

 

コロナで働き方や、仕事それ自体の価値観も変化していますよね。一番問われているのは、「出社する意味」です。別にパソコンでやれる仕事なら出社する意味はそんなに無いということが露呈されてしまいました。実際、僕もリサーチなどは書籍が少なく困るものの、ディスプレイやキーボードも揃っておりそんなに不都合は感じていません。

僕は昔から出張の意味がよくわかりませんでした。確かに顔を突き合わせて話す意味はあるし、最初の顔合わせとかは大事でしょうが、毎回の会議を高い交通費や宿泊費を払ってまでやる意味はあるのか、そこの費用対効果を考えると絶対無駄だと思うんですよね。多分、出張は従業員へのちょっとしたサービスの意味もあるんだろうと思っていますが……。

そして、上で僕が感じたことと少し関連するのですが、「多くの仕事の意味や存在意義」が問われています。別にみんな家でできるなら、不要となる仕事は残念ながらたくさんあるわけですよね。というか、そもそもそんなに必要性の無い仕事・人は無くても困らないということが今回で露呈されてしまったわけです。みんな気付いてはいたけど失礼だから言わなかったようなことが。

言ってしまえば、大半の仕事は機械に取って代わられて不要になります。コンビニのレジは自動になり、インフォメーションセンターは高輪ゲートウェイのようにAIになり、警備員は防犯カメラやゲートで多くが代替できるし、家電量販店の販売員はアマゾンレビューがあればいい。

 

……とまぁこういう風に思ってしまうわけですが、「味気ない」……ですよね?全部が全部効率で考えるのは「味気ない」と思いませんか(ジョルノ風)。

数週間ならともかくずっとリモートだと精神的にも辛くなるだろうし、同僚とのふとした会話から学ぶこととか、先輩の仕事ぶりを見て学ぶこととか、ふとした立ち話で元気が出るとか、そういうのがなくなってしまうのはかなり残念です。やはり対面で顔を突き合わせないとわからないことも多いでしょう。人間はそれこそ機械じゃないんだから、そう効率だけで済む話じゃないと思うんですよね。

そういう意味では、出張も、費用対効果は悪いにしても、気分転換になってモチベーションも上がるだろうし、見えないところで学べることも多いはずです。

そんなわけで、アフターコロナがどうなるかは注目ですが、また出所してコミュニケーションを取りながら仕事をするのが楽しみではあります。

 

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ところで、コロナが隆盛を極める前の3月上旬に、修習同期の結婚式で大阪に行ってきました。

金曜夜に新幹線で来阪し、御堂筋線本町駅で降り、夜風の気持ちいい本町通りを歩くと、たった2か月ぶりなのになんとも懐かしい思いになりました。引越しを手伝ってくれた友人と堺筋本町で落ち合い、炉端焼きの美味しい居酒屋で、東京での面白おかしい話をアテに飲みました。

翌日懐かしの御堂筋線に乗ると、隣に座ったおばちゃんに「あんた、彼女はおらんのか?勿体ないなぁ。ええ神社紹介するから行ってき。いい人見つけてや」と話しかけられ大阪を全身で感じました。梅田で降りて最近できたリンクスに寄り、少し歩いて馴染みのにしむら珈琲で修習で一番仲の良かった友人と落ち合いました。大阪で初めて二人で飲んだ修習生もお前だったな、と感慨に浸りました。

いざインターコンチネンタルの結婚式、修習同期の面々と久々に会い、弁護士としてのお互いの生活の様子について話しました。大半は大阪で働いており、あの僕の中では止まった大阪の時間が彼らの中では弁護士という形で続いているんだと思うと羨ましい気持ちでいっぱいになりました。ずっと一緒に飲み回っていた同期の悪友は立派な新郎として、綺麗な新婦さんとともに輝いて見えました。この同期二人は僕の大阪の一生の「ツレ」です。

梅田のワインバーで簡単な二次会をしたあと、僕は難波に住む友人に会いにミナミに行き、宗右衛門町の老舗バー・マスダで夜中まで飲みました。旅先で行くバーはいい。

翌日、道頓堀のアメリカンでコーヒーを飲んで二日酔いを覚ますと、京都在住の修習指導担当の先生に会いに京都へ向かいました。

JRで京都駅に着き、荷物をロッカーに入れ、清水五条までバスに乗り、人気のまばらな清水坂を歩いて、改修工事が終わったばかりの清水寺でのんびりしました。

そこから懐かしい三年坂、二年坂円山公園、八坂神社を抜けて祇園まで散歩しました。ここは以前付き合っていた彼女と歩きに来た場所でなんとも言えない気分になりました。

それから四条木屋町で先生と落ち合い久闊を叙し、少し下ったところの先生行きつけのバーに行きました。ひたすら瓶ビールを飲みながら東京での生活の様子や弁護士になってからの仕事の悩みなどを聴いてもらいました。先生にバッジを見せて名刺を渡せたのが何より嬉しかったです(本当に喜んでくれました)。先生の事務所で71期が辞めてしまった話も聞き、改めて先生の仕事への情熱の高さと仕事のクオリティの高さを思い出しました。

それから先生の男前な旦那さんを紹介してもらい三条御幸町でおばんざいを食べました。男前すぎて緊張しましたし、先生も何故か妙に僕に優しくしてくれました。

そして、三条木屋町で別れの挨拶をしようとすると、不覚にも少し泣いてしまいました。多分東京での仕事がうまく行かないこととか、大阪や京都での生活の楽しい思い出とが綯い交ぜになったのだと思います。先生もそれは察知して「あんたがわざわざ私と会おうなんて、なんか悩みでもあるんやと思ったわ」と言ってましたが、その通りだったのでした。先生には大阪地裁、大阪拘置所、府警本部、大阪家裁京都家裁、堺支部、下京の更生施設、吹田や西成の救護施設、天満の更生保護施設、西成や桜川や寺田町の居宅保護のマンション、住吉や和泉の病院、大阪ダルク、富田林、楠葉、高槻市役所、少年鑑別所、などなど、本当に色んなところに連れて行ってもらい、本当にいい経験をさせてもらえました。新地のちょっといい店でご馳走になると決まって二次会は新地のママさんの店で、先生がカラオケで熱唱して酔いつぶれて大阪駅まで肩組んで送ったりとか、新世界のカラオケ屋で飲んでたら知らない間にタクシーで京都まで帰ってたりとか、先生が調停委員にブチ切れたと思ったら僕もブチ切れて挙句依頼者もブチ切れたりとか、京都線で法テラスの悪口を散々聞いたりだとか、先生が検事がほんま偉そうでむかつくねんと言って僕がまぁまぁと宥めたりとか、先生が酔っ払って散々東京と僕のことをディスりまくったりとか、二人で裁判所の文句を言いながら暑い中タバコ吸ったりとか、短期の刑で済んで依頼者と裁判所の地下で三人で喜びを分かち合ったりとか、、全てが楽しい思い出です。本当に充実していて楽しかったなぁ。

そんなあったかい思いを胸にしまいつつ、木屋町通りと四条通りを一人で散歩して酔いと興奮を覚まし、烏丸でタクシーを捕まえ京都駅まで行き終電に飛び乗り、色んなことを考えながら東京に戻りました。とてもいい夜、とてもいい二日間でした。

それにしても本当に修習は楽しかった……。間違いなく人生で一番楽しい一年だったし、関西に戻りたい気持ちでいっぱいですが、辛いときも頑張る糧になる良き思いでであります。

コロナが早く落ち着いてまた関西に行けたらいいなぁ、と思っております。