最近思うこと

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アメリカ人と話してて明らかに日本と違うな、と思うのは、色々あるけど、やっぱりあの底知れぬポジティブさだろう。なんというか、薬でもキメてんじゃないか、というような溢れる自信と確信と楽観性がある。そんな人が多い。

そんなアメリカ人的自信を身に付けたいな、と再びアメリカに来たが、正直、毎日毎日自信を失う日々。本当に、「自分はこんなとこにいていいのだろうか。この学校にいる資格はあるのだろうか」ということを思う。

 

とりわけ英語力の面では全くもって基準に達していない。会話は相変わらず拙いし、授業も全て聞き取れるわけではない。一体何をしているんだろう、と嫌になる。

前回の留学のときは、「英語上手くなってやるぞ」、という前向きな気持ちに溢れていた。これから何かを征服していこうという意欲にあふれていた。でも今は、ある程度自分の天井が見えているのかもしれない。英語力に進歩を感じなくなってきた。停滞だ。

でもそれは一方で、自分がきちんと英語を勉強していないから、というのが理由の一つ。「自分は法律を学びに来たんだ」という意識があるから、なかなかそっちに意欲が向かない。何冊か単語帳とかは持ってきたが、なかなか開く機会がない。

仮に自分に十分な英語力があれば、そういうスタンスでいいんだろう。むしろ英語の勉強なんてしないで法律の勉強をするのが真っ当な法学生だ。でもそうじゃない。

あるいは、自分が「英語を学びに来ている」のなら、英語が下手で当然だし、これから勉強していけばいいことだ。でも僕は大学院生なのだ。専門分野を勉強しに来ている。それなのに英語で悩んでいるなんて本当にバカみたい。正直自分が恥ずかしい。

そういうわけで、その理想と現実とのギャップに挟まれているな、というのが今のモヤモヤした気持ち。

 

「将来的にアメリカでロイヤーとして働けたらな」という希望は儚いながらも持っていたが、今はまぁ不可能だと思う。考えてみれば当然なんだけど、ロイヤーって言葉を扱う仕事なんだよね。クライアントから聴き取りして、それを書面にして、リサーチして、メモを作って、、法廷に出るなら尋問して…。芸術分野や理系分野と違って、言葉が命。「証人の言ってることが聞き取れなくて異議出せませんでした」じゃ話にならないじゃないですか。

そんなわけで、正直、自分なんかより、そこらへん歩いてるアメリカ人の方が100倍役立つだろうな、と思ってしまう。少なくとも彼らはクライアントの言う事を理解できますからね。テクニカルタームや理屈がわからないのなら、そんなのは後で専門書に当たれば解決出来る。彼らのその語学力に比べたら、はたして僕が身につけてきた法的思考力とかそういうのはどれくらい役に立つんだろうかと。

確かにここに来れるだけのTOEFLスコアは取った。そういう意味ではいる資格は形式的にはあるんだろう。しかし、実際のところ全然足りていない。TOEFLの勉強が無駄だったとは言わない(ものすごく役に立っている)が、圧倒的に能力が不足している。単語力も文法力も足りてない。自分が英語を話すたびに情けなくなってくる。これが自分が夢見ていた学校の学生の言語力なんだろうか、と思う。理想に自分が追いつかない。

 

英語のことばかり話してきたけど、他にも、会話のうまさとか、教養の深さとか、頭の回転力とか、集中力とか、そういう色々なものが足りてないな、とクラスメイトと話していて思う。LLMにしたって、他国のロイヤーは経験値があるし、一方で中国とかの若手は頭が切れるトップのトップが来ているという感じだ。

じゃあお前だってその若手のトップのほうなんじゃないか、そう言われると、「そのはずなんですけど」となる。少なくとも自分にはそんな自信はない。結局経験もなければ自頭も無いどうしようもないやつだなということに落ち着く。

この前話してたのだが、タイとかそういう明らかに物価が安い国から来ている人は、どう考えてもエリート中のエリートなのだ。どうやってこのバカ高い学費を払うのか。親か法律事務所か国かわからないが、ともかくそれに見合うだけのエリートなのだ。失礼な話だが、自分がタイとかを旅行してた時、この中からアメリカのトップレベルの大学院に進学するような人がいるなんて想像すらできなかった。当然だけど、そういう国からは上澄みの上澄みのスーパーマン(ウーマン)みたいな奴が来ているんだろうなと。

 

それでも、僕は仮にも早稲田に選んでもらってこうしてこの学校に来れているわけで、それに自信と責任を持たなきゃならない。ということを、さっきユースホステルで知り合ったアメリカ人にも説教されてしまった。

この留学での目標……、いろいろあるけれども、一番に掲げているのは「自信」と「(肉体的・精神的)強さ」。前に友達が選挙の時みんなの一言ビデオメッセージを取った時も、"Confidence and Strength"と言った。

自信を持ちたい。アメリカ人にも、どこの国のどんな奴に対しても、物怖じず自分の意見を堂々と言い切れる自信。劣等感を感じず、自尊心を持って対等に接することのできる自信。

 

 

この文章を読んでも、「言い訳するな」、「通えてるだけでありがたいと思え」、「行きたくても行けない人がいる」という感想を持たれるだろうし、「そんなに自信が無いならやめちまえ」という厳しい言葉も飛んできそうだ。もっともである。

そういうのは了解した上で、そして全て単なる自分の中の負の感情を一方的に垂れ流しているだけであることを了解した上で、それでもなお自分のリアルな感情を吐露することにも価値があるだろうと考えて、文章にした次第です。