アメリカ大統領選について思うこと①

さて、ちと暗い気持ちを払拭するために(?)旬な明るい話題を一つ

 

アメリカ大統領選があと1日に迫った。せっかくだからこれについてつらつらと書こう

……いや、まったく明るい話題ではなかった……。世界の終わりに近づいてるのかもしれないのだ。これに比べれば、僕のバーの結果など可愛いものだ

 

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実は僕は長年、政治にはとんと興味がなかった。まともに政治に関心を持つようになったのは去年か今年くらいだ

大学1年のときに、バイト先のお好み焼き屋のおばちゃんに「ぺんぎん君は法学部なのに政治に興味がないの?だって、政治って法律を作ることじゃない」と言われ、「たしかにそうだな」と思ったことをよく記憶している。確かにそうなのだ

僕だって政策や国家のあり方には興味はある。自分と関係ないとは思わない。しかし、ニュースが報じている話題の多くは、政党がどうとか、スキャンダルがどうとか、そんな話ばかりだ。ゴシップの域を出ていない。特に選挙の時の新聞なんてうんざりだ。毎日毎日各候補者の支持率を見て何が面白いのかわからない(競馬的な面白さ?それは確かにあるかもね)

国を導く立場にある公人たる政治家の動向に常に注視し、その人間性を含めて議論することは有益だろう。しかし、現状単なるゴシップばかりだと思った。「そんなのどうでもいい。暇人かよ」というのが正直な意見だった

 

あと、「政治家はみんなバカだ」、というちゃちな批判を振りかざす気は無い……と言いたいところだが、どうもその感を捨てきれない。例えば漢字の読めないassho...麻生氏にしても、とても国のトップとは思えないような器が平気でトップに座っていたりする。これでは尊敬しろという方が無理だ

なぜ1億2千万人もいるのに知性・リーダーシップ・人格を持った奴が現れないのか。純粋に疑問である

(「じゃあお前がやれば?」とかは言わないでほしい。僕は自分にそんな能力がないことを自覚している。能力がないのにこう思わず平気でなれる奴の感覚を疑う)

例えば政治家の憲法に対する理解があまりに残念なのが一例だ。なぜなのか。憲法尊重擁護義務があるやんけ。憲法理解していなければ尊重も擁護もできませんよ

ほんと、選挙のときに憲法択一試験でも出してその点数で足切りするかそうでなくても参考資料として示せばいいのに、と思うくらいだ。知名度とテキトーな演説だけで政治家になれちゃうのはどう考えてもおかしい。朝日なんちゃらさんとかSPEEDの何とかさんとか(SPEED好きだったのに…)

もっとも、それやっちゃうと普通選挙でなくなるのでそれこそ憲法違反なのだけども

 

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それから、腹がたったのは3年前の非嫡出子相続分違憲判決のときのアレである

非嫡出子の相続分についての最高裁の見解は長年批判されていたようで、立法事実に大きな変化があったことからも「やっと」という感じの判決だった。僕も判決文を読んで感動したものである。時代が動いているのを感じた

しかし、どこぞの政治家は「最高裁の非常識な判断には従わない」などと言ってのけた。司法に対する敬意はないのかしらん。非常識なのはお前の頭だ

 

このエピソードに端的に現れているように、日本では司法権が弱い

9条の問題にしてもそうだけど、最高裁違憲判断には及び腰で、憲法判断を回避したり、合憲限定解釈をしたり、よほどのことが無い限り法令違憲は出ない。いわゆる統治行為論の理屈はわからないでもないが、何だか歯がゆい思いになる

これに対して、アメリカは司法権が非常に強い。先日アメリカ人の留学生と話していると、「国のナンバー2は間違いなく最高裁長官だね。副大統領より偉い」と言っていた。果たして日本人で日本の最高裁長官の名前を言えるのはどれほどの数いるだろうか(ちなみに現在は寺田逸郎氏です。アメリカはRoberts氏です)

 

アメリカの歴史を知るためにはアメリカの憲法裁判の歴史を知ることが不可欠である

人種差別を禁じたBrown判決、中絶する権利を認めたRoe v. Wade(Presidential Debateでも出てきましたね)、プライバシー権を認めたGriswold v. Connecticut、同性愛者の性行為に関するLawrence v. Texas、そして昨年の、同性婚を認めたObergefell判決などなど。憲法判例を通じて、より権利が拡張され、リベラルになっていった

そういう意味では日本も同じかもしれない。プライバシー権が認められたり。でも、所詮はアメリカの後追いだという感じがする。アメリカほど憲法判例が人口に膾炙しているとも思えない

 

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話がそれたが、まぁそういうわけで、「政治なんて誰がやったってどうしようもない」と一見ニヒルっぽいスタンスでいた。と言いつつ、なぜか義務感はしっかりと感じており、20歳になって以来投票には欠かさず行っている。もっとも、先日の参院選都知事選は、在外投票の手続をすっかり忘れておりできなかったが……。残念でならない

が、皮肉なものだが、上記の2つの選挙を特に関心を持って追っていた。といっても、バーの準備期間だったので、ニュースをちょいちょいチェックするくらいだったけども。参院選のときは日本の右傾化にただならぬ危機感を感じ、野党を応援していたものの、その後の都知事選では野党の宇都宮氏に対するあまりの卑劣さと、どこぞのボケ老人の支離滅裂な主張に頭を抱え、主要三候補以外を無視するメディアに怒り、太平洋とアメリカ大陸を隔てて怒り狂っていたのですが……。いや、小池氏になってよかったですね

 

思えば昨年はSEALDsが頑張っていた。日本が盛り上がっているときにアメリカにいて、なんだか歯がゆい思いでいっぱいだった。同年代が行動している時、僕は何をしているんだろうという思いも無くはなかった

なお、僕は彼らの主張の骨子には概ね賛同していたが、その表現の仕方等を含め、個人的には嫌いだった

「若者はもっと政治に関心を持つべきだ」

よろしい。そのとおりだ。18歳選挙権も始まった

「みんながもっと気軽に政治の議論をできる環境になればいい」

うーん、そうかしら?

確かに表現の自由の保障根拠として民主政過程への参画とか思想の自由市場とかが語られることからも、議論を通じて互いの意見をより高めていく(アウフヘーベン?)ことは理想的である。しかし、政治的思想って、個人の思想の根幹にかかる部分じゃないですか。そして、いくら温厚な日本人とは言え、議論すれば喧嘩にもなることもある

もちろん正しい議論のあり方は、意見と人格を分け、人格攻撃は決してしないことだが、果たしてどれだけの人がこれを厳格に守れるだろうか?第一、例えば僕は、飲み会は楽しく過ごしたい。意見を熱く戦わせたいときもあるが、いつもそうではない。あまり仲が良くない人とそういうことをしても、しこりが残るだけだ。だから、こっちが望んでもないのに議論をふっかけてくるやつには鬱陶しい以外の言葉がない。お前がそんなにその話をしたいならキャバクラにでも行けよと思う。政治の議論をしたくない人もいるのだ。思想を表明しない自由、沈黙の自由も思想良心の自由の一部分なんですよ

そういえば、子供の頃、選挙のたびに親に無邪気にどこの政党に入れたか尋ねると「そういうのは人には教えないものなの」と言われ、教えてくれなかった。事なかれ主義の両親には物申したい気持ちもあるし、子供には教育上話をするべきだったとも思うが、今はそれも一つの処世術なのだなと合点がいく。無用な争いを避けようとするのは特段間違ってはいないと思う

こういう話をすると度々「アメリカでは政治の議論は盛んだよ」と言うやつがいる。確かに日本よりは盛んだし、家の軒先に平気で"I'm supporting Trump!"なんて張り紙を出す人もいる。しかし、みんながみんなそうではないし、不特定多数と政治の話をするのを避けている人も結構いる。政治とアメフトの話は人を選んだほうがよい

 

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そういうわけで、僕は今は日本の政治もアメリカの政治も追っているが、基本的には自分からは話題を出さないようにしている。こうしてブログで政治について書くのも初めてだと思う。なぜ今回書いているかというと、アメリカという他人の国のことなら許されるだろうというのと、今回の選挙はもはやネタ化しつつあるので(ごめんな、アメリカ)、まぁいいだろうというところだ

そう言いつつ、日本の話ばかりしてしまった。長くなったので続きは次回に譲る