8年ぶりの……

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 バンコックは雨期だった。空気はいつも軽い雨滴を含んでいた。強い日差しの中にも、しばしば雨滴が舞っていた。しかし空のどこかには必ず青空が覗かれ、雲はともすると日のまわりに厚く、雲の外周の空は燦爛とかがやいていた。

 驟雨の来る前の空の深い予兆にみちた灰黒色は凄かった。その暗示を孕んだ黒は、いちめんの緑のところどころにヤシの木を点綴した低い街並みを覆うた。

 

 三島由紀夫暁の寺豊饒の海・第三巻―』より 

先日、友人とタイに行ってきました。

タイは僕にとって特別な国です。というのも、初めて行った海外の国がタイでした。今から8年も前のことです。

僕は大学に入るまで海外に行ったことがなく、大学1年の夏休み、一人で1ヶ月ほどかけて東南アジアを旅行したのですが、最初に降り立った国がタイだったのです。

その旅行はバンコクから始まり、チェンマイまで北上し、ラオスに入って、フエからベトナムに入り、ホーチミンまで南下して、カンボジアに入り、またバンコクに戻るというものでした。バスや電車のみを使ってインドシナ半島を一周するというものです。

 

タイの中でも最初の街であるバンコクは一際特別です。今でも色々な記憶が鮮明に蘇ります。僕が仮にアナザースカイに出ることがあればバンコクを選ぶでしょう(フィラデルフィアかな?)

スワンナプーム空港に降り立ち、初めて外国の貨幣を使い、英語を話し、海外に来たんだと実感してものすごく興奮したこと

しかし、すぐに自分の英語力の無さを痛感し、この先やっていけるのかと不安になったこと

バックパッカーの聖地であるカオサン通りに宿を取ったものの、部屋に窓が無く毎日こんなところに泊まるのかと絶望したこと

食事をしに近くのレストランに入ったら、客が自分しかおらず、これから1ヶ月ひとりぼっちなのかと絶望したこと

しかし、その店でジョーと名乗る店員が話しかけてきてくれて、そうか、こうやって周りの人とコミュニケーションを取れば自分は一人では無いじゃないか、と気分が明るくなったこと。

 

タイにはまた来たいと思いながら、特別な場所であるだけになかなか気が向かず、結局8年間一度も再訪せずじまいでした。

本当はまた来るなら一人で来て思い出に浸りたいところでしたが(友達と来ると自分の清き思い出が汚れてしまうかな…とかしょうもないことを思いながら)、この機会を逃したらまたしばらく来ないだろうな、と思いローの友達と3人で来たわけです。

 

 

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今回はナナ駅近くのわりといいホテルに泊まり、伊勢丹で買い物したりと前回の貧乏旅行とはまた違いましたが、やはりバンコクはいいですね…。8年経ってだいぶ洗練されてきたとは思うのですが、やはり汚いところはそのままだし、街全体に溢れる活気は変わってないなぁと思いました。

そしてもちろん行ってきました。

 

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すべての始まり、カオサン通りです。

やっぱりこの場所は別格ですね……。ワット・アルンとかワット・ポーとか観光地に行っても特になんとも思えない僕ですが、カオサンに来たときはありえないほどテンションが上りました。本当に懐かしい。

 

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大好物のパッタイも食べました。僕はパクチーも辛いものも苦手なので、タイにいた10日間は毎日バカみたいにパッタイばかり食べていたものです……。

 

 

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ガイドブックオススメの店でカオマンガイも食べてきました。ここの店のカオマンガイ、本当にありえないほど美味しいです。

実は日本にも上陸していて渋谷にお店があるようです。読者のみなさんもぜひ行ってみてください。ガイトーンというお店です。本当に美味しいです。

 

 

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8年前も行ったアユタヤも行ってきました。

タイの古都というとスコータイとアユタヤがあります。スコータイは遺跡群と街が完全に別れてしまっていてイマイチ面白みに欠けるのですが、アユタヤは街の中に遺跡が点在しており、街と遺跡が調和しています。前回は自転車で巡りましたが今回は原付きを借りました。原付きでアユタヤの街をかっ飛ばすのはなんとも言えないものがあります。

 

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思い出に浸ってみると、8年前に比べると法律の知識もついて、アメリカ留学を経験して英語もだいぶ上達したし、社交性もついたように思います。そこは喜ばしい。

他方で当時のほうが本を読んでいたし、何より当時の瑞々しい感性みたいなものは失われてしまったかな……と。太宰の斜陽で直治が「快楽のインポテンツ」という言葉を使っていましたが近いものがあるかもしれません。まぁ、当時ははじめての海外だったのに対して、今回は2回の留学と25カ国の渡航を経てなのだから当たり前ではあるのですが。若い頃は経験するものすべてが新しく、強烈な感動を与えてくれてよかったなぁ、と思ってしまうわけであります。

今でも 鮮明に覚えているんですが、スコータイ近くのピッサヌロークからチェンマイまで夜行電車に乗ったとき、深夜に一人で電車のデッキのところに出て、「あぁ、人生にこんなにも楽しいことがあったんだ」と興奮したことがあります。あの冒険感、全く見知らぬ土地を一人で進む高揚感、ものすごいものがありました。多分、あのときの気持ちをまた味わえることはもう無いのかなぁ。

 

……なんか、バー受験のあとタイムズスクエアに行ったときについてもおんなじようなことを書いていましたね?笑 そこでも書いたけれども、何年経っても自分の根本的なところは変わっていないわけで、それはどこに行っても自分は自分である、ということなわけで、ある意味安心でもあります。そんなしょっちゅう変化をしているようでは逆に不安になる。

 

ともかく、8年ぶりのタイ、色々なことがフラッシュバックして、全てに既視感を感じて、とてもいい旅行ができました。また折に触れてタイには訪れたいものです。