The Strokes - Under Cover of Darkness [2011-06-04]
(この歌詞シリーズなんなんだ)
えーみなさんお久しぶりです。
「試験頑張ってくるぜ!!」と行ったきり一週間音沙汰が無かったので色々心配してくださった方もいるかと思います。
試験の解放感から飲み過ぎて救急車で運ばれたんじゃないかとか
試験の手応えが悪すぎてエンパイアステートビルから飛び降りたんじゃないかとか(村上春樹でそういう話があったな)
ポケモン狩りに熱中しすぎてるんじゃないかとか(ちょっと本当)
いえいえそんなことはなく、単にフィリーに戻ったり友達とお別れをしたり新しいLLMの人に挨拶したりとドタバタしていただけです。僕は元気です
いやでもブログを書くぐらいの暇はいくらでもあったので、単なるいいわけですな。書こう書こうと思うほど筆不精になるというあれですね。またまた僕の悪い癖ですが、書きたいことが多すぎていっそ書くことを拒否するという
タイトルは冒頭に上げた動画、またまたストロークスのUnder Cover of Darknessという曲のサビです。これもYou Only Live Onceと並んで鬼リピしてました。ポップで2本のギターが楽しくて、いい曲ですよ。
"So long, my friend and adversary"(さようなら、友と敵よ)
友というのは試験後慌ただしく国へ帰ったりニューヨークに行ってしまった友人たち
そして敵というのはもちろん我らが?NY Barである
試験2日間、12時間、特にトラブルもなく無事に受けてまいりました
肝心の手応えはどうなんだろう
簡単にまとめると、
MPRE okay
MEE so so
MBE午前 okay
MBE午後 not okay
という感じでした。まあ細かくはまた書きますね
試験会場で印象に残ったわりとどうでもいいことをいくつか
①大学ロゴ服を着てる人多数
ニューヨーク出発前、「おまえPENNのパーカー着て威圧していけよ」とか友だちに言われ「いやーそんなん恥ずいっしょ」と一笑に付して普通の服で行ったんですけど、行ってみれば大学Tや大学フーディの嵐
で、これ、じゃあ大学の名前でいわゆる学圧をかけてきてるかというと違うんですよ。なぜなら無名ローの人も普通に着てるから
NYC(マンハッタン)会場はNY州、特にNYCのローの卒業生が多いわけで、コロンビアとかNYUをたくさん見たし、右隣はコーネルだったが、左隣はブルックリンローとかいうとこだった。つまり、威圧するとかそういうしょうもない話ではなく、各々が大学に誇りを持ってその代表としての自覚を持ってきている、というとこだろう。アメリカでは日本のように学校の自虐ネタは聞いたことないしね
ま、さすがにYALEを見た時は「お前ドヤってんじゃねぇよ」と思いましたがね
②男子トイレに群がる女子たち
圧倒的受験者数の前ではおまけ程度にあるトイレなど無力です。当然試験直前は長蛇の列ができます。ディズニーランドもそうだけど、こういう時ほど男に生まれたことに感謝する瞬間はない
で、大も小もない女子と違って男の大は比較的空いてるわけで、見かねた女子たちが「あーもう恥ずかしいとか言ってる場合じゃねぇ、緊急事態だわ」と言わんばかりに男子の列に並ぶわけでした
これ、逆は認められんのか?とか思ったけど、逆だと時間を短縮するという大義が無いので認められないでしょうね。合理的関連性がありません
それから、「そういやアメリカは有事の時は大統領が強大な権限持ったり人権がある程度制限されたりするんだよな。こういうとこにもアメリカ人の『緊急事態は多少のことは許される』っていう発想が出ているのか…?」とかどうでもいいことを考えたりした。日本もそうなろうかとしているわけですけどね、どうなんでしょうね
③試験後が完全に囚人の解放
2日目の試験後、答案用紙を集めて数を確認している間は受験者はまだ座っていなければならない。なのだが、みんなもう終わってそわそわして早く帰りたいので誰も守らない。アメリカ人よ、お前らの規範意識はどこへ行った
で、みんなもう席を立って出口のところに向かうわけですね。しかし出口にはシャッターが降りている。試験場は半地下なので、シャッターの向うにはエスカレーターがあり、一階へ、そして建物の出口へと続く
もうまずその待ってる光景が笑える。みんなガヤガヤと喋りまくってシャッターが開くのを今か今かと待ち構えている。押しくらまんじゅう状態。疲れきってる姿はどう見ても囚人。そして、、、、"YOU ARE DISMISSED"のアナウンスとともについにシャッターが開く。囚人たちは歓声を上げ、怒号を上げ、口笛を吹き、手を上げ手を叩きながらエスカレーター(止まっている)を駆け上がり、光に溢れた建物出口へ突進する
まさにバーイグザムという2日間の過酷な試験、いやJDに取っては3年間という長い時間の真の終わりなのだ。その姿はどう見ても懲役3年の刑期を終えてシャバに戻る囚人たちの姿だった。ものすごい高揚感だった
試験後、同じホテルに泊まってたタイの子とお互いの健闘を讃え合い、慰めあい(卑猥な意味ではない)、そして近くのホテルの友達と合流してそこでフリードリンクを頂いた。こんなにもビールをうまく感じたのはいつぶりだろうか。解放感と寝不足で酒は瞬く間に回った
その後ちょっとした事件があり僕は悲嘆に暮れブチ切れることになる。これを思い出したくなかったのもブログを書きたくなかった理由の一つだ。まぁ、Radioheadのライブに行きそこねたということなんですが
それからまた友達(ベルギー、タイ、イスラエル、中国、カナダ、ぺんぎんという構成だ)と合流し、マンハッタンの洒落た店でどうしようもない下ネタで大笑いし(こんなに腹を抱えて笑ったのはいつぶりだろうか)、お互いの健闘を讃え合い、今後の活躍を誓い合い、1時頃解散した
体は疲れきっていたが、まだ興奮は冷めていなかった。ホテルに帰るのも惜しく、一人でふらふらとタイムズスクエアに向かった
タイムズスクエアに来るのは1ヶ月ぶりくらいで大して懐かしくもなかったし、今まで何度も来ていたが、どこかいつもと違った感じがした。結果はまだわからないにせよ、どうにかこのニューヨークで戦い切って、ニューヨークが少し自分に近く感じられたのかもしれない。バカみたいに明るいビルボードと品の無い喧騒が心地いい
初めてここに来た時のことを思い出した。ちょうど4年前だ。恐ろしい人の数に圧倒されたっけか。oasisを聴いてたなぁ。あれから自分は少しは成長しただろうか。なんだか、日本のことを放り出してアメリカに来たという意味では何も変わっていないし、英語は相変わらずだし、だらしない性格も変わってない。相変わらずoasisばかり聴いている。でも、あの時に感じた興奮とは違った興奮がそこにはあった。景色はなんだか違って見えた。多分僕も色々と変わったのだろう
翌日は事前にフィリーからホテルまで来るように頼んでおいた(コールガールじゃないんだから(失礼))ガールフレンドのような子(うまい表現が見当たらない)に叩き起こされた。彼女にも色々と世話になった
昼ごろからニューヨークをぶらぶらした。ヤンキースの試合を観たかったが、10連戦くらいしてたのになぜかこの日だけ試合が無かった。つくづく運がない。彼女に何かしたいことはあるか訊くと「あなたと一緒ならどこでもいいわ」的なことを言った。As long as it's with you, anything would be perfect for me. そういう子なのだ。あとで文句を言うわけでもない。とてもいい子なのだ
そういうわけでだいたい僕が行きたいところに行った。とにかく歩いた。West 38thから初めてEast 82ndまでいった。電子レンジの中にでも入ってるような暑さだったが、太陽に当たっていると、試験で失われた人間性が体に戻っていくような気がした。満を持して一風堂に行き(若干茹ですぎだった)、セントラルパークでポケモンを捕まえ(イーブイだ)、メトロポリタンに行き(やっぱりマネはいい)、紀伊国屋に行った(村上春樹を買った)
それからエンパイアを遠目に眺めながらわけのわからない寿司を食った(うまかった)。そして夜遅くのメガバスでフィリーに戻った(寒かった)
それからの1週間は別れの挨拶や初めましての挨拶をしつつ、ガールフレンドのような子と遊んだり犬と遊んだりしている
実はこのブログでは触れていなかったが、ここしばらくガールフレンドのような子の友達(帰省中)のヨーキーを預かっている。試験勉強でしんどいときに支えてくれた僕の相棒である。寂しい時は膝に乗せて勉強し、煮詰まった時は一緒に散歩した。彼には感謝してもしきれない
それから右の子犬はガールフレンドのような子の犬である。マルチーズとパピヨンのハーフ、通称マルパピだ。彼以上に可愛い犬に会ったことがない。生ける天使である
そういうわけで、今は読みたかった本を呼んだり犬と遊んだりという非常に牧歌的な生活をしている。この生活がずっと続けばいいが、そうはいかない。2週間後には彼らにも別れを告げて日本に帰ることになる
と、ネタが溜まっているので色々と書いていきます。ふぅ。とりあえず。ほんとに試験終わってよかったな。受かってるといいな。おつかれぺんぎん