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ぺんぎんぺーぱーちぇーす -PennLawLL.M.留学記-

University of Pennsylvania Law School LL.M.(ペンシルベニア州フィラデルフィア)を修了し、日本に帰ってきました。留学時代のことやアメリカのことなどを細々と書いていきます。

森友問題と立証責任

最近あまりニュースも見てないが、この件に関してはチェックしており、国会質問も見た。あまりに酷い。

首相は、無いものを無いと証明することはできない、主張する野党側に立証責任がある、とのたまっているが、本当にそうだろうか?

確かに裁判においてはその法律効果の発生・変更・消滅を主張する側が主張立証責任を負う。民事なら訴訟物の判断については原告(抗弁については被告が責任を負うが、いずれにせよその法律効果の発生等を主張する側)、刑事なら訴因の存在を主張し、刑罰権の行使を求める検察側がこれを負う。

これは当然で、当事者主義が支配する対等な関係においては、裁判所の判断を仰ぐために「ある」と主張する側が立証責任を果たさなければならない。

しかし、これは裁判ではないのである。

まず、法的責任と政治責任は異なる。政治責任はもっと曖昧でハードルの低いものだ。犯罪を犯したわけではなくとも問題発言の責任を取って辞任するケースは山ほどある。

そして、裁判所のような後見的存在がいるわけではない。判断するのは直接関与できない国民である。別に野党が国の犯罪を訴追してるわけではないのだから、野党に立証責任があるわけではない。

 

国有地売却の立証責任は政府にある(渡辺輝人) - 個人 - Yahoo!ニュース

この記事が大変参考になったが、内閣は国民に対して責任を負うのである。国民が立証責任を負うわけではない。疑惑が出た以上政府はこれに対する説明責任を果たさなければならないはずである。

そもそも、国側に証拠となる資料が存在する以上、国民や野党側が100パーセント違法性を証明することなどできるわけがない。

裁判でもアメリカの場合は広範な証拠開示手続きであるディスカバリーがある。日本でも、民事では文書提出命令の申立てができる。自己利用文書などの例外がない限り文書所持者はこれを提出する義務を負い、これに反して証明妨害を行なった場合はその主張が真実だとされうるという制裁を課される(その効力については議論あり)。

いずれにせよ、これだけの間接証拠や疑惑が生じている以上、政府には身の潔白を証明する説明責任があると思う。

 

そういえば都知事選の時某鳥越氏も悪魔の証明という言葉を連呼していた。そう言っておけば責任を免れられるかのような考えは本当に無責任だと思う。

卑近な例でいえば、カップル間で浮気の疑惑が出た場合、疑われた方が「ほら、お前が証明しろよ」と言ってもなんの説得力もない。ただの勘違いにしても、火の立たないところに何とやらというように疑われる方にも落ち度があることが多いわけで、信頼関係で成り立っている2人の問題である以上、LINEや通話履歴を見せるなり何なりして身の潔白を説明する責任があるはずである。

 

森友問題はすなわち税金の使途の問題だから、国と国民の間の問題である。そしてこの両者は信頼と付託で成り立っている。おまけに国民側は圧倒的に弱い。

そうであるならば、国側が資料の提出を行い、証人喚問などに賛成するなどして、説明責任を果たすべきである。それをしないでグダグダやっていることが一番時間の無駄であり税金の無駄に他ならない。

 

最近、達成すべき目的が崇高なら手段を誤っても許されるという考えがまかり通っている気がする。トランプもそうだし、橋下や堀江もそういう趣旨のことをよく言う。確かに革命はそうかもしれない。世界を変えるには犠牲も必要だろう。1人を殺せば犯罪者だが、100万人殺せば英雄なのである。そうしてナポレオンは英雄になった。そしてそれに憧れて罪を犯し、後悔という罰を負ったのがラスコーリニコフである。

少なくとも法が支配する現代においては手段というのは重要で、それを軽視することは許されないと思う。憲法31条は何のためにあるのか。重大犯罪の捜査のためならどんな人権侵害も許容されるのか。

国が9億だ36億だ失っても国が崩壊するわけでも人が死ぬわけでもないが、それを等閑視することは果たして正当化されるのか?みんな一度頭を冷やして罪と罰を読み直した方がいいかもしれない。