ぺんぎんぺーぱーちぇーす -PennLawLL.M.留学記-

University of Pennsylvania Law School LL.M.(ペンシルベニア州フィラデルフィア)を修了し、日本に帰ってきました。留学時代のことやアメリカのことなどを細々と書いていきます。

ぺんぎんはホームシックにかかっているのか

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(渡米前まで住んでた西早稲田のアパート)

アメリカに来て1ヶ月が経った。本当にあっという間だなという感じがする。

さて、やはり留学につきもののものといえば「ホームシック」だが、ぺんぎんはかかっているのだろうか。

 

1 ホームシック

今回は正直のところ、そうでもない。もちろん友達とは簡単に連絡が取れるし、テレビ電話で顔を見ることもできる。家族については、元々一人暮らしだったのでそのときとあまり変わらない。家や部屋が恋しいかというと、一人暮らししていたアパートは引き払ったので、恋しいも何もない。

日本の環境はと言えば、テレビはわりと見たいが、ドラマとかはネットで見れるし、何より1年間テレビ無し生活をして慣れたのでそこまでのダメージはない。マンガ(ジャンプ。25歳になった今でも毎週買ってる)についても、Manga Here(英語)やManga Raw(日本語)というサイトで読めるので問題ない。日本のニュースについていけないのは少し寂しいが、ネットやTwitterでチェック可能である。テクノロジー(半分脱法行為か…)がすごい。

 

前回は相当かかった覚えがある。家族と離れて住むのも、海外に住むのも初めてだったから当たり前かもしれない。加えて、ホームステイ先の環境が酷く(移民一世の老夫婦で、暗い感じ)、ド田舎なため家の周りに何も無く、世界と隔絶された感じがそれに拍車をかける。

また、留学して数日後に大学の友人の訃報に接したことも大きかった。友人が死ぬというのも初めての体験だったし、葬式に行けないこととかが歯がゆかった。そんなわけで、鬱という程でもないが、あまりの寂しさから過去の凶悪犯罪の記事を読みあさったり、そんな趣味も無いのにグロ動画にハマったりしてしてしまった。ノルウェイの森に「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」という言葉があったが、死を意識することで生を意識できると言うのはそうだと思う。そういう意味では、しんどいときに自傷行為に走る人の気持ちはわからなくもない(僕はしませんけど)。

それでも、アメリカの生活に馴染むにつれてそういう感情は消えていった。ホームステイ先を変えたのも原因だと思う。

 

2 東京

それでも、前回の留学で半年間ずっと寂しかったのは、何と言っても東京という街である。「家」という意味のホームではなく、「故郷」という意味でのホームが恋しかった。あの都会で何でもある感じや人の喧噪、街のゴミゴミした感じ、電車、ソーシャルライフ、多様なエリア…。僕がいたデイビスという田舎街にはこのいずれも無かった。

離れてみてわかる東京のすごさである。東京にいるときは、自然と「自分は世界(少なくとも日本)の中心にいる」という安心感みたいな感覚があったんだなと思う。

それに比べれば、今回は(東京には比べ物にならないけど)一応大都市なので、そういう寂しさもあまりない。確かにあの電線バリバリの日本の街並みは恋しかったりもするが、フィラデルフィアには喧噪もあるしソーシャルライフもある。電車にも乗る。世界と隔絶されている感じはないし、むしろニューヨークに近いからか世界の中心により近い感じさえする。東京を横目に眺める横浜市民のような感じである(適当)。

 

3 日本との接触

もちろんこちらに元々の知り合いが一人もいないという意味では孤独を感じるし、感情の浮き沈みも激しいのだが、それはどちらかというと環境の変化による五月病的なもので、メンタルヘルス的には前回の留学よりかなりまともである。

なお、前回よりホームシックが軽い理由の一つとして、上に挙げたことの他には、アメリカへの慣れ、年齢的成熟、一人暮らしの経験、等が考えられる。そして、もう一つ大きく挙げられる理由は、「日本との接触」の機会の多さだと思う。

前回は、半分語学留学ということもあったので、「なるべく日本語に触れない」ことを心がけた。日本人をなるべく避け、話すとしても英語で話し、日本の家族や友達との電話も最小限にした(半分かぶれてただけだが英語でメールしたりもした)。日本のマンガも読むにしても英語で読むようにしたし、ドラマとかも見なかった気がする。ブログも英語で書いていた。音楽すら(元々洋楽メインだったが)日本の音楽をなるべく聴かないようにした気がする。

結果的に、そういうことが英語力の向上に繋がったので良かったと思っているが、一気に日本と完全に断絶しようとするのは精神衛生上良くないので、徐々にすべきかなとは思う。

一方で、今回は英語は少なくとも形式上は副次的なものにすぎないということで、積極的に日本のものを排除しようとはしていない。気分転換で日本のドラマとかお笑いの動画とか見てるし、家族や友達とかなり頻繁にLINEや電話もしてるし、こうしてブログも日本語で書いている。結構これが精神的に大きいのかなという気がします。

 

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しかし、正直日本(及び日本語)との接触はもう少し減らした方がいいかなとは思ってる。せっかくアメリカに来てるのだから、こっちの生活にどっぷり浸からないと勿体ない。英語ももっと上達させたい。

ブログは記録・備忘録的な意味で続けたいが、少なくともTwitterは辞めた方がいいかな、とも思っている。ただ、水村美苗にとってのアメリカでの唯一の拠り所が日本文学であったように、僕にとっては一番仲いい友達であるゆりかと連絡取ることとともにTwitterでゆかりとアルファというクレイジーな2人組と交流することが心の拠り所となっている節はあるので、完全にこちらの生活に溶け込めるまでは、辞められそうもない。